第6話 衝突

「我が名はペルシャ。この猫の国を統治する王だ」


 花音の耳には確かにそう聞こえた。他に音もない冷たい闇に包まれたこの場所で、その音はしかと体を振動させた。


「ペルシャ……王? 国の……王?」


 そう言ったつもりだったが、泣きすぎたせいで上手く喋れない。


「正しくは王だった、か。この姿では威厳も風格もあるまい。情けない話だ」


 ペルシャはまた鎖を鳴らした。自身の哀れな現実を確かめるように。

 大きく光る眼に活力は感じられず、太くしっかりした声もどこか力ないものを感じられた。


「ここの生活は酷く退屈で、話す相手もおらず孤独だった」


 ペルシャはゆっくりと口を動かして喋る。

 ランプに照らされてうっすら見える鋭い牙はおどろおどろしさを醸し出していた。


「人間の女よ、喋らなくていい。ここからはワシの独り言じゃ」


 花音の返事を待たずしてペルシャは語り出した。


「猫の国、マウサーは獣人と人間の身分の壁がない自由な国が目標だった。世界規模で身分の差を無くす力はワシにはない。せめてこの国の中だけでも、獣人と人間の壁だけでも無くしたい。それがワシの国作りだった」


「だが帝国のものはそれをよく思わなかった。この国に刺客を送っては人間と揉め事を起こさせ、国の治安と風紀を乱し、嫌がらせをしてきたのだ」


「そしてそれが続くと必然か、国の猫たちに不満が募り、ついには人間との親交を絶とうと訴えかける者も現れた。もともとはワシが勝手に抱いた思想。表には出さないものの、初めから人間と仲良くすることを良く思わなかった者もいたかもしれん」


