6-9
次に目が覚めた時、俺は見知らぬ室内に座っていた。
四方を囲む灰色の壁。
天井から吊り下げられたランタンが、俺と俺の周囲を小さく照らしている。
立ち上がろうとしたが、身動きが取れない。
見ると両手に両足。それと胴体に縄が巻かれ、椅子に括り付けられていた。
「気がついたようね」
目の前にあった鉄製の扉。
その向こうから聞き覚えのある声が、覗き窓からは見覚えのある目がのぞいていた。
覗き窓が閉じると、重々しい音を立てながら、扉がゆっくりと開かれた。
現れたのはいわずもがな、ヴィオラだった。
「ここは」
「秘密の地下室よ。私と数人の部下以外は、誰も知らない場所」
「助けを呼んでも無駄か」
「やってみてもいいわよ。声を届けられるものならね」
ヴィオラは肩をすくめて、扉を閉める。
「俺を殺すのか」
「だったら、こうして呑気に話しているわけはないわね」
「なら、どうして殺さない」
「貴方に死んで欲しくない人がいるから」
「誰だ」
「目の前にいるでしょ。馬鹿ね」
ヴィオラは腰に手を置いて、ため息をついた。
「貴方がやった馬鹿なことも、私と部下以外誰も知らない。誰かが口を破らない限りは、外に漏れることはないわ」
「部下を信用しているんだな」
「私を裏切るより死を選ぶ。そういう連中なのよ。私の部下は」
「都合のいい駒ということか」
「忠誠心の厚い優秀な兵士と言って欲しいわね」
ヒールを鳴らして、彼女は俺の前に立つ。
俺を見下ろすヴィオラの目も、薄く歪めた彼女の唇も、何ら変わらない。
唯一変わっているのは、彼女の格好と、彼女の纏っている凍ついた殺気だけだ。
「殺さないのなら、どうして俺をここに置いている」
「貴方に説教をしようと思ってね」
そう言った途端だ。
彼女は手甲をはめた右腕を握りしめ、俺の顔を殴りつけた。
口の中が裂けて、舌に血の味が広がっていく。
たまった唾液を吐き出すと、床にべっとりと赤黒い血がこびりついた。
「貴方は馬鹿だってことは知ってたつもりだけど、私の知ってた頃よりずっと馬鹿になってるみたいね」
さらに一発。今度は逆の頬だ。
口の中に硬い何かが転がった。
歯がかけたようだ。
鈍痛が頬を伝い、顔の半分が痺れる。
「貴方、自分が何をしたか。わかってるの」
「ああ、わかってる」
「いいえ。わかってない。でなきゃ、こんなことをやろうとするはずがない」
ヴィオラは俺の襟首を握ると、顔を近付ける。
「貴方が裏切れば、私までその報いを受けることになる。自分のせいで報いを受けるのならまだ理解はできるわ。でも、他人の失態の尻拭いで死ぬのなんて、まっぴらごめんなの」
「だったら、俺をお前たちの組織にやればよかっただろ。ブロクソスの、連中に」
ヴィオラの顔は、その言葉よりも正直だった。
顔はひきつり、彼女の瞳は小刻みに揺れ動く。
「……何のこと」
「どうやら、本当にお前はあいつらと関係しているようだな」
「何を根拠に、そんなことを」
「お前の顔さ。お前は動揺すると瞳が揺れる。それにな。わずかだが頬の筋肉が跳ねるくせがある。とうに治っていると思ったが、相変わらずのようだな。ヴァイオレット」
口にたまった血を吐き出しながら、ヴィオラの顔をのぞいた。
彼女の顔には余裕はなかった。表情を殺し、口惜しそうに唇を噛んでいる。
「癖を治せと、昔お前に言ったことがあったな。再会する前に、直しておくべきだった」
ヴィオラはヒールの踵で、俺の足を踏みつけた。
鋭いかかとが的確に骨を砕く。痛みが全身を駆け抜けた。
悲鳴をあげないように、奥歯を噛み締める。
痛みが治るのを待たず、ヴィオラはさらに鳩尾を殴りつける。
息が詰まり、視界がかすむ。
「組織の名前を知ったからって、どうにかなると思ってるの」
「どうにかなるんじゃない。どうにかするのさ」
「……まさか、あの時の馬鹿を、再現しようってんじゃないでしょうね」
その時のヴィオラの顔には、呆れと動揺が同時に浮かんだ。
俺はその顔を見て、自然と笑ってしまった。
「どうだかな」
「やめときなさい。今度は無事では済まなくなるわよ」
「それは、今の俺をみて言うべき言葉か」
「私はまだ優しい方よ。むしろ、このくらいで済んでるだけ、ありがたいと思うことね」
「このくらい、か」
歯が数本。肋骨。それに足の骨。このくらいと言うには、少し骨が多いように思う。
こんなことを言えば、また余計におられるのは目に見えている。
だから、俺は黙って肩をすくめた。
ノックの音が聞こえてきた。
ヴィオラはため息をつきながら、扉を開く。
外には黒服の男が立っていた。
彼はヴィオラに耳打ちすると、彼女に頭を下げ、すぐにその場を立ち去った。
「ちょっと用事ができたわ」
「ブロクソスからの呼び出しか」
「貴方に関係ないでしょ」
つっけんどんに言うと、彼女は部屋を出る。
「ブロクソスの銀行家、知っているか」
彼女の背中に言うと、踏み出された足がピタリと止まった。
そして彼女はため息をつくと、部屋に戻ってきて扉をしめた。
「ベンジャミンから聞き出したのね」
「知っているのか」
「名前だけはね。でも、どんな人間かはわからないわ。年齢、性別、職業に居住している場所。すべてが謎に包まれてる」
「だが、ベンジャミンとマフィアはその男について知っていたようだ」
「どうだかね。銀行家は簡単に身分がバレないように、いくつもの替え玉を持ってる。ベンジャミンたちが何を知ったか知らないけど、大方その替え玉の誰かを銀行家と勘違いしたんでしょ。そう簡単にわかるほど、銀行家は馬鹿でも間抜けでもないわ」
「本当に、そう思うのか」
「ええ。思ってるわよ。……もういくわ。あんまり遅くなると、私の立場が危うくなるから」
背後でに扉を開けると、彼女はするりと部屋を出る。
「ベンジャミンは、どうなった」
扉を閉める間際、彼女は肩越しに俺を見て、
「死んだわ。今頃ねずみの餌にでも、なっているんじゃない」
と言った。
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