田島さんちの三姉妹は仲が悪い

小谷杏子

出し抜け!大掃除場所取り争奪戦

 嵐の前の静けさとは事が起きる前に訪れる不気味な静けさのことだが、実は知らぬうちに始まっていることもある。うかうかしてたら食われかねない。だって、この世は基本的に金と権力で成り立っているから。

 田島たじま小粋こいき、十七歳。欲望に忠実で金欠きんけつな女子高生。そんな私には妹が二人いる。中二の千早ちはやと小六の久遠くおん。どちらも金にがめつい欲深よくぶかな性格だ。

 そんなが田島家は半年に一度、大掃除イベントを行う。これはお小遣こづかいアップを賭けた争奪戦だ。いかにママの高評価を得るかが勝利の肝。これに勝利すれば、いまのお小遣いから百円アップするほか、ボーナスとして千円が支給される。


 早朝、五時。

 ママが起きる前に私は一階へ降りて、キッチンの様子を見に行った。

 換気扇かんきせんとシンク、壁を重点的に掃除したい。しかし、時間をかけてはいられない。量をこなすか質を求めるかはママのさじ加減。それなら量と質どっちもこなせばいいだけのこと。

 私は昨晩から仕込んでいた細長いお名前シール、特製「こいきシール」の場所を見取り図と照らし合わせながら余裕よゆうたっぷりに居間の扉を開けた。

「――んん?」

 なにやらキッチンに人影が。

「起きたか、小粋」

 静かに言うのは末っ子の久遠。暗い室内でキッチンの光に照らされる割烹着かっぽうぎ姿の妹が、脚立きゃたつにのぼって換気扇を外していた。

「ふっふーん。昨日から場所取りしてたみたいだな。だったら、先に起きて『こいきシール』をがせばいい。名付けて、横取り作戦だ!」

 なんてことだ。私の作戦が全部読まれていただと……恐ろしい。十二歳とは思えない狡猾こうかつさに私は脱帽だつぼうした。

 が、しかし、

「バレたんなら仕方がない……」

 長女の恐ろしさを思い知らせないとダメだ。

 私はおもむろに脚立をにぎり、久遠をふるい落とす勢いでガタガタと揺さぶった。

「はぁぁっ? うそ、やだやだ、落ちるぅ!」

「さっさと落ちろ!」

「こっわ! そんな無表情で揺らすなぁっ!」

「おまえさえいなければ楽勝なんだよ。毎年毎年、私の邪魔じゃまばかりしやがって」

 そうだ。思い返せば、久遠は年を重ねるごとに手強てごわい相手になっている。前回の大掃除はこいつの卑怯ひきょうな手口によって勝利を許した。今日はそういうわけにはいかない。

「ちっ、しぶといやつ」

 ガタガタ揺らしても久遠は脚立から絶対に動かなかった。こうなったら、こいつごとキッチンから追い出そう。私は脚立を引きずった。

「実力行使!」

「このバカゴリラぁっ!」

「なんとでも言え! 言っとくが、今日はおまえがどんな卑怯な手を使っても、私が必ず勝つ!」

 宣言せんげんすると、久遠は脚立の上でむくれた。しかし、すぐになにかをひらめく。

「フンッ……まぁ、いいけどね。せいぜい頑張がんばりなよ、小粋おねーちゃん?」

 ねっとりと腹立つ言い方をする。

 この久遠、これまで私に勝とうとあれやこれやとエキセントリックな仕掛けをしてきた。しかし、勝率はそうでもなく前回のお盆と去年の年末に勝っただけ。そのうちの一回は泣き落とし作戦で情に訴えるというゲス同然の所業を見せた。プライドは最初からなく、ただただ末っ子というポジションをフルに発揮はっきする。