「内部にヒビが入ったのを察してか、ついに帝国は仕掛けてきた。国を裏切る者も出て、ワシは捕らえられ、今ここに収監されておる」


 ニャハハとペルシャ王は牙を剥き出して笑顔を作る。


「結局ワシのエゴだったのだ。人間と獣人の壁を無くすなど、夢の話だったのじゃ」


 長く喋っていなかったのか、ペルシャの声にはどこか疲弊が感じられ、それが余計に言葉の嘆かわしさを助長させていた。


「いいじゃないですか」


 ペルシャは闇から溢れたその言葉に笑みを止める。


「エゴでも夢でもいいじゃないですか」


 花音ははっきりと、最後の涙を手で拭いながら言う。


「素晴らしいと思います。間違ってないと思います。だから、その夢は否定しないでください」


 涙で潤った瞳が明かりを反射しているからなのか、ペルシャはその目に光を見た気がした。


「あなたが諦めたら、夢すらなくなっちゃいますよ」


 ペルシャは大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出した。


「ヌシ……名前は?」


「え? か、花音といいます!」


 急に名前を問われたせいか、花音の声は少し上ずっていた。


「カノンか。ありがとう」


「い、いえ! 感謝されるようなことは何も」


 花音は両手と顔を激しく振って否定した。


 ペルシャはまたひと呼吸おいてゆっくりと切り出す。


「時に花音。先の会話を聞いていたのだが、ヌシは守護者なのか?」


 花音は二人の獣人の会話を思い出した。


「私はただの人間です。一緒にいた人に守護者の方がいて、それで勘違いしているんだと思います」


「そういうことか。その守護者は強いのか?」


「実は私も、その人たちと会ったばかりでよくわかっていなくて。それどころか、昨日この世界に転移してきたんですよ」


「んにゃ!?」


 ペルシャは猫のような声を出した。猫だけど。


「いきなりこの世界にきた見ず知らずの私を、元の世界に戻る方法を探してくれるって言ってくれて。それで一緒にいるみたいな感じで」


 花音は目と口を大きく開けているペルシャに気付いた。

 そんなに驚くようなことだったのだろうか。


「元の世界に戻る方法があるかどうかもわからないんですけどね。しかもこの世界にいればいるほど元の世界の記憶もなくなるみたいで。私どうなっちゃうんでしょうね」


 花音はそう言って笑って見せた。

 ペルシャが心を打ち明けたように、花音も不思議と口から言葉が次々と流れていった。


「ヌシ……今の話は本当か?」


 信じられないのか。ペルシャはまだ驚きを隠せない表情をしていた。


「はい。私が元いた世界は人間界? と呼ぶみたいです。えーと、人間が主に支配する世界。マナがない世界です!」


「ニャハハハハ!」


 突然の笑い声に花音は全身に衝撃を受けた。


「いや、済まない。驚きの連続で笑うしかなかった。実に興味深い。転移をした者に会うのは初めてじゃ」


 花音はまだ衝撃の余韻が残っていた。

 他に音が一切ない場所だ。ペルシャの出すその空気の振動は凄まじいものだった。


「もうこんなに大声を出して笑うことはないと思っていた。ありがとう花音。元の世界に戻りたいと言ったな。ヌシに一つ、希望を贈ろう」


「希望……?」


「この世界には意図的に転移を使い、異世界へ渡る神隠師かみかくしと呼ばれる者が存在する」


「え!?」


 今、なんて言った? 神隠し? いや、そこじゃない。

 花音は胸が激しく高鳴っていた。求めていた答えが今目の前に舞い降りたかのように。


「意図的に? ですか!?」


 花音は確認するように聞き返す。

 もう答えみたいなものだ。

 意図的に転移ができるならいつでも、好きな時に元の世界に戻れることができるではないか。

 こんなに早く見つかるとは思っていなかった。


「待て待て。興奮する気持ちも分かるが、さっきも言ったようにこれは希望であって答えではない」


 ペルシャは前のめりになる花音を抑えるように言う。


「その神隠師ってのを探せばいいんですよね? そこまでわかれば十分です! 戻る方法があるという事実だけでいいんです!」


「そう簡単に見つかるものじゃないんだが」


 ペルシャは希望に満ち溢れた花音の姿を見て、これ以上言及するのをやめた。

 会話にひと時の花が咲いて忘れていた。今この現状を打破しないことには、全て夢物語だということに。


「助けが、くるといいがな」



 猫の国の中心に高くそびえる城は、その存在感を余すことなく威厳を放っていた。

 その王の間の壇上にどっしりと置かれた大きな玉座にフライアは横柄に足を組んで座っていた。


「クク、獣王様の喜ぶ顔が目に浮かぶのぅ」


 その前方にひざまずく猪と狼の獣人。


