「初恋はマルチ商法で」

鷹月のり子

第1話

 初恋だった男子が泣いている。その涙を見ているだけでも、私も胸が熱くて痛くて涙が溢れる。拭っても、拭っても、どんどん涙が零れた。こんなに泣いたのは、いつ以来かな。地区大会での準々決勝で敗退、それがサッカー部が残した輝かしくも、悔しくもある結果だった。

「…ぐすっ…」

 男の子がやりきって流す涙が、こんなに感動をくれると想わなかった。本当に好きになって良かった。だから私も臆病風に吹かれてないで、今週中にも告白しよう。サッカー練習の邪魔になっちゃいけないという言い訳で、先延ばしにしてきた告白を、もうカウントダウンを設定して、必ずやろう。もう逃げない。今日見せてもらった感動で、それを決めた。

「…え?」

 なのに試合会場からの帰り道で私のクラスメートが彼のそばを歩いている。とても親しげに。とてもとても親しげに。ときどき背中や肩に触り合って。尋常じゃなく親しげに。

「あの二人って、どういう関係?」

 とっさに近くにいたサッカー部員に訊いていた。告白する勇気はなかったのに、動揺のあまり気持ちがバレそうな質問をストレートにしていた。鈍い男子は勘ぐらずに答えてくれる。

「ああ、あいつら先週から付き合ってるぞ。坪田さんから告ってきて。安岡もまんざらじゃなかったから即OKで」

「……ふ…ふーん…」

 それだけ答えるのが精一杯だった。できるだけ興味なさそうに、なにより泣かないように。坪田さんとはクラスメートで、親友ではないけれど、友達になってる。そう……告白する前に教え合うような親友じゃない。ただの友達。向こうもそう想ってるし、私もそう想っていたし、私の初恋は誰にも話していない。だから、これは坪田さんの抜け駆けや裏切りではなくて、ただの私の出遅れ、駆け出す勇気がなかった者にくだった不戦敗。

「うぐっ…ううっ…うわあああん! うわああああん!」

 家に帰るなり泣いた。涙を拭う気も回らないくらい泣いた。こんなに泣いたのは初めて。

「穂都子(ほとこ)なに大泣きしてるの? フラれた?」

「お姉ちゃんなんか大っ嫌い!!」

 直球で正解してくる姉に八つ当たりでクッションを投げて自室にこもった。

 

 

 半年が過ぎて、卒業式後の謝恩会で坪田さんが私に話しかけてきた。

「松川さんは就職組だったよね。どこ決まった?」

「ハローワークだよ」

「あ、ごめん、無神経に訊いて」

「ううん、決まってるよ。ハローワークで受付の事務をする仕事」

「すごいじゃん、公務員!」

「ううん、労働局に雇われるけど、公務員じゃなくてバイト扱い。でも、健康保険はもらえる。けど、公務員が入る共済じゃなくて普通の社会保険らしいよ」

「ふーん……すごいのか、ただのバイトなのか、微妙だね」

「そう微妙。今の世の中そのものな微妙さ」

「……あはは……」

 坪田さんがフォローに困ってくれるから話題をふる。

「坪田さんは就職希望から進学に変えたんだよね、安岡くんに合わせて」

「うん、なんとか産業大学に滑り込めたよ」

「興味ある学部あったの?」

「ないけど、大学生って遊ぶから。きっと離れてると別れちゃう気がして。それに就職したら海外旅行とか難しそうだし、バイトして靖彦と旅行いきたいし」

「そっか。仲良くやってるんだね」

「まあね」

 それが高校生活で坪田さんと話した最期の会話。謝恩会のあとにカラオケがあるネットカフェへ向かう集団の中に私は入らず、坪田さんと安岡くんの背中を見送った。

「さようなら、どうか、お幸せに」

 声に出して言うことで、心に踏ん切りをつけようと頑張った。

 

 

 それから五年が経って、まだ私は初恋以来の恋を知らない。ハローワークでは、ずいぶん年上の男性から、お誘いをもらったけれど、すべて受け流してきた。

「……安岡くん……どうしてるかな……」

 我ながら未練がましいこと、このうえない。三年前には坪田さんがSNSに海外旅行でハワイに行ったことを写真つきで自慢してくれて、そこに安岡くんも写っていた。坪田さんはビキニの水着で、ハワイのビーチや料理、ホテルの豪華さを伝えてくれた。

「別に伝えてくれなくても、よかったんだけど……はぁ…」

 タメ息をつきながら本日の業務を終えてロッカーから私物のスマートフォンを出すと、とても意外な着信が2件あった。

「……安岡くんと……坪田さんから……」

 お昼休みが終わる寸前の12時50分に安岡くんから、そして17時12分に坪田さんからメールじゃなく電話の着信が入ってる。メールでもSNSのメッセージ機能でもない連絡は、いまどき珍し過ぎる。誰かの入院、事故、死亡その他ろくでもない想像をするけれど、そもそも伝え合うほどの仲じゃない。今ではSNSで、いいね!ボタンを押し合うだけの関係なのに。

