殄滅

湯藤あゆ

「レミア、これから礼拝か」

「そうだよ」

レミアと呼び掛けられたエルフの青年が振り向く。

「ジャックも来ればいいのに。あそこ、いつも餅をくれるから昼飯なら向こうで食べればいいじゃないか」

ジャックという青年は快活に返した。

「いや、俺は雑草抜かないといけないからいいかな。農作物が育たなくなっちまう」

ルーシェルは、多種族の侵略を免れて暮らしているエルフたちの村だ。エルフは潜在能力が高く、農耕や狩猟で生計を立てていける。これ以上、何も望んではいなかった。ここで彼らは恬澹な生活を送っては従順に神に祈りを捧げていた。しかし、近年になってその辺鄙な村の付近を「スカルダ」と呼ばれる山賊の集団が屯するようになった。彼らは人間であるにもかかわらずオークの村を滅ぼすなど、奇妙なまでの強さと残虐性を持っていた。彼らに襲われるかもしれない、という恐れからエルフたちは殆ど遠くの都へ出ることがなくなった。しかし、「スカルダ」はルーシェルという村の存在を知らないらしく、略奪の対象にはされていないようだった。しかし、一度目を付けられれば全滅は免れないだろう。

「お兄ちゃん」

「ん?なんだ、ソフィア」

レミアの妹のソフィアが話しかけてくる。村の女性は皆心洗われる美しさを持っているが、取り立ててソフィアは幼気で可愛らしい娘だった。

「私、そろそろ都に行きたいな」

「ダメだよ。ローレンの世話はお前の仕事だろ?何より、今は『スカルダ』がいるから」

ソフィアは不満げに唸って、手にかけられたお守りを握りしめる。このお守りは、ソフィアが7歳の時にレミアから貰ったものだった。

「『スカルダ』の奴らは、俺たちの教えを冒涜している。殺生、略奪、淫蕩、…酷すぎる。一度でも犯せば地獄に堕ちる『鼎鑊』の罪まで平然と…」

「まぁ、いいじゃねえか。行かせてやれよ」

そう言って話に割り込んできたのはジャックだった。

「でも、ジャック、あいつらは…」

「俺がついてくよ。大丈夫だよ、お前よりかは強いし、ソフィアちゃんも安心だろ?」

「…うん」

「村の防衛隊での地位は俺の方が上だろ」

レミアは不服そうに呟いている。

沈んだ顔のソフィアを見てジャックは心配になってしまう。

「どうしたんだよ、そんな顔して」

「お兄ちゃんと行きたかったよお」

「しょうがないだろ?」

しかし、レミアは二人の会話を遮る。

「…いや、…待ってくれ。やはり不安だ。ジャック、先にお前が仲間と一緒に都の様子を見てきてくれ。大丈夫なようだったら、…俺達も行く」

翌日、ジャック達は糠雨の降り頻るルーシェルを発った。


道中、ジャックが見たもの。

血腥い殺戮。ジャックの仲間たちは皆、惨殺されてしまった。


ジャックが村に帰ってきたのは、ある夏の暑い日だった。ジャックは小さな手押し車のようなところに乗せられてカラカラと押されていた。その光景を目の当たりにしたレミアは震えだした。しかしやがて、

「ジャック!!」

と呼び掛けた。しかし返事はない。見向きすらしない。レミアは手に待っていた果物カゴも投げ出して駆け寄った。しかしジャックは見向きもしなかった。

「どうしたんだ、…狩りの時にやられたのか?」

「無駄だよ」

手押し車を押していた礼拝堂の主が遮る。

「彼はもう死んでいる」

「…え?」

しかし、瞬きは絶えない。呼吸もしている。ジルバは状況を未だに理解できなかった。

「彼の魂はとうに天へ昇ってしまったのだ。彼は何もできなくなってしまった」

震える手を抑えて、礼拝堂の主に聞く。

「…一体どうしてガロアはこんなことになってしまったのですか」

そう言いつつ、彼は分かっていた。「スカルダ」の仕業であることが。しかし、彼は信じたかった。ジャックが山賊に殺される、それが許せなかった。狩りの時に魔獣に殺された、彼の魂は満足に天に登っていった、そう信じたかったのだ。

「『スカルダ』だ。奴らがやった」

しかし、回答はあまりに重たいものだった。忿怒と、喪失感と、悲しみと、鬱悒と、恐怖と、憎悪と、諦念と、…。

そこはかとない絶望がレミアを襲う。

「でも、なんで…なんでジャックが?」

か細い声でなんとか訊く。

「わからない。ただ、ジャックは自らの仲間たちが略奪され殺される光景を見、自分も攻撃を受けたことで強い精神的ショックを受け、精神が死んでしまったのだ。ここにはジャックはいない、あるのは肉体のみだ。人形と同じだ」