「あ、あのフライア様。見張りの兵は全て城内の警備に当たるよう指示しましたが、本当に良かったのでしょう?」


 狼はフライアを見上げ、懸念を向ける。

 だが次の言葉は真横から甲高い笑い声と共に発せられた。


「ヒーハハ! なんだグレン! お前フライア様が間違ってるとでも言いたいのか!?」


「貴様は黙っていろモグル!」


 狼はモグルと呼んだ猪を睨みつけた。


「何が言いたいのじゃ? グレン」


 フライアはいつもの二人のやり取りを気に留めることなくグレンと呼ばれた狼に尋ねた。


「昨日の銃弾を受け止めた男。少し手合わせしましたが、只者ではありません。あんなにマナを上手く使う人間は初めて見ました」


「妾がその人間に負けると?」


 フライアはグレンを睨みつけた。


「いえ! 滅相もございません! そのようなことは微塵も」


「クク、まあよい。妾も少し予想外じゃった。レベルの低い任務でそれなりの守護者を誘ったつもりが、少し腕の立つ者を呼んでしまったらしい」


 フライアは長く太い尾を伸ばし、それに肘をついた。


「見張りの兵を入れた理由は戦力を集中させるためじゃ。相手はたった二人。いたずらに配置するより、確実に誘い込んで叩くためにのぅ」


「さすがフライア様! ヒーハハ!」


 モグルの横でグレンも笑みを溢し、こうべを垂れた。


「まあ、今ごろは屋敷で何が起きたかもわからず頭を抱えているころじゃろうがな」


「あ、そのことなんですがフライア様」


 モグルは思い出したように言う。


「守護者の屋敷からの連絡が途絶えました。恐らくスパイがバレたかと」


「なんじゃと!? 早う言え!」


「いやぁ、すみません! ハハ!」


 猪は何度も頭を軽く下げる。


「さすが単細胞の猪だ。呆れるぜ」


 グレンはさらっと罵るが、モグルは全く気にしない。


「使えない部下ばかりで手こずっているようだな」


「!?」


 その場にいないはずの声に三人は一斉に顔を向ける。


 王の間を支える柱に腕を組んでもたれる、黒いコートを着た男の姿がそこにはあった。顔のほとんどは虎の被り物で隠れている。


「サーベル様!?」


 先に反応したのはグレンとモグル。

 虎を被った男に急いで体を向け、こうべを垂れた。


「サーベル、貴様がなぜここにいる!?」


 後からフライア。その表情は歓迎というにはほど遠い。


「獣王様の指示だ。お前の様子を見てこいってな」


 サーベルは淡々と続ける。


「俺としても、お前の行き当たりばったりの国営に興味があった。案の定手を焼いているようだが」


「なんじゃとぉ? 沈黙の虎が、よく喋るではないか。妾のやり方に問題はない! 今も守護者の人間を捕らえておる!しかも女じゃ」


 サーベルは鼻で笑う。


「捕らえているのは過程の話だ。獣王様に差し出してこその結果。何の自慢にもならん」


「わかっておるわ! 自慢などしておらぬ! 経過を話しただけじゃ」


 フライアは牙を剥き出し、サーベルに食ってかかる。

 対してサーベルは常に無表情。というより深々と虎を被っていてわからない。かろうじて読み取れる材料は口元だけだ。


「見張りを引かせてわからないと思うが、お前の待つその守護者はもう城前へまで来ているぞ」


「なに?」


 サーベルはそれ以上喋ることはなく、背を向けてどこかへ歩き出した。


 フライアはすぐにグレンとモグルに目を向ける。


「計画通りじゃ! さっさと始末して女を獣王様に献上するのじゃ」


「はっ!」


 グレンとモグルは短い返事と共に立ち上がる。


「必要ならば月下げっかを使うとよい」


 フライアは妖艶に笑う。



 エデンは城門の手前で立ち止まった。

 ガイルも続けて足を止めた。


「おかしくないか?」


 エデンの問いにガイルも気付いてたのかすぐに答える。


「ああ、見張りが誰一人とていねえ」


 エデンたちは隠れて城内に忍び入る、ということは全く考えていなかった。単純明快な正面突破。来るなら来いというつもりで堂々と突っ走っていた。

 だがそんな彼らの覚悟を裏切るように、城門にたどり着くまで誰とも立ち会うことはなかった。


「逆に怪しい。まるで僕らを歓迎しているようだ」


 エデンは前方を見やる。

 城門にすら、兵は配置されていなかった。


「俺たちは誘われてるってか?」


「そういうことだな。それだけ自信があるのだろう。いつでも来いというのは相手も同じらしい」


「ちっ、舐めやがって。尚更上等だぜ」


 ガイルの闘争心は余計に燃えたようだ。

 見張りを一切使わないということは戦力を城内に集中させている意味でもある。それをたった二人でわざわざ相手の掌の上に転がりにいく。舐めているという点ではこちらも同じなんだけどな、とエデンは心の中で呟いていた。


