黒の神隠し

早渡 あい

第1話 黒の住人

 気がつくと、いつも辺りは炎に包まれている。


 熱いという感覚はなく、むしろ暖かい。

 まるで心の中まで染み渡るような優しさを感じる温もりだ。


 しかしそんな優しさに包まれているに関わらず、私の頬には悲しみで染められた涙が伝う。


 目の前には誰かが立っている。その人を見ると締め付けられるように胸が痛み、より一層涙が溢れ出てくるのだ。


 理由はわからない。わからないのに、悲しくてたまらない。

 胸が張り裂けそうなほど、とても辛い。

 

 何度も見ているはずなのに慣れることはない夢。

 

 そして興味深いのは、これは少しずつ先が見えてくることだ。今まではただ泣いているだけだったのが、今ではその目の前にいる誰かと会話をしているのが感じ取れる。


 何を話しているのか、私が何を喋っているかもわからない。ただ会話をしているような感覚がある。


 視界が徐々に暗くなり景色が遠のいていく。

 今日の夢はここで終わりのようだ。



 朝の強い日差しを受け、私は億劫に瞼を開ける。


 視界がぼやける。視覚からの情報を整理しようとするがまだ自分がどこにいるのかも、昨夜いつから眠りに落ちたかすらもわからない。


 日の光が強く、瞼を閉じていてもその明るさは目に痛みを感じさせる。


 だがそんな悩みも束の間、嫌でも状況を理解せざるを得ない感触が私を襲った。手や足、頬に触れるくすぐったい感覚、遮蔽物を感じさせない強すぎる日差し。


 ここはどこだ。

 目を擦り、私は無理やりに視覚からの情報を得ようとして、驚愕した。


「え!?」


 辺り一面を覆うは草木。空を隠すほど高くはないが、一体を取り囲むように並び立つ木々。

 私を森の中にいると感じさせるには十分な情報がそこにはあった。


「なに!? どういうこと……」


 急いで記憶を辿ってみるが全く思い出すことができない。

 私はいつ、どういう経緯でここにいるのか。

 なぜ。思い出せない。わけがわからない。

 激しい頭痛が生じ、私は一旦考えることをやめた。起きて早々の情報量の暴力に脳が悲鳴を上げている。

 人気はない。ここにいるのは私一人だけのようだ。



 状況を整理するまであまり時間はかからなかった。

 というのも現状は単純に、朝目覚めたら森の中。である。

 脳の疲れによる思考の放棄なのかわからないが、とりあえず深く考えないことで何とか身を保った感じだ。

 そもそもどうしようにもどうしたらいいのかわからない。

 突然知らない世界に投げ捨てられた気分だ。途方に暮れることしかできない。


 助けを呼ぶ? 誰に?

 とりあえず森を抜ける?

 どこに進めばいい?


 傍にある木に支えてもらいながら立ち上がり、私は徐々に機能してきた視覚を頼りにもう一度辺りを見渡してみた。


 確かに森の中にいるのは間違いないようだが、不気味な雰囲気はない。日当たりがいいせいか、むしろ清々しい爽やかさすら感じる。

 耳を澄ませば小鳥のさえずり。風が木々を撫でて奏でられる葉のささやき。

 心地が良い。おかげで少しずつではあるが、心に落ち着きを取り戻していることが自覚できた。


「あれ……」


 私はとある違和感に気付いた。

 周りの木々と同化してわかりにくくはあるが、よく見るとそれははっきりと視界に捉えることができた。


「扉?」


 確かにそこには木と一体化したような木造の扉のようなものがあった。

 そしてそれを辿るように視線を流してみると窓や屋根のようなものも確認できた。

 まるで家のような建造物。いや、もはやこれは作品の域。

 自然の生み出した芸術のようだ。


「すごい……全然気付かなかった」


 一度確認すると早く、今までどうして気付かなかったのかが不思議なほど、それははっきりと目に焼き付けられた。

 しかしそれは同時に人がいるかもしれないという安堵と不安、交わることのない2つの感情が同時に生まれるきっかけともなった。

 

 不安の理由としてはその家の異様な雰囲気である。

 明らかに、その場所だけ空気が違う。

 言葉では説明するのは難しいが、「異質なもの」ということだけははっきりとわかる。


 もしかすると、中にいるのは人ならざるものかもしれない。


「人間を食べる魔女なんかいたりして」


 自分で言って身震いした。

 もしそうだとしたら安堵なんてない。


 でもまともな人間だったらどうしよう。

 御伽話の魔女を警戒してこの家を訪ねないのは、自らこの森を抜け出せる可能性を潰すことにならないか。


 普通に考えたら訪ねるのが正解なんだろう。

 魔女がいる確率なんて無いに等しい。

 だが少しでも恐怖を覚えてしまうと数学的答えなんてどうでもいい。妄想は悪い方へ広がっていく。


 魔女はいないにしても、ここの住人はそもそも私を助けてくれる人なのだろうか。


 実は多少の好奇心もあった。


 