「……どうしよう……どっちを先に……やっぱり安岡くんかな…」

 気持ちと着信の順にしようかと迷っていたら、スマートフォンが震えた。心臓がドキっとびっくりする。

「っ?! 坪田さん…………」

 やや迷って受話する。

「もしもし、松川です」

「お久しぶり♪」

「うん、久しぶりだね、どうしたの?」

「今、電話してて大丈夫?」

「うん、仕事は終わったし」

「さすがお役所。ごめん、私は業務の合間なの。だから、単刀直入に言うね」

「どうぞ」

「安岡靖彦に気をつけて」

「……え?」

「あいつ、マルチ商法を始めたし。恋人の私まで誘ってくるから、別れた。そして、以前のクラスメートとか部員や後輩に、ばんばん勧誘してるみたいだから気をつけて。きっと、松川さんにも声かけてくるよ。あなた、あいつのこと好きだったでしょ?」

「…そんなこと…ないよ」

「バレバレだから、今さらいいよ」

「………」

「それだけに、つけこまれないよう注意して。化粧品とか買わされるよ」

「……安岡くんはリフォーム会社の営業じゃないの?」

「だから副業としてマルチやり出したの。アホ丸出し。要注意だから、じゃ」

「………」

 坪田さんからの電話が終わった2分後、安岡くんから着信が入る。やや迷って、やっぱり受話する。

「……。もしもし、松川です」

「お久しぶり、松川さん。元気してた? 今、電話してて大丈夫?」

「うん、大丈夫、お久しぶり」

 安岡くんの声、変わってないなぁ……この声……大好きだった……。

「松川さんは、最近どうしてる?」

「仕事と家の往復かなぁ」

 会話は近況の交換から始まって、それから会って話すことになった。

「じゃあ、明後日、国道沿いのファミレス輪民で、19時に」

「うん」

「久しぶりに松川さんに会えるのを楽しみにしてるよ」

「そんな風に言われたら照れるよ」

 電話を終えると、私はタメ息をついた。

「はぁ……どうしよう。………お姉ちゃんに訊いてみよ」

 私は帰宅を急いで夕食前にお姉ちゃんへマルチ商法について訊いてみた。お姉ちゃんが酎ハイを呑みながら答えてくれる。

「マルチはピンキリというか、いろいろあるよ。そこそこマシなのから、悪徳商法丸出しなの、完全に違法なの、ちなみに私も友達に誘われてマルチの会員になってる」

「え?! お姉ちゃんが?! ケチで堅実で誰にも欺されたことないようなお姉ちゃんが?!」

「誉めてるんだと思ってあげるよ。マルチの中にも高価だけど、ちょっといい乳液とかクリームを売ってる会社もあって、一時期は名の知れた製薬会社でも子会社でマルチやってたよ。そういうとこの会員になって買うだけなら、ほぼ問題ない。友達とかに勧めても、そうヤバいことはない」

「そうなんだ……」

「でも、儲からないよ。すでに市場は飽和状態、今からコンビニやっても儲からないように、ぜんぜんダメ。単純に考えて、あるマルチ会社が100億円を売上てるとして、そのうち会社としての経費が30億円、税金やいろいろでマルチ会員には多くて40%の40億円が分配されるとして、その会員が10万人いたら、一人あたり4万円だよ。でも、会員はピラミッド構造で上が多く取り、下は少しだけ。そりゃ新入会員より長く活動してる人が報酬多いのは当然だよね。上が一人で300万円も取ったら、下はどう? で、そういう構造ができあがってるとこに今から入って、どう?」

「ぜんぜん無理」

「でしょ。これが、まだマシなマルチ。悪徳なのになると、多くの報酬を上層部がえるため、下に買い込ませる。50万円とか100万円とか、化粧品いっぱい買っても仕方ないし。個人でそんなに売れないし。健康食品でも何かの機器でもいっしょ」

「違法なのは?」

「ネズミ講とかマルチまがい、って言って商品が存在せず、お金だけが回るシステム。これは詐欺に近いから、やると上は逮捕される。下は被害者で済むけど、友達を誘ってると恨まれる。人間関係は、はい、おしまい、ちゃんちゃん」

「そっか……」

「誰に誘われたか知らないけど、そいつが穂都子にとって、どうでもいいヤツなら放置、大切な人なら目を醒まさせてあげればいいよ」

「うん、わかった」

 頼りになるお姉ちゃんで良かった。

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