「相手の戦力は未知数。何かあればすぐに三番隊の応援を呼んでくれ。副隊長くらいなら戦力になるだろう。でなきゃ場合によっては能力を行使する」


 ガイルはその言葉に少し眉を動かし、軽く笑みを浮かべた。


「なんだ、一応守る気ではいたのか。どうせ言っても聞かないと思って諦めてたぜ」


「まあね。ほどほどにするよ」


 二人は城門へ足を向かせた。


「それにしても立派な門だ。エデン、どうする?」


 エデンは笑顔で一言。


「爆破だ」


「了解」



 刹那、けたたましい爆音が轟いた。


「ぎゃああああああ!」


 爆発に巻き込まれたのか、複数の獣人の悲鳴が聞こえた。

 粉々に散った門の欠片が雨のように降り注ぎ、立ち込める煙でまだ視界が晴れないが、騒ぎ立てる獣人らの声でエデンはだいたいの敵の数を察した。


「結構いるぞ、ガイル」


「おう、数なら俺に任せろ」


 ガイルはエデンの前に立ち、大きく息を吸う。


「俺たちは守護者だ! 任務は乗っ取られた猫の国の救出! 大人しくしやがれ帝国軍!」


 ガイルの大声に呼応するかのように獣人たちは各々言葉をもらす。


「守護者!? なんでここに!」


「な、なんで帝国軍だとバレた!?」


「誰か裏切り者でもいるのか!?」


 ガイルは大きな笑みを浮かべエデンを見やる。


「あぁ、ビンゴだ」


 エデンも笑顔を返す。

 知能が低い獣人にボロを出させるのは容易い。

 やはり猫の国は帝国に乗っ取られていたのだと確信した。


 ガイルは手をかざし、円形の陣を浮かび上がらせた。


「大剣、烈火れっか


 ガイルの声に反応し、円陣から巨大な大剣が出現した。


「なんだあのバカでかい剣は!?」


 獣人たちは目を見開いてガイルのその大剣に釘付けになる。

 ガイルの身長と同じくらいの長さを誇るそれは分厚く、刃先が丸い。


「そんな剣で切れるのか!?」


「盾の間違いじゃねえのか?」


「数でかかれ! 行くぞお前ら!」


 最初は怖気ついていた獣人たちだが、相手は二人。

 圧倒的有利な状況に気付いたか、お互いを鼓舞して襲いかかってきた。


「烈火は斬るための剣じゃねえ」


 ガイルは片手で軽々と烈火を持ち、思い切り空を横に薙いだ。

 エデンは咄嗟に耳を塞ぐ。


空爆くうばく


 大爆発の連鎖が城全体に激しい轟音と衝撃を巻き起こした。



 王の間にいるフライアとグレンにも、その激しい音が襲った。


「なんじゃ今の爆音は!?」


「て、庭園の方か!? ちょっと確認してきます!」


 狼は急いで窓に駆け寄り、外を見やる。


「なんじゃこりゃー!! 庭園が焼け野原にぃ!?」


 変わり果てた庭園の姿にグレンは開いた口が塞がらない。


「侵入者の守護者どもか!? おのれふざけた真似を」


 フライアは犬歯を剥き出して歯軋りする。

 グレンは怒りの矛先が自分に来る前に急いで言葉を紡ぐ。


「だ、大丈夫ですよフライア様。あんな庭園全てを巻き込む爆発だなんて、どれほどマナを使ってるんだって話です! そのうちすぐにスタミナが切れますよ」


「そ、そうじゃ! わかっておる! 何も問題などない。少し腹が立っただけじゃ」


 待てよ、とフライアは何かを思い出す。


「どうされました?」


「確か守護者には爆発を操る鬼人きじんがいると聞いたのぅ」


「鬼人? ですか?」


「そうじゃ! 思い出した。守護者の三番隊長、爆炎ばくえんのマナを使う鬼人じゃ!」


「さ、三番隊!? しかも隊長ですか!?」


「近辺調査のレベルで来る者たちではないとは思ってはいたが、まさか三番隊長がお出ましとはのぅ」


「で、ですがフライア様にかかれば!?」


「当たり前じゃ!」


 フライアはグレンを一喝して爪を噛み締めた。

 なかなか面倒なことをしてくれるなと。


「グレン、地下牢にいる人間の女を連れてこい」


「は、はいっ!」


 グレンは逃げるように王の間を駆けていった。


「クク、調子に乗るなよ守護者ども。最高のショーを見せてやろうぞ」


 フライアの瞳は、妖艶な薄紫色の光を帯びていた。



「片付いた。行くぞエデン」


「さすが、やりすぎなくらいだ」


 辺り一面にはおびただしく倒れる焦げた獣人。

 きっと美しい庭園だったのだろうに、その面影はどこにもない。


「俺の爆発は連鎖するからな。対象が多ければ多いほど大きくなる」


「そうだな。まあいいや」


 今に始まったことじゃないとエデンはすぐに割り切った。

