あの子

妻高 あきひと

第1話  あの子

 秋のある朝、高校生の浩平はいつものように駅に通じる地下道を歩いていた。

人通りが多い、ちょうど通勤通学の時間帯で地下道が一番込むときだ。

長い地下道で、しばらく行くと先のほうで左にカーブしている。

そこを過ぎて階段を上がればすぐ駅だ。


 浩平が壁伝いに歩いていると、2、30メートルくらい先に人ごみの間から小学生らしい女の子が立っているのが見えた。

左側の壁に向いてくっつくように立っている。

通る人のじゃまになると思っているのか、壁に向かってじっと立っている。

そのせいか、みな女の子に当たらないよう、よけながら歩いている。


女の子は白いメトロ帽をかぶり、白いブラウスの襟が見える紺色のジャケットとスカート、白いソックスでタイツをはき、小さな黒い靴をはいている。

赤いランドセルを背負い、そのベルトを胸にしまうように両手で持っている。

おかっぱ頭らしいが、前かがみでランドセルと帽子と髪に隠れて顔は見えない。



そのときは特に気にもならなかったので、そのまま通り過ぎた。

カーブのあたりで振り向くとまだ立っていたが、人通りに隠れて女の子はすぐに見えなくなった。

夕方学校の帰り、同じ場所を通ると、いなかった。


 あくる日、いつものように地下道に入った。

相変わらず人通りは多い。

しばらく行くと浩平の目に赤いランドセルがちらっと見えた。

(昨日の子か、またいる)

浩平は昨日の朝のことを思い出した。


同じ場所で同じ服装で同じ姿勢でそこにいる。

そばを通り過ぎカーブのあたりで振り返ると、人の流れの中に女の子の白いメトロ帽と赤いランドセルだけがちらっと見えた。

今朝も前かがみで壁にくっつくように立っていて顔は見えない。

夕方、地下道を通るといなかった。

なぜあそこで同じ姿で立っているのか、どういうことなのか、浩平なりに考えたが納得のいくような答えは出ない。


 日が替わり朝がきた。街にも人が増え始めた。

浩平はいつものようにあの地下道に入ったが、人通りは相変わらず多い。

ただ今日はいつもとは違って少し早い時間に家を出てきた。

もちろんあの子が今日もいるかと思ってのことだ。

浩平は考えている。

(あの子はいるかな、今日いれば三日連続だ)

浩平は歩く速度を少し落として歩いていく。


その場所が近づいてくる。

なぜか呼吸のリズムが変わっているのに気が付いた。

(いくらなんでも今日はいないだろう)

浩平はそうあってほしいと思った。

気になってしようがないのだ。

人通りに少しすき間でができ、その場所が少し離れている浩平からも見えた。


すると赤いものがちらっと見えた。

まさかと思いながら浩平はゆっくりと近づいていく、大人たちはどんどん追い越していく。

足早に歩く黒いスーツやコート姿の大人たちの向こうに赤いランドセルが見えた。

あの子は、いつもと同じ場所で同じ服装で同じ姿勢でそこに立っていた。

今朝もピクリとも動かない。まるでマネキンが立っているようだ。

浩平の胸がドキンドキンと胸打っているのが分かる。

(なんだよ、この子は)


あの子のそばを通りすぎる人は生徒も大人も何の興味も示さない。

でも、見えていないはずはない。

みなよけて歩いているのは、あの子に気づいているからだろう。

でも現実は浩平とあの子の二人だけの世界にいるようにも思える。

(こんな感覚は初めてだ)

