第38話 予期せぬ参戦者


 確実に意識を奪う威力の拳を叩き込んだ筈が……口元から一筋の血が垂れるだけで、彼の意識は健在だった。


 恐らく、気力の放出により衝撃を和らげたのだろうが……あの一瞬でそんな芸当が出来るなんて、彼の機転の早さには驚かされる。


「…………あっては、ならん……」

「え……?」


 頭を垂らし、何事かを呟いた彼の足元の地面が、歪み始めた。砂埃が舞い散り、固く舗装された土が盛り上がり……まるで、何かが這い出ようとしているかのように。 


「『悪性』は、私が根絶させる……その為だけに、これまで生きてきた……だから、この私が、志半ばで果てることなど────あってはッ、ならんのだッッ!!」

「……ッ!?」


 次の瞬間……凄まじい衝撃と共に大地を突き破ってきたのは、彼の身の丈はある岩石の塊。上部には、柄のような持ち手部分があり……まるで、幾多の岩石の内部に刀剣のようなモノが封じ込まれているのではないか、という印象を受けた。


 グウェナエルは、そいつの柄部分を握ると……そのとてつもない重量感がある塊を、まるで木の棒を振り回すように、軽々と肩に担ぎ上げたのだ。


「先程の拳は効いた……故に、礼は言っておこう。貴様の存在が、私は更なる領域に昇華させたようだ。この『岩石剣』を自在に扱えるだけの────『Lys82』・マスターへとな」

「『Lys』が、上がった……!?」

「お望み通り、捻り潰してくれよう。圧倒的な力の下に……ッ!」


 驚くのも束の間、目の前でグウェナエルが岩石剣を空高く掲げ……一気に、振り下ろしてきた。


 あまりにも大きく、あまりにも速い襲撃に、私は反射的に刀を両手で前に構えて防御の体勢を取るが……それに、衝突……いいや、押し潰された瞬間、全身に凄まじいまでの激痛が走る。


「ぐッ、ァ……ッ!?」


 その一撃によって意識が吹き飛びかけるが、辛うじて保つ。


 だが、立て続けに振り上げられた岩石剣を目の当たりにして、私はギョッと目を見開き、慌ててそれを回避。もう一度、その衝撃をマトモに受けてしまったら……全身の骨格が、一瞬で木っ端微塵になりそうな恐怖心を覚えたからだ。


 しかし、軽々と岩石剣を振り回す彼の猛攻に、私は逃げ回ることしか出来ず……気付けば、私は壁際にまで追い込まれていた。


「防ぐのは辞めたか、賢明な判断よ。だが……逃れられるなどと思わぬことだ」

「だれ、が……ッ!」


 こうなれば、覚悟を決めるしかない。


 崖っぷちにまで追い込まれた私は、今一度両腕に意識を集中させて、『ボウレイカ』を維持しようとする、が……瞬間、頭の中でブツンッと何かが切れるような鈍い音が響き、ひとりでに、膝が地面に落ちてしまう。


「ァ……ッ!?そん、な……こんなッ、時に……ッ?」


 限界、だった。


 両腕の『ボウレイカ』は解除され、限界まで発動を続けた影響で、全身に力が入らない……完全な、無防備状態に陥ってしまったのだ。 


「嘆いている暇はないぞ?」

「ぁ……ッ」


 視線を上げてみれば、もう目の前にまで迫る岩石剣。


 私は反射的に刀で防御体勢を取ろうとした、が……亡霊でもない私には、それを受け止め切れなかった。目の前で刀は粉砕させられ、遮るモノが無くなった岩石剣は、そのまま……。



 ────私の全身を、容赦なく押し潰した。



「……ふん。気力を使って辛うじて形を保ったか。無駄な足掻きを……だが、その状態では、もうマトモに戦えまい」

「はァッ、はッ……ぐッ、ァ、ァ、うゥぁ……ッ」


 今、身体がどうなっているのか分からない……。


 押し潰される寸前、反射的に気力を全身から放出したものの、被害は甚大だ。全身を激痛に苛まれ、うつ伏せに倒れたまま、指先一つ動かすことが出来ないまま、身体がガクガクと痙攣し続ける。


 そこで感じたのは……決定的な力の差。


 既に『マスター』にまで登り詰めたグウェナエルに対抗するには……並みの努力と『亡霊』程度では、到底届き得ないということが……嫌という程に、思い知らされてしまった。


「結局、無駄な努力だったようだな、リューリ。貴様がどれだけの力を付けようと……私が子皇になる運命に変わりはない。貴様は、どこまでいこうと……貴様のまま変わることはないのだ」


 まただ……また、心を抉られる……。


 聞くな……!


 聞き入れるな……!


 自我をしっかりと保て……!