 これが相手の数など全く関係させない所以である。むしろ相手の数が多いほど威力は増すのだ。


「この広い城に二人で行動するには効率が悪い。手分けをしよう。君は正面から突っ込んでくれ。僕は別の入り口から花音を探してみる」


「了解した」


 二手に別れる手前でエデンは言う。


「油断するなよ、ガイル。相手は帝国だ。幹部クラスがいれば君でも危ない」


 ガイルは鼻で笑う。


「お前もな、エデン。女を助けたとしても、守りながらの戦いじゃ厳しいぞ」


「あぁ、気をつけるよ」



 ガイルは真っ直ぐ突き進み、正面の扉を爆発させて乗り込んだ。


「ここがエントランスか?」


 天井には豪華なシャンデリアが飾られてある。

 目線を落とすと、獣の毛で作られた綺麗な絨毯の先に品を感じさせない荒々しい毛並みの猪が立っていた。


「ヒーハハ! 久しぶりだなぁ! 昨日ぶりかぁ!?」


「あ? 誰だてめえ」


「……え?」


 モグルはきょとんとした顔でガイルを見つめる。


「あれ? 人違いでした?」


 ガイルは烈火を構える。


「空爆」


「ひぃっ!」


 モグルはガイルが烈火で空を斬ると同時に身を投げ出した。

 さっきまで立っていた場所が遅れて爆発する。


「なに? 初見でこの技を見切るだと?」


 モグルは爆風に煽られ床を転がった。


「いてて、なんだお前いきなり! さてはさっきの庭園の爆音もお前の仕業だな!」


 ガイルはまた烈火を構える。


「空爆!」


 ガイルは十字型に烈火を振った。


「うおお!?」


 モグルはまた身を投げ出して爆発をかわす。


「ヒーハハ! 俺は勘が優れているのさ! 初めて見る技でも頭より先に体が危険を察知して動くんだ!」


「なるほどな」


 モグルは軽快にステップを踏んでガイルを煽る。


「ハハ! 悔しいか? 当ててみな!」


 ガイルは烈火を床に突き刺した。


「次は床を爆発させるってか!?」


 タバコを取り出し、火をつける。


「あー!? なんだお前! 舐めてんのか!?」


 空高く飛んでいたモグルは虚しく着地した。

 次いでガイルはまた二本取り出し、火をつける。

 計三本のタバコを加え、豪快に口から煙を吐いた。


「わりーな、俺はヘビースモーカーでよ。三本同時に吸わねえとダメなんだ」


「そうか。なら仕方ないな」


 モグルは腰を低く落とし、両手の拳を床に下ろした。


「ヒハハ! タバコを吸う余裕があればだがな!」


「あ?」


「猛進!」


 視界から一瞬で消えたモグルは、ガイルの腹を捉えて頭突きを決めていた。

 鈍い音を立て、吹き飛んだガイルの体は壁を大破するほど叩きつけられた。


「足にマナをためて放つ俺の猛進。効いただろ?」


 モグルは得意げにガイルを見やる。


 ガイルは吸っていた煙を勢いよく口から吐いた。


「あぁ、悪くはない。けどタバコは吸えたわ」


「なにぃ!?」


 ガイルは腹を払いながら立ち上がる。

 その表情は痛みや驚きを全く感じさせない。


「お前、人間じゃないのか!?」


 モグルは生身の人間が受けたら即死レベルの突進をものともしないガイルを信じられないといった顔で見る。


「わかりにくいけどな。俺は鬼人。人間と鬼の混血種だ」


 ガイルは床に刺さった烈火を片手で抜いて大きく振り上げる。


「さっきお前が予想した技。今から見せるのが本物だ」


 ガイルは力一杯に烈火を床に突き刺した。

 激しい振動がエントランスに響き渡る。


「やばい!」


地爆ちばく!」


 刹那、振動を伝った床と壁が一斉に爆音を奏でた。


「危ねえ! 話に夢中で逃げ遅れるところだったぜ」


 モグルは持ち前の瞬発力で何とか爆発を回避し、宙に舞っていた。


「いや、お前の負けだ」


 モグルは鼻を刺激する嫌な臭いを感じ取った。


「なんだ!? タバコくせぇ!」


 爆風に煽られ逃げ場を失ったタバコの煙は宙を舞うモグルの周りに密集していた。


「俺の爆発は連鎖する。タバコの煙もな」


「ぎゃあああああああ」


 エントランス全てが爆発の嵐で埋め尽くされる。

 モグルの悲鳴は爆音で掻き消されて聞こえなくなった。

 ガイルは咥えた三つのタバコをつまみ、爆炎の中に放る。


「誰が三本同時に吸うかよ、けむたいわ」



 どこかで爆音が鳴り響き、衝撃によって微かに振動する窓や床を見てエデンはガイルの戦闘を察した。


「相変わらず派手にやってるな」