 久遠は脚立から降りて、あっかんべーをしながらどこかへ消えた。

 とにかく、久遠が消えたうちにここをなんとしても死守ししゅしなければ。

 私は念のため「こいきシール」をチェックした。うろうろと家の中を徘徊はいかいする。いまのところ「こいきシール」がおびやかされる様子はない。

 そう言えば、千早が起きてこないな。あいつも一応金欠だし、そもそも一度も勝ったことがない。ゆえに、中学二年になってもいまだに小遣いは初級の五百円のままだ。

 久遠に比べたらせこいわけでも厚かましいわけでもなく、比較的おだやか。早朝から場所取りに精を出す姉と妹に構わずスヤスヤと安らかに眠っているんだろう――

 そう思いながら二階のトイレを開けた。

 するとそこに眠りこけている千早がいた。

「きゃあぁぁぁぁっ!」

 思いもしない登場に大声で驚く。すると、階下から久遠が走ってきた。

「どうした!?」

「千早が……」

 開いたドアを覗く久遠も凝視する。千早は毛布にくるまり、トイレのフタの上でちぢこまって寝ていた。

「うーわ、ドン引き。場所取りするにも限度がある」

 久遠が呆れて言う。

「まさかこいつ、一晩中ずっとここにいたわけ? バカなの?」

「って、風邪かぜ引くわ。おーい、千早。起きなさい」

「んー? なに、もう朝?」

 よだれを拭いながら千早が目を覚ます。そして、私と久遠の姿を見るなりトイレの便器にしがみついた。

「ここはわたしの場所だぁ! 指一本触れさせないんだからね!」

「うわ、執念しゅうねんがすげぇ。いや、体張って守られてたら、さすがに取らないよ」

 私もそこまで鬼じゃない。久遠も呆れた様子で目を細めている。対し、千早は人間不信の猫みたいに威嚇いかくする。

「だってだって、わたしが朝弱いの知ってて、二人して朝早く起きて場所取るじゃん! わたしだけ五百円はもうヤなのー!」

 千早の言い分に、私と久遠は顔を見合わせた。

 今日で第十回を迎えるイベントだが、いまや掃除場所は早いもの勝ちだ。朝が弱いのは致命的とも言える。これにようやくりた千早は昨晩からトイレに立てこもるという作戦をとっていたわけだ。

「ちっ、余計よけいな敵が増えたな」

 久遠がボソボソと言う。

「ほんとだよ。知恵をつけやがって」

 私も苦々しく言う。

「二人がゲスいだけでしょ! この金の猛獣もうじゅうどもめぇ!」

 千早も負けてない。それを言うなら金の〝亡者もうじゃ〟だからね。いや、誰が亡者だ。

 午前五時三十八分――こうして、ルール無用の大掃除争奪戦が改めて開幕した。


 ***


 我が田島家は二階建てだ。広さは三十八つぼという平均的な広さ。大掃除場所は基本的に洗面所、風呂、トイレ、窓、階段、和室、庭、駐車場、ベランダ、キッチン、床。いかに効率よくかつ丁寧ていねいにこなすかが重要。

 私は家の見取り図を広げた。頑固がんこな油汚れがあるキッチンと赤カビのある風呂はおさえるべき。

 一ヶ月前からチェックしていてよかった。ママは掃除が苦手なので、こういうところはおざなりにしてしまう。だから半年に一度の大掃除でも手応てごたえのある場所と言える。

 私は準備運動をした。学校のジャージに着替え、髪の毛もひとつにまとめる。気合は充分じゅうぶんだ。

 今日のルートはまず換気扇をいまから重曹じゅうそうで汚れを落とす。庭におけを用意しているので水を張っておき、同時に一階の窓拭きをする。窓拭きをしながら庭の草むしりもこなし、ついでに風呂場の換気扇も外しておく。名付けて、同時進行作戦。

 だが、あの久遠が私よりも早く起きていた。昨夜マーキングしていた場所をことごとく自分の手中におさめようとしていたしあなどれない。

 千早は知らないけど。というか、あいつは起きてからもトイレにたてこもっている。熱心にトイレ掃除をしているけど、ママはそこまでトイレに興味きょうみはない……というのは、教えないでおこう。

「あ、しまった! エアコン忘れてた!」

 思わず頭を抱える。

 エアコンには堂々と「くおんシール」が貼ってある。これに、久遠が「ふっふーん」と勝ち誇ったように相棒あいぼうの脚立にのぼってエアコンを分解し始めた。

「て言うかさ、今日中に全部終わるわけ? こいきシール、どんだけ貼ってんだよ」

「できるよ。できなきゃ意味がないじゃん」

「無計画にあれこれ手をつけても質が悪かったら勝てないのに」

「それくらいわかってますぅ」

 ムカつくので脚立をもう一回ガタガタ揺らしておく。久遠は「うわぁ」としがみついた。そうして茶化ちゃかしながら、私は窓を開けて外に出る。

 すると、なにやら庭先で「フンッフンッ」と荒い息遣いが聞こえてきた。のっそりと大きな背中が見える。

「お、おはよう、小粋! 気持ちのいい朝だねぇ」

 巨体を抱えながらパパがさわやかにあぶらぎった笑顔を見せてきた。

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