第3話 散歩中の犬が経験値にしか見えない
窓を突きやぶり庭に出た俺は、塀を跳び越え道に出た。
早朝の住宅街は、幸いなことにまだ人気がなかった。とにかく、ここから離れなければ。
家の中から少年の声が聞こえるが関係ない。俺は走り出した。
「ぜえ……ぜえ……」
だいたい3分くらい経った頃、40を過ぎた男の足腰が悲鳴を上げ始めた。無理だ。もう走れない。立ち止まり、膝に手をついて呼吸を整える。
「ちょっとあんた、そんなに息切らして大丈夫か?」
顔を上げると、ジャージ姿のおじいさんが、心配そうにこっちを見ていた。手にリードを握っていて、彼の足元には白いふさふさの毛をたくわえた中型犬が尻尾を振っている。
「いや、すいません、ちょっと、久々に全力疾走したもんで……」
息を荒げながら答えると、おじいさんはのんびりした口調で言う。
「そうかい、朝は運動にもってこいだからな、ははは」
おじいさんは朗らかに笑った。しかし、俺の眼には、彼の隣で尻尾を振る白い犬しか映っていなかった。
この犬、ホグワットの森に生息していた魔獣シェパーズにそっくりだ。
反射的に、拳に力が入る。シェパーズは普段大人しいが、尻尾を振り回している時は気をつけなければいけない。奴らがこちらに襲いかかろうとしているサインだからだ。
たたかう?▼
いや、たたかうな俺。こいつはただの人畜無害な飼い犬だ。
どうぐ?▼
やめろ俺。火炎玉の残量を確認しようとしなくていい。
だめだった。異世界の大地で20年の間培った戦闘の経験値が、考えるより先に体を動かしてしまう。
「うおおおお!!」
思いきり拳を振りかぶる。敵の脳天をロックオン。やられる前にやるのが勝負の鉄則だ。腰を捻って、思い切り拳を振り下ろす。
「うおおおお――、」
得意技・ハンマーナックルが犬に直撃する瞬間。俺は、ここが日本だということを思い出した。
「お、大きい犬ですねェ……」
直撃ギリギリのところで拳を解き、頭をやさしくなでなでする。いきなり飼い犬に殴りかかる狂人ではなく、道行く動物とスキンシップをとらずにはいられない好人物だと認識させることに成功したはずだ。危なかった。間一髪。
「そうだろ?昨日8歳の誕生日をお祝いしたんだ。立派な子だよ、ははは。」
「そ、そうなんですか、はは……」
柔らかな毛並みを優しく撫でる。犬は舌を出して尻尾をぶんぶん振った。人懐っこいのだろうか、とても可愛げのある子である。
あと少しで経験値に変えてしまうところだった。
「あんた、さっきより汗がすごいことになっとるぞ。ハンカチ貸してやろうか?」
「いえ、大丈夫です。持ち歩いてるので――って、あれ」
いつもの癖で腰の右をまさぐろうとした。が、ない。肌身離さずつけていたウエストポーチがなかった。
まずい。どこかで落としてしまったのだろうか。あのポーチは、大切な魔術書が入っている。絶対になくしてはいけない代物なのだ。
「どうした、何かなくしたのか?」
うろたえる俺を見て、おじいさんが心配そうに尋ねた。
「いえ、大丈夫です。ハンカチも、気持ちだけありがたく受け取ります。それでは!」
ポカンとするおじいさんを尻目に、目を皿のようにしながら来た道を引き返す。
おそらく、走ってきた道中のどこかに、ポーチが落ちているはずだ。あれだけは、必ず見つけなければいけない。
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