最強庭師の暗殺復帰
小宮山 写勒
一章
1−1
人間とは樹木のようだ。
生という太い幹を中心に、様々な可能性が、枝葉になり左右に伸びていく。
花が開くもの。
途中で枯れてしまうもの。
そもそも長く成長しないもの。
一本の樹木には、様々な生と死が結びついている。
伸びた枝木に剪定葉のハサミの刃を当てる。
しっかりとグリップを握ると、音を立てて枝木が下に落ちていく。
いま、一つの可能性が殺された。
そんな考えが、ふと俺の脳裏をよぎった。
「なに難しい顔、してんだよ」
俺の肩を男がこづいた。
名前はフィリップ・レズノフ。年齢は俺の五つ上。
黒髪に混じった白髪と、年々広くなるおでこが、彼の一番の悩みの種だ。
「ほら、そこまだ伸びてるぞ」
フィリップの指が、俺の斜め上を指差した。
指を辿っていく。
青々とした葉をつけた樹木の、頂点の少し横。
そこから、ひょっこりとはみ出た枝木を見つけた。
「ちゃっちゃと片付けちまえよ。もうすぐお貴族さまが、ここを通るんだから」
お貴族様。
呼び方とは打って変わって、彼の口調からは、一切の敬意を感じない。
皮肉、嫌味、あるいは侮蔑、偏見。
トゲのある感情が、隠されることなく、フィリップの口をついて出る。
貴族がここを通ったって、別に支障があるわけじゃない。
そう思ったが、どうやら顔にもそれがでてしまったらしい。
フィリップは嘆息すると、わざわざ呆れた顔を作って、俺を見た。
「いいか。あのお貴族さまに見つめられてみろ。俺たち庶民は固まって、頭を下げるしかない。うちのガキと同じ年頃の連中に、頭を下げるんだぞ。それが、どれだけ情けねぇか」
「下げてやればいい。別に、減るものじゃない」
そう言ってやれば、フィリップは目を細めた。
珍しいものを見るように。
あるいは、そういう俺を忌避するように。
「お前はいいかもしれんが、俺はまっぴらごめんだね」
これ以上言っても意味がない。
フィリップはやれやれと首を振って、脚立を肩にかける。
「先、戻ってるからな。早いとこ、済ませろよ」
工具箱を片手に持つ。
そして、手をひらひらさせて、フィリップはその場を離れていった。
俺は彼の背中を見送ると、倒した梯子をもう一度、立たせてやる。
足場が安定したことを確かめると、梯子に足をかける。
一歩、二歩。
慎重に、しかし、慣れた足取りで、昇っていく。
頂上から数えて、二段目。
頂上を跨いで、もう一方の段に足をつける。
そして、切り忘れた枝を見た。
枝には今にも開きそうな葉が、三つ生えている。
もう数日もすれば、鮮やかな緑を、大空に向けて広げるだろう。
裁ちばさみの握りを、両手に持つ。
そして、三つ葉の根元。
細い枝の部分を、二つの刃の間に挟む。
はさみで枝葉を断つと、三つ葉は地面へと落下した。
下には、いくつもの枝葉が落ちていく。
三つ葉はその中に紛れ、混ざり、わからなくなった。
梯子を降りて、それをまた地面に置く。
茜色に染まる空に、鐘の音が響いた。
見ると、時計塔が午後の5時を指している。
フィエイル騎士学校の、一日の終わり。
その時間がもう、やってきてしまった。
時計塔に付けられた大きな鐘を見上げていると、扉の開く音がした。
見れば、並木道の先にある扉が、大きく開かれてる。
現れたのは、制服を来た男子女子たちだ。
下は13歳から、上は18歳まで。
背丈も人相も、肌の色も種族さえも違う。
色とりどりの肌、髪色を眺めながら、俺は静かに頭を下げる。
じゃあね。
さよなら。
また明日。
頭の上で、子供たちが口々に、別れの言葉を残して去っていく。
それは、俺にかけられたものではないことは、わかっている。
靴の爪先がこっちに向かないのが、その証拠だ。
彼らの目には、俺はいない。
そこらにある並木の樹木のように。
ただそこにあるだけの、ものでしかないのだ。
「お疲れ様、ジム」
だが、彼女だけは別だった。
わざわざ俺の前に、爪先を向けて、立ち止まってくれる。
顔を上げてみれば、そこには黒髪の女子が立っていた。
女子の名前は、カタリナ。
カタリナ・フランシス・ビルゲート。
数々の騎士を輩出してきた名門、ビルボード家の長女。
17歳の、大人に片足を踏み込んだ、姫騎士だ。
彼女のことは、小さな頃から知っている。
カタリナの父親に、世話になったことがあるからだ。
だが、彼女はそれを知らない。
もしくは、憶えていないにちがいない。
彼女が知っているのは、庭師として働く、ジム・フランコという男だけだ。
「お疲れ様です、お嬢様」
俺が言うと、彼女はにこりと微笑んだ。
彼女のすぐ後ろには、彼女を慕う女子たちがいる。
彼女たちは俺を、いぶかしげに見つめている。
「お行きになったらどうです。ご友人たちが、待っておられますよ」
俺は視線で、カタリナの後ろの女子たちを指した。
「ええ。それじゃ」
カタリナは軽く頭を下げ、女子たちを連れて、正門の方へと歩いていく。
街へ出かけるつもりなのだろうか。
彼女たちの背中を見ながら、そう思う。
それと同時に、カタリナの大きくなった背中を見て、少し嬉しく感じた。
いつの間にか、あの子はあんなに大きくなった。
時の流れは残酷だが、彼女の元気な姿を見ると、少し気持ちが晴れる。
まるで叔父になったかのような、心境だった。
何を考えているんだか。
自分で自分がおかしくなった。
さっさと枝葉を片付けてしまわなければ。
俺はいそいそと作業をして、そして宿舎へと戻った。
その夜のことだ。
カタリナが誘拐されたと言う、報せが届いた。
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