 自身の心へと、必死にそう呼び掛けるが……。

 

「……ッ……」


 自分の不甲斐なさと弱さに、再び苛まれそうになった……その時だった。


 会場内に、居る筈もない『あの人』の声が響き渡ったのだ。



「────なに負けそうになってんだよッ!!」



「……!」


 私だけじゃない、その会場に居る全ての視線が、その大声の先……客席エリアの入り口へと向けられる。そこには、既に息も切れ切れな状態でありながら、強張った顔で私のことを見下ろす、一人の少女の姿があった。


「あんたを倒すのは、このあたしだ……!だからッ、そんな奴に負けてくれんなッ!!」

「……マリ、ア……?」


 信じられない────それは、朝比奈マリアだった。


 悪性のLysを抜かれて、寝たきりになっていた彼女が……本当に、自分の力で立ち直って、ここまで駆け付けてくれたのだ。最後に顔を合わせた時と同等に、強い敵意を向けた罵倒のようにも聞こえたが……その言葉は、紛れもなく私への励ましとなっていた。


 続けて、その隣に現れたのは一人の女性。


 彼女が、自分の抱きかかえた幼子に対して、私の居る場所を指差すと、幼子は明るい笑顔で大きく手を振ってくれる。



「────お姉ちゃーーーーんっ!!頑張ってーーーーっ!!」



 幼子の元気いっぱいの応援に合わせて、女性の方も感謝の意を示すように深々と頭を下げていた。


 あぁ……あの母子も、知っている。


 不幸にも爆弾魔の事件に巻き込まれてしまい、私たちに助けを求めてきた母子だ。もう、元気になったんだ……こんなところにまで、応援に来てくれたんだ……。


「……ぐッ、ッ……うぅぅぅぅぅぅぅぅゥゥゥゥゥゥゥゥッ!!」


 気付けば、私は地面を両手で握り締め、自分のものとは思えない声を搾り出しながら、死ぬ気で立ち上がろうと足掻いていた。


 亡霊が持つ特性の一つとして、身体の回復が速い、というものがある。それを意図的に引き起こし、痛め付けられた身体を修復しながら立ち上がろうという荒業を実行していたのだ。


「つくづく理解しがたい女だ、貴様は。結果こそ変わらなかったが……喜べ。これから先、恐らく私は貴様のことを忘れないだろう」


 だが……間に合わない。


 既にグウェナエルは、地面で這いつくばる私を狙って、岩石剣を振り上げている。身体の修復は実行されてはいるが……このままでは、動き出すより前に再び押し潰されてしまう。


(……だ、め……これ、いじょう……からだ、うごか、ない……ッ)


 痛みと焦りで、視界がチカチカと明暗を繰り返す中……頭上で、岩石剣が振り下ろされる残酷な音が、鼓膜を揺らす。


 客席から、幾つもの短い悲鳴が漏れ出るのが聞こえてきた。


 誰の目から見ても、終わりが近付いている……そんな空気が、会場に漂っていた。


 あぁ、やっぱり、駄目だったのだろうか……。


 グウェナエルの言う通り……ワスレスごときが、皇選に勝つだなんて、夢のまた夢だったのだろうか……私のやって来たことは……何もかも…………無駄だった、のだろうか……。



「────無駄じゃないよ」



 なんだ……?


 既に、私の息の根を止めている筈の岩石剣が、落ちてこない……?


 その代わりに、私の耳に……いいや、私の心に響いてきたのは……とても懐かしい、『彼女』の声だった。


「え……?」

「今、君がこうして戦えているのも、今、多くの人々が応援してくれているのも……君が、ここまで頑張ったからだ。君が、ここまで諦めなかったからだ。だから、私が断言するよ────君のしてきた努力は、何一つ間違っちゃいないんだって」


 そんな、筈がない……。


 だって『彼女』は、これまで意志を取り戻す気配すら無く、回復するのは絶望的だと言われていた……だから私も、心の何処かで、彼女とは二度と言葉を交わすことは無いだろうと、そう腹を括っていたのに……。


(まさか……ま、さか……ッ!)


 顔を、上げる。


 そこには、一つの小さな後ろ姿があった。


 その生身の細腕で、振り下ろされた岩石剣を防ぎ……肩越しに、ニヤリと不敵な笑みを浮かべ、親指を立ててビシッと自身を指差す、少女の姿が。


「よく、ここまで頑張ったね、リューリ。だけど、もう大丈夫。なんていったって────この私が、助けに来たんだからねっ!」


 信じられない……。


 あの、堂々とした佇まいも、屈託の無い純粋な笑みも、人の心を鷲掴みにするハキハキとした声色も……全てが懐かしい、全てがいとおしい……待っていた……ずっと、この時を待ち望んでいた……。


「あ、あぁぁぁ……うそ……う、そ────『シオ』……ッ!!」


 この世界において、誰もが尊敬と信頼を置く、皇室から直々に皇選へと推薦された……本当の意味で次期子皇となる筈だった本物の候補者が……私たちの英雄が……。



 ────シオドーラ=マキオンが、帰ってきた……!



「よぉしっ。それじゃあ行くよ、リューリ。あたしたち二人で────こいつを、ぶっ倒してやろう!!」


 “いつも”と同じように、テンション高めに勝利宣言を繰り出すシオの後ろで……私は、ドレスの着付けをしてもらっていた時に、不意にハタが呟いた言葉を思い出していた。


(────あっ、そうそう。実はもう一つ、死神からサプライズがあったんだが……どうやら、もうちょい時間が掛かりそうでな。それは、まぁ、あとのお楽しみってことで)


 そういう、ことだったのか……どんな理屈があったのかは不明だが……そこには、やはり『彼』の姿があった。例え、今この場にその姿が無くとも、『彼』は、いつでも私の背中を押してくれていた……そう考えたら、不思議と、身体の奥底から力が沸き上がってくる。


(……長光くん、ありがとう……)


 そして……身体の回復も、無事に完了した。


 もう、大丈夫……そう直感した私はゆっくりと立ち上がり、シオと隣に並び立って、目の前のグウェナエルを見据える。



 ────決着の時は、近い。


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