と浩平は思った。


浩平がすぐ後ろを通るとやはりいつもと同じで顔が見えない。

ただ今朝はうなじが少し見えた。

肌の色というよりも血の気の無いような青白い肌だった。

浩平の胸に焦りと、何か闇の中をさまよっているような感覚が湧きあがってきた。

声をかける勇気がないまま、通りすぎてカーブのあたりで振り向くとまだそこに立っている。

人ごみがすぐにあの子を隠した。

その日の夕刻、そこを通るとやはりいない。


家に帰って両親や妹にも話してみようかと思ったが、落ち着いてみればそれほどのことでもなさそうだし、話すのもやめた。

あの駅から乗る友人はおらずいつもは一人だが、明日の朝は手前の駅から乗る友人をさそって一緒に地下道を歩くことにした。


 その日の朝、友人はひと列車早く来てくれて一緒に地下道を歩いてみることになった。昨晩あの子のことを言うと大した興味も無いようだった。真夜中ならともかく、通学の時間帯に女の子が駅の地下道に立っていたって不思議はないから当然だ。


とにかく一緒に行ってくれよと言いながら二人は地下道に入った。

相変わらず人は多い。その場所が近づいてくる。浩平はじっと見ながら歩いている。

とそのあたりへ行ってもあの子はいない。

友人はこの辺りか、と言いながら浩平と一緒にあの子を探したがいない。


「どこにもいないよ、そういう都合でそこに立っていただけだろう、いこうぜ」

浩平もどこか腑に落ちないながらも安心した。

何でもなかったんだ、と浩平は安心しながらカーブのあたりで何げなく後ろを振り返ったときだ、浩平は一瞬背筋が寒くなった。


あの子がいる。

探していた浩平たちの心を見ぬいていたように、そこに立っている。

人ごみの中で、浩平と女の子の間に道ができたように、あの子が見えるのだ。

いつもの姿でいつもの姿勢で立っている。確かにあの子がいる。

だが道はすぐに消え、あの子は人ごみに隠れた。


浩平の様子がおかしいので友人がどうかしたのかと聞いた。

浩平は

「女の子が見えたけど気のせいだろう」

友人はつま先立ちで見たが人ごみで何も見えない。

「戻ってみるか」

と友人は言ってくれたが、浩平が断った。

(戻ったら、きっと消えている)

と思ったのだ。

何か分からない不安と恐れを浩平は感じている。

その日の夕方もやはりいなかった。


浩平は思った。

(明日は土曜日だ。朝はほとんど人がいない。あの子も学校へはいかないはずだ。

もしもいれば勇気を出して声をかけてみよう。土曜日にもいたら絶対におかしい。

足があるから幽霊じゃないだろうけど、やはりおかしい)


 あくる土曜日の朝、駅への地下道の階段を浩平が下りていく。

人通りは少しあるが、まばらで遠くまで見通せる。

(ああ、これなら見通せる。人もいるし、怖いことはない。万一の時は大声で叫べばいいんだ。よし浩平は男だ、行ってみましょう)

浩平は自分を奮い立たせながら歩き出した。

半分は怖いけど半分は探検隊の気分だ。


まばらでも人通りはあるので位置を変えながら歩いていく。

いつもあの子が立っている反対側の壁に身体が自然と沿いながら歩いている。

地下道の向こうまで見通すが、誰もいない。

(やっぱりいない。何でもなかったのか)

そのとき前からくる女性の三人連れとぶつかりそうになって前が見えず左へ出た。

その瞬間だった、浩平の顔色が変わり全身に恐怖が走った。


左側の壁、それも浩平のすぐ斜め前に赤いランドセルを背負ったあの子が立っている。

(あの子だ)

今の今までいなかったのに、すぐそこに立っている。なぜだ。

同じ場所で同じ服装で同じ姿勢で同じように顔を隠すようにしてそこに立っている。両手はやはりランドセルのベルトを持って胸にしまうようにしている。


浩平は恐ろしくなって走ろうとしたが足がいうことをきかない。

おまけに地下道を斜めに横断するように足が勝手に動いてあの子に近づいていく。

あの子のすぐ後ろまでくると足が勝手に止まった。

でもあの子は動かない。浩平が見ると呼吸すらしていないように見える。

なんとか声を出そうとしたが声が出ない。自分の体から血の気がひいていくのがわかった。


だが今日は左の横顔と手がわずかに見えた。

うなじと同じで横顔も左手も青白い。

浩平は好奇心が強い。

怖いながらも顔をのぞきこもうとしたとき、すっと風が吹いた。

黒髪が何本もふわっと揺れて横顔を隠した。

やはり浩平の心を見透かしている。


浩平は恐怖に襲われた。

足は、動いた。

走って逃げた。

ゆるいカーブを曲がって壁の陰からそっと見るとまだ立っている。


(ありゃなんだ、なんだ、なんなんだ)

