第22話 異端の語らい
『記憶の欠落』……『ワスレス』の周囲に居る者たちに起こる主たる症状であり、記憶力の有無に関わらず、その者のことを必然的に忘れてしまうらしい。
現時点で、大庭園の者たちがリューリのことを覚えていられるのは、皇選の候補者として強く注目を浴びているからだろう。
ならば、何故今更になって、シオドーラに記憶の欠落が起こってしまったのか……。
「恐らく、ですが……リューリ様とシオドーラ様の繋がりが、『レイヤーズ狩り』の件で一時的に断絶した。それにより、シオドーラ様の記憶の欠落が起こったと考えられますわ」
ギルド屋敷にて、ヨシコが収集してきた情報を元に、シオドーラ=マキオンについての見解と話し合いが行われていた。
あの時、シオドーラの異変を目の当たりにした時の、リューリの衝撃を受けた顔が……どうしても忘れられない。
恐らく、リューリも『ワスレス』の特性に最初から気付いていた筈だ。だからこそ、シオドーラに記憶の欠落が起こってしまうのを、何よりも恐れていた。もちろん、純粋にシオドーラの安否を心配していたというのもあるだろうが……ほぼ毎日のように見舞いに行っていたのは、自身が忘れられてしまうのを防ぐ為だったのかも知れない。
「……」
「主様?」
「いいや、何でもない。それで、先程の話は本当なのか────グウェナエル=ジードが、『人身売買ギルド』の稼ぎ頭、オロフ=ニーブロムとやらと裏でつるんで、リューリとシオドーラのことを嗅ぎ回っているというのは?」
少々驚きの事実を提供してくれた、向かい側のソファに腰掛ける人物に改めて問い掛ける。
それは、どこか掴み所のない柔らかい笑みを浮かべ、冷たい視線を向けてくる初老の男性、イェレ=クラウス教授だった。
「私としては、君とリューリ君に繋がりがあった、という事実の方が驚いたがね。わざわざ、自分の首を絞めてしまって構わないのかね?」
「これ以上敵を増やしては面倒だからな。取り込みやすい奴にまずは手を伸ばしただけだ」
「まぁ、オロフ……あの『強姦魔』共々、見過ごせない話だがね。噂によれば、今、話にあったシオドーラ君も、彼の毒牙にかかった被害者の一人だと聞く」
「シオドーラ様が、オロフに……!?」
「……それほどの危険人物ないしは実力者、ということか。まさか、例の『レイヤーズ狩り』もそいつが……?」
「あくまで噂でね、私も詳細は知らんさ。何にせよ。表側と……それも、皇室に直接関係がある皇選候補者と関わりを持つことを、総括本部は認めるわけにはいかない。覚悟は、出来ているのだろうね?」
流石は執行者と言うべきか、一切の躊躇もなさそうな鋭い視線を突き立ててくる。彼が、俺を執行対象だと決断に踏み切れば、全ての異端ギルドが即座に俺の首を取る為に動き出すだろう。
こちらもそう簡単に命を取られるつもりはないが……今、目的の為ならば手段を選ばない異端ギルドの面々を敵に回すのは、非常に面倒だ。
選択を見誤ったか……否、彼が強力な権限を持っているのに対して、こちらもちゃんと交渉材料になるだけの切り札を、既に握っている。
「いいのか?こちらから大庭園に大々的にバラしてやってもいいんだぞ────あんたが早理優羽教授に気があるってことをな」
「よし死神君。私はなにも聞いていないし見てもいない。相談があるならば乗ろうじゃないか何か悩みでもないのかね?んん?」
(…………あんれぇ?)
変わり身早っ!
うん、まぁ、あれだ……予想以上に効果てきめんで、正直のところかなり驚いている。表情こそ変わりはないが、やたらと早口で、前のめりになって、「それだけは言わないでくれ」、と懇願している様子が全面的に伝わってくる。
考えてみれば、表社会の人間と深い関係を持つことを戒める総括本部の執行者本人が、その該当者と知られれば、彼もただでは済まないだろう。
「はーいですわっ。早理教授のどんなところが好きなのか教えてくださいませー!」
「ヨシコ君?そんな悪魔みたいな笑顔でどうしてこんな老体の鳩尾を問答無用で殴り付けてくるのかね?あの天使のような容姿からは考えられない気品と厳格さに満ち溢れた佇まいと時折見せる小さな笑顔が日の光よりも美しく感じるのだよなにか文句があるかね!?」
「イェレ教授……自身の好みをそんなに堂々と語れるお人だったなんて……わたくし、あなたのこと気に入りましたわっ!」
「君に気に入って貰えるとは光栄だ。私はなにか大切なものを失った気がするがね?」
親指を立てて嬉しそうに称賛の言葉を投げ掛けるヨシコに、心なしか顔面から生気が失せ始めているイェレ教授。
本当ならば、ここで徹底的に追い討ちを掛けるべき場面なのだろうが……彼の清々しいまでの熱愛ぶりにはどことなく共感できる雰囲気があったので、これ以上責めるのは辞めておくとしよう。
この人、多分悪い人ではなさそうだし……個人的にも、早理教授には早めに元気になってもらいたい気持ちもあるし……。
「とにかく。イェレ=クラウス教授、俺たちは協力できる筈だ。早理教授にも及ぶかも知れない危険を取り除く為にも……是非とも、検討のほどをお願いする」
そんな俺の言葉に対して、イェレ教授は深く溜め息を吐くと、「前向きに検討する」とだけ言って、重い足取りで屋敷から立ち去っていった。まだ確実とは言えないが、これで、一先ず不安要素の一つは取り除けたと考えても大丈夫だろう。
それにしても……ここに来てようやく、朧気にも皇選の全体像が見えてきた。
グウェナエル=ジード。
演説では、悪性持ちの根絶を高らかに宣言していたが、まさか、その当人が異端ギルドの悪性持ちと協力関係にあっただなんて……。
ただ、異端ギルドが関わっているのならば、尚のこと黙って見過ごすわけにはいかない。今はリューリには、マシャルが付いて回っている為、おいそれと接触することは出来ないが……なんとかして、彼女に迫っている危機を知らせなくては。
「……主様」
「うん?どうした?」
無言で考えを巡らしていた俺の隣に、ヨシコが腰を下ろして、なにやら困惑した様子で上目遣いで俺の顔を見上げていた。
すると、少しの気まずそうな沈黙の後に、意を決したようにこう尋ねてくる。
「……いえ。実は、先程までイェレ教授が居られましたたので、聞くのがはばかれたのでありますが…………主様、もしや、身体の調子が優れないなんてことはありませんの?先程から────顔色が真っ青ですわ」
「調子が、優れない……?おれ、が………………?」
その時、俺の脳裏に、リューリが不意に言った言葉が蘇ってきた……。
(なんだか、いつにも増して居眠りが増えていない?)と。
続いて、今さっきヨシコが心配そうに言った言葉が反復する……。
(もしや、身体の調子が優れないなんてことはありませんの?)と。
そして最後に、第二次公的演説が終わった直後、ハタから言われた言葉が頭に突き立てられると……。
(なぁ、けーし────オマエ、最後にちゃんと眠ったのはいつだ?)
次の瞬間。
「……ァ…………」
まるで、そこで初めて自分の持つ意識に気付いたかのように、全身がビクンッと痙攣を起こしたと思ったら……視界がグルリと一回転、そして一気に暗転し……。
「────主様っ!?」
ヨシコの悲痛な叫び声を最後に……俺は、唐突に現れた闇の中へ落ちていくのだった。
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