その少女Blueを知る

不溶性

小夜子

 自身の、理解の範疇にとどまらないなにかが起こったとき、小野小夜子はあらゆる感覚器官を外界からシャットアウトするという行動に出る。それこそ、我々の理解の範疇にとどまらない妙技で、なにも見えずなにも聞こえず、触感も失う。姉の長身の全身にふりかけられる香水の濁ったにおいも、その時の彼女には感じられない。

 


 無口な小夜子にとって梅雨は、四つだけではない季節の中で最も好ましい期間だった。世界のすべては、傘を叩く雨粒の音。わざわざ自分が口を開かなくたって、生まれる沈黙は受け入れられる。

 小夜子は五月、十六歳になった。

「小夜子、ジュース買ってく?」

 小夜子の右手を握っている姉・美帆の声が、高いところから聞こえた。十九歳の美帆の身長は180㎝近くあって、彼女の頭は小夜子の30㎝ほど高いところにある。二人が並んで歩くと、姉妹というより、母娘に見える。

 小夜子と美帆は最寄り駅のプラットホームで快速急行を待っている。一か月前に迎えた小夜子の誕生日を、隣県の祖父母がどうしても祝いたがったので、美帆の休暇を利用して足を運ぶことになった。

 最寄り駅といえどもバスで十分はかかる道を彼女らは歩いてきた。いつ小夜子の全感覚が途切れても問題の起きないように、外出時には誰かが必ず彼女の手を握っていなければならない。妹の手と、傘と、一週間分の荷物と。十九歳の二本の腕ではとても持ちきれない。小夜子のさすただ一つの傘に入ってきたのだが、美帆の身長には高さが足りなかった。美帆は腰を折り、それでも体の半分が濡れてしまった。青色のワンピースがその色を、右肩から半身を濃く変えている。

 数分前に彼女らは、行き先掲示に各駅停車と書かれた電車を見送った。小夜子は乗り物に弱く、すぐに酔ってしまうため、乗車時間を短縮したかった。

「ううん、大丈夫。お茶を持ってきたの」

 小夜子は言った。小夜子の人見知りは肉親に対しては働かなかった。飛び跳ねて、背中の小さなリュックサックを揺らす。がらんがらん。多めに入れておいた氷が水筒の内壁にぶつかった。

「じゃあ、私にも少し分けてね。なにせ一時間も電車に乗ってなくちゃならないんだから」

 小夜子は頷いた。

「遅いねえ、あと二分もしたらくるって、お姉ちゃん言ってたのに」

「ああ、変ね。この駅は本数も多いはずなんだけど」

 風が小夜子のおかっぱ頭をかき乱した。白い肌と黒く光沢をもつ髪が奇麗なコントラストを生み出して、小夜子の存在はどこか、浮いている。美帆はよく妹に対してそのような感情を抱いた。小夜子はこの世界から浮いている。

 

 

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