第5話

 田中が部屋に戻ると、1日ついてきていた木菟にさんざんに責められた。

「クビにしてどうするんだよ!また恨まれるだろ!そしたら焼き殺されるルートだろ!」

「だからと言って、前田さんのところに謝らせにいくわけにもいかないだろう?解雇しなかったら、結局オーナーや前田さんの圧力で、美冬さんは前田さんのところに謝罪に行かないといけなくなるんだから。」

「そりゃそうだけど…にしても何なんだよ!あの胸糞野郎は!」

 木菟も気づいたらしい。前田が美冬に粘着していることは、<死に戻り>の前から、田中もわかっていた。だからできる限りシフトをずらして会わずにすむようにしたり、前田が来た日は美冬を厨房に下げたりと、できる限りの対処をしてきた。だが、前田はオーナーの知人兼出資者の権力を思うぞんぶん行使して、美冬につきまとい、暴言を繰り返していた。いつか取り返しのつかない事件が起きるだろうと、田中は予期していた…ただ、今まで2人の間で積もり積もったものが爆発したのが今日だった、というだけだ。


「けどもっといいやり方があるだろ。せめて恨みをかわないようにさ…。」

 木菟の怒りの矛先がまた自分に戻ってきたのを感じ、田中はかぶりを振った。

「いや、あの方がいいんだ。あの子にとっては…」

(もうそろそろ、教えておくか…)

 訝しむ木菟を見て、田中は思う。

「木菟。俺はね。美冬さんに殺されたんじゃないんだよ。」

「は!?」

 素っ頓狂な叫び声を上げる木菟。

「美冬さんが殺そうとしたのは、俺じゃない。美冬さん自身だよ。俺は、美冬さんの自殺に巻き込まれて死んだんだ…」

 


◆◆◆


 あの時、死んだときの炎の情景が、脳裏によみがえる。


 田中は帰ったあと、たまたま財布を店に忘れたことに気づき、戻ったのだった。 

 そこに美冬がいた。彼女は店の床に灯油をまいて、火をつけるところだった

 

 -…店長!逃げて!

 

 叫ぶ美冬に、田中は必死に手を伸ばした。

 ライターの火は一瞬で燃え上がり、昼間の太陽より明るい炎がフロアを走った。


 田中はとっさに窓に椅子を叩きつけて割り、美冬をそこから突き飛ばした。


 割れた窓から入った空気で、炎が勢いを増した。猛烈な熱風が吹き付けて…自分は逃げ遅れた。


◆◆◆



「ちょ、ちょっと待て!そういうことは早く言えよ!」

 木菟は狼狽気味に、田中の話に割り込んだ。

「それなら話は簡単だろ…別に、9月9日に火災現場にいなければいいだけなんだから。そうすれば美冬が死んで、お前は生き延びる。死者の数のつじつまも合うし、美冬への復讐も…え?」

 木菟は言いながら、話の不自然さに気づいたようだった。

「復讐…復讐?美冬の焼身自殺にたまたま巻き込まれて、美冬を助けて自分は死んだんだったら…。」


 美冬に復讐する理由が、なくないか…?

 木菟の問いかけに、田中はこくり、とうなずく。


 ただ自分の死を回避するだけなら、簡単だった。あの時、店に戻らなければよいだけだ。

 そうすれば美冬が死に、田中が生き残る。死者の数は変わらないので、<管理人>に出された条件も満たしている。

 

「俺が<死に戻り>を決めたのは、復讐のためじゃないよ。」

 

 木菟にはあえて説明はしていなかった。が、ここまで話したなら同じだろう。別に隠しておこうと思ったわけでもなかった。


「俺が<死に戻り>を決めたのは…美冬さんを救うためだ」

 


◆◆◆

 死に戻る前、美冬を解雇したのは、前田が死んだあとだった。

 前田が死んでから、確かに美冬の様子はおかしかった。いつもより表情が暗く、つまらないミスを連発する。挙動不審と言ってもよかった。警察も美冬を疑っており、オーナーに至っては完全に美冬が犯人だと決めつけていた。田中自身は美冬の潔白を信じていたが、オーナーの圧力に負けて、美冬を解雇したのだ。

 そのときの、人目もはばからず涙を流し、頽れたー…手ひどく追い詰められた美冬を見て。

 田中は、強く後悔した。


(こんなことになる前に、もっと早く解放すべきだった。逃がすべきだった。)


 木菟は「恨みをかわないために美冬を解雇しないべきだ」と言い張ったが、田中は逆だと思った。

 <死に戻り>前は、美冬は直接前田の家に謝罪に行った。これは事実だ。そして、おそらくはそこで何かがあった。美冬が前田を殺したかどうかは別として。

 とにかくその晩、前田は死んだし、美冬は自殺を決行するところまで追い詰められた。


「美冬さんを救うためには、まずもって美冬さんの自殺を防がなければならないからね…」

 おそらく、9月2日、2人の店でのトラブルが最後のチャンスだった。もっと前に遡れれば、もっと早い段階で手が打てたかもしれない。手を打つといっても、この職場で前田は田中以上の権力者であり、前田を美冬から引き離す方法は、美冬に店を辞めさせるくらいしかなかった。

 ともかく、ここで美冬を「解放する」ことで、少なくとも美冬が前田の家に謝罪をしに行く状況は回避できた。

「それで…」

「美冬さんが前田さんに謝罪しに行く、というイベントが防げれば、彼女が追い詰められて自殺しようとして大けがをするのも防げるし、他の焼死事件の疑いがかけられるのも防げる、っていうわけ。」

 ついでに俺も死なずにすむしね、と田中はおどけて肩をすくめた。

「美冬を助けたところで、死者の数はどうするんだよ…誰かが死ななきゃいけねぇんだぞ。」

「まぁ、俺自身は人生に未練はないし…もともと俺が死ぬんだから。」

「じゃあ結果、変わらないじゃないかよ…<死に戻り>しなくても、どうせお前が死んで、美冬が生き残ってただろうが。」

 

 木菟のもっともな指摘に、田中はあいまいに微笑んだ。

 確かに、美冬は生き残った。だが、ひどい怪我を負った。女性にとって、一生跡の残る火傷とは、どれだけ残酷なものだろうか?

 そして何より、美冬はこの放火によって、田中を殺した「殺人犯」になった。同じような焼死事件である前田の事件についても、いよいよ美冬が犯人であるとみなされるだろう。今、木菟が「美冬が前田を殺害した」と決めつけているのと同じように…。

 田中は美冬の人柄を知っているからこそ、殺していないと信じられるが、何も美冬のことを知らない人があの前田の美冬に対するいびりだけを見て判断すれば、かっとなって殺したのだと思ったとしても何の不思議もない。

 放火殺人は罪が重い。2人の命を放火で奪ったとされれば、一生を償いで終える可能性が高い。

「ただ生きていればいいってものじゃないよ。彼女には、幸せに生きてほしかったんだ。」

 

 美冬さん、と田中は声に出して呟いてみる。

 彼女は、田中の人生の、ほぼ唯一と言ってもよいともしびだった。

 自分が死ぬことより、彼女の人生が壊れることの方が、耐えられなかった。


「そもそも美冬さんが、あんな状態まで追い詰められてしまったのは、店長である俺の責任だからね…。」

 田中の言葉に、木菟は、度し難い、と言いたげな表情でかぶりを振った。

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