 あれから何分経っただろうか。

 私は少しずつその家に歩み寄っていた。

 途方に暮れてても仕方がない。一歩一歩、勇気を出して着実に私は距離を詰めていった。


 ドアノブへと震えながら手をかける。


「鍵がかかってない……」


 なんか余計に怖い。

 決めた。ひと目見て、怖そうな人なら逃げる。全力で逃げる。そうしよう。


 鈍い摩擦音を鳴らし、私は恐る恐る中の様子を覗き見た。


 先に反応したのは嗅覚。

 ほろ苦く、渋いコーヒーの香りが鼻を刺激した。

 瞬間、人間がいる可能性が高いことを感じ、わずかだが警戒心と不安が緩んだ。


 さらに扉を開いて身を乗り出し、辺りを見渡すとそこには大量の本棚と書籍が広がっていた。


 一階から二階を見通せる吹き抜けの構造になっており、満遍なくそれらを確認することができた。まるで小さな図書館のようだ。

 

中央には客人を招く応接間のようにソファーと机が綺麗に配置されている。


 そして気付けば私の体は完全に家の中に入り込んでいた。


その時だった。


 目の前に黒い物体が降ってきた。


「きゃーっ!!」


 全身全霊で飛び跳ねた。

 脚立とともにそれは盛大に床に叩きつけられ、鳴り響いた音は私の心臓を破裂させるかの如く衝撃を与えた。


「ったく、なんだよ」


 声からしてその物体が人間の男であることがわかった。

 抱えていたであろう数冊の本を体に被り、痛みを訴えながら私をゆっくりと睨みつけてきた。

 魂が飛び出した衝撃で言葉を発することができない。

 私は塞がらない口を両手で覆い、目の前の光景を受け入れるまでただただ眺めることしかできなかった。


「どこから? どうやってここに入った?」


 男は怠そうに頭を摩りながら起き上がる。

 まだ声に力が入らない。


「人間か……あんた、名前は?」


 そんな私を気にせず言葉を畳み掛けてくる。

 

 黒髪に黒いローブのようなものを纏った男。


 そしてその全身黒コーデの効果か、彼の澄んだ青色の瞳が一際目立って見えた。



 気付けば私は部屋中央の柔らかいソファーに招かれていた。

 差し出されたホットコーヒーを一口すすり深いため息をつく。美味しい。


「コーヒー、お口に合ったかな?」


 私の心中を読んだかのように笑みを浮かべ、男は自分のコーヒーを片手に対面のソファーに腰を下ろした。


「美味しい……です」


 やっと声を出せた。しかし本当に美味しい。今まで飲んだことのないくらい、間違いなくこれは一番に値する。


「だろ? マメトカゲの鱗から作るコーヒーは格別なんだ」


 トカゲ? ウロコ? 聞かなかったことにしよう。


 私は続けてコーヒーを口にした。少し、落ち着いてきた。

 そしてまた私の心の準備を察したかのように男は続ける。


「少し、話せるかな? 僕の名前はエデン。君は?」


「私は……花音かのん江橋えばし花音です」


「変な名前だな」


 え? ちょっと今度は流せないかな。


「し、失礼ですね!そういう言い方はちょっと」


 悪いと感じたのかエデンは手で私を抑える素振りをする。


「言い方が悪かったね。ごめんごめん、あまり聞かない名前だったから」


 どこを眺めているのか、数秒遠い目をしたかと思うと何か納得したのか突然頷いて、エデンは私の目をじっと見つめてきた。


「君はどの世界から来たんだい?」


「え?」


 一瞬理解が追いつかなかった。世界?


「名前も少し変わってるし、マメトカゲを知らないような反応だ。恐らくこの世界の人間ではないのだろ?」


ちょっとこの人何言ってるのかわからない。


「んー、まあ僕が予想するに差し詰め人間界ってところかな?」


 突っ込みどころがありすぎて言葉を詰まらせた。

 人間界? なにそれ。他にどこがあるのだろうか。猫だけが住む世界とか? それとも。


「んー、人間が主に支配する世界。そうだな、マナ。いや、魔法の存在が一般的に知られていない世界だな」


 ファンタジーな妄想を繰り広げていた私にまた意味のわからない言葉を投げかけてきた。

 エデンは人差し指を立ててまた笑みを浮かべた。


「この世界には魔法がある」


 その指の先からはゆっくりと、静かに炎が生み出された。

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