ジャックの肉体は礼拝堂で荼毘に付されたらしい。ジャックは藻掻くこともなく燃えていったそうだ。 レミアは、あのジャックの「人形」となった姿をこれ以上見ないようにと葬式には参列しなかった。


それは土砂降りの早朝の報せだった。

「ソフィアが、攫われた?」

レミアは言葉を失った。いよいよ、「スカルダ」に村の場所が勘づかれたようだ。


「ぅ、…ぉ、…にい…ちゃ………、た……た……ぅ、ぁ」

「何言おうとしてんのかわかんねえよ」

淡々と吐き出される声とともに飛んでくる衝撃。エルフ特有の白い肌は見る見るうちに青痣に染まっていく。

「…ごめん…、なさ…」

言い終わるかどうかのタイミングで男たちはソフィアを激しく甚振り始める。彼女の体には生傷や蒼痍が絶えず、特に腹から腰までは血が滲んで内出血し、黒い泡が立ち込めていた。無論、ソフィアの身体は何度も男たちに欲求の捌け口として使われた。シルクのようになめらかな四肢は柱に括られ、彼女の明るい笑顔はすっかり失われた。代わりに暗澹とした、死への恐怖に怯えたような顔をするようになった。

ある時、山賊たちがいつものようにソフィアの体を繰り返し殴り付けていると、ソフィアの身体が動かなくなっていたことに気づいた。彼女の表情は悲痛に曲がり、見るに絶えない顔のまま目から血を流して死んでいた。

「あー、死んじまった」

「誰が殺した?殺したら碧核の質が落ちるじゃねーか」

「肉は食えるだろうがよ」

山賊たちは話し合っていたが、頭領の男が「黙れ」と怒鳴りつけると、山賊たちは一斉に会話をやめた。

「碧核は早く取れ。質が落ちたら高く売れなくなる。肉は食えるかもしれないが、そんなもんにこだわることはねえ。貰えるとこだけ貰って川にでも流せ」

そうしてソフィアはバラバラの「人形」になってしまった。

そして川は流れる。

…やがて、それはルーシェルの隅の小川に漂着した。

「…手首?」

ある猟師がそれを見つける。お守りを握りしめたまま引きちぎられた手首が、小川の畔に流れ着いていたのだ。


「もう我慢できない」

レミアは父にそう漏らした。レミアの目は復讐や憎悪の一言では言い表せない深い赤に染まっていた。手には、畔から持ってきたばかりの色の抜けたお守りが握られていた。染料が溶け出し、レミアの指の間から赤い液が流れ出る。

レミアの父は黙っていた。しかし、やがて一言何か呟いたのち、父は弓矢を持って山へ向かった。レミアは父に着いて行った。ただ、純粋な殺意とともに。


レミアは、「スカルダ」の2人の男の喉元を牙のナイフで切り刻んだ。2人の男は瞬く間に息絶える。しかし、男たちに囲まれ、レミアは押さえつけられてしまった。

「離しやがれ!この屑共が!!!お前らがソフィアを殺しやがったんだろうが!!!!!ふざけんじゃねぇ!!死ねぇぇッッ!!!死ねェェッッッッ!!!」

最早高潔なエルフとは思えない、狂犬のような姿のレミアを見て、笑い転げる人間たち。

「おうおう、なかなか勢いがあるなァー、ハハ」

「でも、コレを見てもまだそんなことが言ってられるのかなぁ?」

何かスイカぐらいの物がレミアの足元に転がる。

血の海をかき分けて転がってきたそれは、父の生首だった。父の首は、死んだことで苦しみから逃れられたというような、最早死を求めるような顔をしていた。そのまま、半分開いた眼をレミアに向けていた。

「…この腐れ外道共ッ…」

突然、後ろから鈍い音がする。と同時に、激しい痛みが走った。

「か、…」

レミアは倒れ込んだ。眼は充血し、どこまでも忌々しそうに男を見つめる。

深紅に染まった背中に馬乗りになり、

「全く、良い依頼だよな、エルフの内臓から碧核だけ奪って売りゃ良いなんてよ」

よな、こんな楽な仕事ねえや。ん?にーちゃんまだ生きてんのか?悪いけどよお、碧核は頂くぜ」

レミアは何か言おうとしたが、声が出なかった。間もなく、再び短剣がレミアの背中に突き立てられた。背骨に金属が触れてゴシャ、という音がする。その時、

「あぃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぃぁぁぁぃぁぁぁぁぁいぃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!ひぎぇ、ぎ、ぁぁぁぁあああああああーーーーーーー!!!!!」

レミアは突然叫び出した。脊髄に走る神経が切れ、その拍子に脳に衝撃がかかり、発狂したのだ。軈て、彼は内臓に迸る痛覚の奥の方で、必死に藻搔いていたが、そのうちにその声は途絶え、それと同時に、脈動も停止した。


レミアは2人殺したので、天国には行けなかった。

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殄滅 湯藤あゆ @ayu_yufuji

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