 エデンは視線の先まで長く伸びる廊下を進み、扉を見つけては入り、部屋を確認していたが花音は見つからなかった。


「やっぱり地下か? お城ってだいたい地下牢とかあるもんな」


 とは言うものの、地下への行き方すらわからない。

 階段を探せばいいのか、特別な部屋があるのか。何を探せばいいのかもわからない。

 今のエデンには目の前にある扉を片っ端から覗いていくしか方法は無かった。


 突然、エデンの足は着地を見失った。


「え?」


 体が浮いた。

 いや、床が開いていた。


「トラップか!?」


 行き場を失ったエデンの体は重力に従って急降下する。


「いやこれで地下に行けるのでは? 手間が省けたな」


 言うや否や、エデンの体は地に叩きつけられた。


「いてっ、なんだここは」


 落ちた先は真っ暗闇の世界だった。


「何も見えないな」


 上を見上げるが開いた床は閉じたようで、どこを見ても一切光のない完全な闇の世界だった。

 エデンは自分の呼吸する音に気付く。どうやら音もないようだ。


「なんだこれ、五感が狂いそうだ」


 エデンはゆっくりと起き上がる。

 同時に何か気配を感じ取った。何かくる。


「つっ!」


 エデンの肩を何か鋭いものが掠った。

 本能か経験か、気配を感じたエデンは一瞬それを避けるように体を傾けたのだ。

 動かなければ、間違いなく何かが肩を直撃していた。


 エデンはまた気配を感じ取る。


「いっ!」


 咄嗟に体を動かしたが、また何かが腕を掠った。


「ちっ、何かいるのか?」


「この闇の中で我らの攻撃をかわすとは大したものだ」


「!?」


 闇の中で声がした。

 エデンは敵の存在を認知し構えた。

 目を閉じる。元から何も見えはしない。この行為に意味があるのかはわからないが、気持ちの問題だ。

 視覚を閉ざしたおかげで、集中できる。


 次は二つ、くる。


「ぐっ」


 また切られた。この敵はただいたずらに攻撃をしかけてはいない。今の一方の攻撃はエデンが避けるであろう重心の動きを予想して突いてきた。


「なかなか厄介だな」


 エデンはまだ懸念があった。先の言葉。


「我ら、と言ったな。まだ他にいる可能性があるってことか」


 エデンの言葉に返事は返ってこない。


「おいおい、寂しいじゃないか、こんな暗闇の中。せめて誰か反応してくれよな」


「……」


 エデンはますます困った。

 恐らく敵はなかなかの手練れ、というよりこの環境での戦闘に慣れているとエデンは察した。

 エデンは今、わざと声を発したのだ。音による反響で敵の位置を把握するために。

 だが敵はそれに気付いて会話をしない。

 そういうことだった。


 エデンは気配を三つ感じ取った。拳を構える。


「ぐあっ」


「がはっ」


 闇の中で、二人の声が放たれた。


「はぁ、やっと一発」


 暗闇の中でわからないが、エデンはニヤリと笑った。


「こいつ、二発もともと食らう覚悟で確実に一人を殴りやがった」


「あー、でもこれは長く続かないな。普通に痛いわ」


 だが、収穫はあった。

 エデンはこんな最中、冷静に分析をしていたのだ。

 敵は何か武器を使っていたかと思っていた。

 傷痕を撫でる。これは何かに引っ掻かれたような傷だ。

 恐らく獣人だとエデンは踏んだ。

 そして先の音の振動で確かめた位置関係、この部屋には誰もいなかった。

 最後にエデンはフィリアの言葉を思い出す。


「やっと見つけたわ。猫ちゃん」


「!?」


「猫の獣人は影のマナを使う者が多いらしい」


 エデンは続けて喋り続ける。


「仕掛けてくる時は確かにいるのに、それ以外はどこにもいない。そりゃそうだ。影移動くらいできるよな」


 エデンはまだ喋る。今は誰もいないことを確かめるように。


「この暗闇は君たちにはこれ以上ない環境だな。移動距離なんて関係ない。いつでもどこでも隠れられるのだから」


「……」


「影のマナを扱う猫の獣人。もう好きにはさせないよ」


 その言葉を最後に、エデンは構える。


「お見事」


「!」


 不意の声にエデンは一瞬気が緩んだ。


「この短時間と状況下で我らの正体を暴くのは敵ながら称賛に値する」


「なんだ、やっと話す気になったか」


「敬意を表して名乗り出よう。我らは『月下』猫の三銃士」



「訳あって、貴様の命頂戴致す!」

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