浩平は家に帰ろうとしたが、家に帰るには地下道を戻らなきゃならない。するとまたあの子のそばを通ることになる。このまま駅に上っても帰れるが、浩平は考えた。

(あの子、いつも朝はいるけど帰りにはいない。いついなくなるのか、どこへ帰るのか、動けば顔も見えるはずだ。このままじゃ明日から地下道も歩けなくなる。今日はここであの子の様子をみてみよう)


浩平は壁の陰からまたのぞいた。

女の子はまだいた。

とつぜん後ろから声がかかった。

「浩平ちゃん、おはよう。なにしてんの」

振り返ると近所のお婆さんだ。

土日のように人通りが少ない日には、よく地下道から駅を通り抜けて散歩している。

杖をつき、肩から巾着袋を提げて後ろに立って浩平を見ている。


浩平は言った。

「ああびっくりした。おはようございます。この向こうに赤いランドセルを背負った女の子がいるんですけどね、いつもああやって顔を壁に向けてこの時間に立っているんですよ。じっとして動かないし、おかしな子でちょっと見てようかなと思って」

「へえ、そう」

と言いながらお婆さんはカーブから出て前を見ていたが、浩平に向いて言った。

「だ~れもいないわよ」


浩平が出てみると、いない。

姿を消していた。

「いなくなってる」

と浩平が言うと、お婆さんはきょとんとしながら言った。

「今日は土曜日、どこかへ行くの」

「いいえ、あの子がいるかと思ってきただけだから」

「そうかい、わたしゃ行くからね、車に気をつけてね」

と言うと、お婆さんはそのままさっさと地下道を歩いて行った。


(あの子はまた姿を消した。

でもあの場所から地下道を向こうにいけば五分くらいはかかる。

こっちにくるわけはないし、地下道は一本道だ。でも消えた。おかしいな、おかしい、やっぱりおかしいよ)


浩平はしばらくそこに立っていたが、珍しく地下道に人通りが途絶えた。

誰もいない、世界が終わったように静かだ。

浩平は思っている。

(誰もいないし、さびしくていてもしようがない、帰ろう。しかし明日も月曜日からも同じことが続くのか、幻想かな、オレ頭がおかしくなったのかな、こまったな、月曜日もいたら駅の人に言ってみるか)


浩平は目を床に落とし、あれこれ考えながらカーブを曲がると、すぐ前に誰かが立っていてぶつかりそうになった。

一瞬、お婆さん?と思ったが違った。

足元に小さな黒い靴が見えた、浩平は血の気がひき恐怖に包まれた。

浩平は恐ろしさに身体が動かない。

必死で目を少しづつ上げていく。

白いソックスにタイツ、紺色のスカート、白いブラウス、紺色のジャケット、白い帽子をかぶり、横からは黒髪がだらっと垂れている。

顔は下を向き、防止のつばに隠れて顔は見えないが、襟から青白い胸元がちらっと見えた。

そして背中には赤いランドセル、


あの子だ。

それも手がとどく前に立って自分を向いている。

おそらくこの子にはこっちが見えているのだろうと浩平は思った。

浩平は恐怖で混乱してきた。

この子は誰なんだ、これからどうなるんだ。

浩平は顔が引きつり、心臓が止まりそうだ。


するとあの子はランドセルのベルトから小さく青白い両手をゆっくりと離して上にあげ、左右の髪を下からすくうように持って、顔をそっとあげた。


地下道に浩平の悲鳴がひびきわたった。

































  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

あの子 妻高 あきひと @kuromame2010

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