第28話 労基のないブラックな職場



 何事もなくお泊り会が終わって数日後。


 俺は霞が関の『異特』が占有するフロアを訪れていた。

 今日は個人的な野暮用だが、用事の前に事務室の扉をノックして中へ。

 そこでは伽々里さんと、なぜか夜泊さんが死んだ顔でパソコンで作業をしている最中だった。

 俺が入ってきたことにも気づかず二人は無言でキーボードを叩き続ける。

 話しかけるかどうか迷ったが、手土産もあるので意を決して口を開く。


「——おはようございます」

「——んえ? 京ちゃん? どーしたんですかあ?」

「……京介くん? あれ、もう朝? 今何時?」

「十一時を回ったくらいです。それより、まさか二人とも徹夜でここにいたんですか? 滅茶苦茶眠そうですけど」

「そうなんですよ……この職場に労基なんてものは存在しませんから」


 伽々里さんの笑顔には力がない。

『異特』は性質上、公務員と同じように扱われるので労基は適用外だ。

 ……見方によればかなりブラックな職場であるが、今の事案が終われば少しまともな生活になるだろう。


 地祇さんがその辺の調整はするはずだ。


「ところで、今日はどうしたんですか? なにかお仕事でもありましたっけ」

「個人的な調べものですよ。ああ、そうだ。差し入れを持ってきたんですよ」


 手に持っていた紙袋を伽々里さんに手渡すと、中身を覗き込んで、


「あっ! これ、水面庵みなもあんの水羊羹じゃないですか!」

「前に好きだって言っていたので。原宿でのことで面倒もかけましたし、ちょうどいいかと」

「よかったね、佳苗。私も一つ貰おうかな」

「あーっ! 私も、私も食べます! 京ちゃんも食べましょう!」

「……そういうことなら、遠慮なく」


 やけに押しの強い伽々里さんに負けて、用事の前に一息入れることに。

 我先にと子供のように水羊羹の容器を手に取って目を輝かせる伽々里さんを、夜泊さんと眺めながら蓋を開けて食べ始めた。


 付属の小さなスプーンで掬って口へ。

 滑らかな舌触りで、しっかりとした餡の甘さが伝わってくる。

 なんか緑茶が欲しくなるな。

 伽々里さんは一口ごとに頬を緩ませてうっとりと目を細めていた。

 反応を見るに満足してくれたらしい。


 あっという間に食べ終わり、残りは名残惜しそうに共用の冷蔵庫へとしまわれた。

 多めに買ってきているから誰かが持って行っても問題はない。

 伽々里さんが全部食べたそうにしていたが、それはそれ。


「——それで、京ちゃんの用事って?」

「前に『白虎』って異能者の話がありましたよね。ちょっと自分でも調べておこうと思いまして」

「いい心がけね。私の調査だけじゃ限界はあるし、多角的に情報を仕入れるのは大切よ。もちろん自信がないとかではないけれど」

「てことは『異特』のデータベースですか。あそこなら異能の詳細も調べられるはずですよ!」

「助かります。学院で戦闘したとき近接戦で押し切られかけたので、なるべく多くの情報が欲しいんですよ。それと……もう一人の男についても」


 学院の地下にいた目ぼしい敵勢力は『白虎』と長身痩躯の男、そして賢一。

 どれも報告は上げたが、事前に調べておいてもいいだろう。

 特に『白虎』を連れ去った長身の男の異能。

 恐らく『転移テレポート』の類いだと推測されるが、間違っていた時のしっぺ返しが怖い。


「じゃあ、俺はそろそろ失礼します」

「はーい。何かあったら聞きに来てねー。多分、今日は帰れないから」

「そうね。自営業にこの仕打ちはないわよ。地祇さんには絶対残業代を請求するわ。労働なんてクソよ。覚えておきなさい」

「あー……体には気を付けてくださいね」


 満身創痍の二人に送られて、俺は事務室を後にする。

 そのままの足で向かうのは同フロア内にある情報室。

『異特』関係者がデータベースを閲覧するための部屋は、本日も閑散としている。

 この手の作業は伽々里さんが受け持つことが多いが、様子を鑑みるに伽々里さんの助力は得られないだろう。


「……まあ、そんなに時間かからないだろ」


 そんな風に考えながらパソコンの席に座り専用のパスを打ってログイン。

『異特』専用のデータベースを開き、優先的に探すのは学院で戦った『白虎』と長身痩躯の男について。


 情報をもとに検索をかけ徐々に類似の能力や顔立ちで絞り、遂に見知った人物を発見する。


「これか。林道泰我、異能強度はレベル9『白虎変化シェイプシフト・ティガー』。世界中の紛争地帯を荒らす異能傭兵。実戦経験も豊富……道理で強いわけだ」


 実戦で磨かれた戦闘センスってことか。

 強化系エクステンドの異能だったから近接戦は互角くらいなだけで、適切な距離を保っていれば問題なさそうだ。

 肝心の距離をを取るのが厳しいけど、そこは何とかしよう。


 懐に入り込まれれば俺でも危険だ。

 俺の『重力権限グラビティ・オーダー』は念動系キネシス……身体強化の度合いは『白虎』よりも低いと思われる。

 流石に圧縮した重力の壁を突破されるとは思わないが、油断して足を掬われないとも限らない。


「一応、過去の戦闘映像もあるみたいだし見ておくか」


 動画をクリックして再生する。


 頭に戦いの癖などを叩きこむため、数十分ほど『白虎』の戦闘動画を流す。

 銃火器は当然としてRPGや迫撃砲、空爆なんかも飛び交う戦場を、男は意に介さず駆け巡る。

 上半身を虎のように変化させ、次々と敵兵士を屠っていく。

 人間が瞬時に血と肉に分解されるスプラッターな光景が広がった。


 生身の人間はおろか、異能者すらも鎧袖一触で殺戮は続く。

 レベル9という圧倒的な力で戦場を支配する姿は弱肉強食の世界に君臨する捕食者を彷彿とさせる。

『異特』で対抗できそうなのは俺と地祇さんぐらいじゃないのか?

 ……普段は働かないあの人なら完封できそうだけど、考えないことにする。

 今は珍しく別の場所で仕事中らしいから来れないはず。


 有栖川の刃は通らなさそうな耐久力をしているし。

 『白虎』は強化系エクステンドの『異極者ハイエンド』でなければ互角に戦えてしまうだろう。


「あのドーピング剤も加味すると……かなり危険だな」


 もし、仮に。

 レベル9が『禁忌の果実アップル』を使った場合、『異極者ハイエンド』の領域へ届く可能性は十二分にある。

 そうなれば、とうとう覚悟を決めるしかない。


「……美桜に話だけはしておこう。あの力を使うのは気が進まないけど、安牌を取るなら必須だ」


 それは俺という存在が表向きには秘匿されている理由であり、最大の秘密。

 知っているのは美桜と地祇さん、それと凪先生だけ。

 多分、タイミング的に奴の耳には届いていないはず。

 データとしても残していない正真正銘の鬼札かつ諸刃の剣。


 これに勝てる異能者は世界最強を名乗っていい。


「怒られるならまだしも、泣きついて美桜が現場まで着いてきかねないのが心配だ。どうにか説得しないと……か。とてつもなく気が重い」


 残念なことに美桜の協力がなければ成立しない。

 美桜は俺にとっての天の楔。

 どこまでも妹に頭が上がらない兄である。


「『白虎』はこれくらいでいいか。次いこう」


 怪しい痩躯の男を探して、再び電子の海を彷徨う。


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