第27話 影の夜は更けていく



「――クソがァッ!!」


 泰我は苛立ちのままに腕を振るい、手近なコンクリートの壁へ拳を叩きつけた。

 レベル9の身体能力で繰り出されるそれは容易に壁を抉りとり、砕けた欠片が四散する。

 壁には大穴が開き、隣の部屋と直通になってしまった。

 それでも怒れる虎の激情は収まらない。


 原因は先日行われた学院襲撃時の敗北。

 泰我は無様にも戦闘不能にさせられ、目覚めたのは二日後だった。

 目覚めてからも数日は体が動かず安静を余儀なくされて、泰我の精神は限界に達している。


 強さこそ全ての傭兵家業で生きる泰我にとって敗北は死と同義だ。

 十代後半から世界各地の紛争地帯を駆け巡り幾多の修羅場を身一つで潜り抜けてきた泰我は、レベル9としても破格の強さを手に入れた。

 いつしか『白虎』と呼ばれるようになり、強さに違わぬ自信を己の異能に寄せている。


 だが、今回の一件は人生最大の失態だった。

 学院襲撃の大目標は達成したが泰我本人は一対一で敗北し、多数の人員と『禁忌の果実アップル』に関する情報を失う結果となった。

 それだけに留まらず、雇い主に助けられ生き延びたとなれば――築き上げてきた経歴とプライドが崩壊する。


 舐められたら終わりの世界。


 かつてない崖っぷちに立たされていた。


 そんな所へ、


「――あんまり暴れないでくれないかな。地下が崩落しては僕達は生き埋めになって死んでしまう」

「……チッ、ジジイか」

「まだ40後半さ――っと、こんなことを話に来たのではない。君を負かしたのは僕の息子にして『異極者ハイエンド』、佐藤京介だ。巷では『暁鴉ぎょうあ』とも呼ばれているらしいじゃないか」

「アイツが、『異極者ハイエンド』? ——はっ、ハハハハハッ!!!! そうか、そうだった!!」


 泰我は突然、腹を抱えて笑い出した。

 さっきまでの不機嫌はどこへやら、泰我の表情は愉悦ゆえつを湛えている。

 学院で戦った男を思い出した泰我は生きている幸運を噛みしめていた。


 恥も外聞も関係ない。


 泰我が最優先に望むのは、心躍る闘争。

 他のことは自分の行いで得た副産物に過ぎない。


 そうだ、と傭兵稼業を始めた理由を思い出す。


「俺が生きてるのは何のためだ? 強ぇヤツと戦うためだろ? 雑魚百匹をひき殺すよりも、猛者一人を死力を賭してぶっ殺すほうがクソ愉しい。それが『異極者ハイエンド』ともなれば、格別だ」


 泰我は戦いだけを望んでいた。

 異能強度レベル9『白虎変化シェイプシフト・タイガー』——並大抵の人間には太刀打ちできない異能で、数々の戦場を蹂躙してきた。

 その末に、泰我は『白虎』と恐れられる流浪の異能者として地位を築いた。


 だが、そのどこにも『異極者ハイエンド』はいなかった。

 絶対強者の彼らは泰我のような傭兵に構う暇はない。


 しかし、遂に泰我へ機会が回ってきたのだ。

 自分の強さを証明するため。

 さらなる高み―—『異極者ハイエンド』へ至るために。


「君はレベル9だ。この国の『異極者ハイエンド』——『暁鴉』や『地神ティターン』相手に勝ち目があると?」

「あァ? んなもん知るかよ。俺はまだ雇われてる。それが答えなんじゃねぇのか?」


 泰我の問いに、賢一は笑みを深くする。


「ああ、そうだね。僕たちは君に期待しているよ」


 昏い笑顔で答えた賢一は部屋から去っていく。

 その背を、泰我はじっと目で追っていた。



 ■



「——全く、バカな男だ」


 一人になった賢一は、陰に紛れてほくそえむ。

 確かに期待はしているが、手を出さないとは言っていない。


 今の賢一は『皓王会』の協力者であって、泰我個人に対しての情はない。

 ならば、眠ったままの泰我に小細工をするくらいは当然といえる。


 賢一は人体実験すら厭わない狂気の研究者。

 目の前に『異極者ハイエンド』一歩手前のレベル9が転がっていたら、改造したくなるのが性だ。


「それもこれも奴に感謝しなければな。代わりにつまらん物を作る羽目になったが、まあいい」


 白衣のポケットに手を入れ、取り出した小瓶に入っているのは熟れた林檎のように紅い錠剤——『禁忌の果実アップル』。

 賢一が自分を牢屋から解放した人物に頼まれて作成した、強制異能強化剤だ。

 かつて『異極者ハイエンド』を超えた『超越者イクシード』を生み出そうとした賢一からすれば酷くつまらない代物だが、『皓王会』は有用に使っている。


 再び研究を始めるための資金源になるのはいいものの、だ。


「京介、美桜……二人が恋しいよ。僕の最高傑作にして、]


昏い笑みで賢一が思うは血の繋がった二人の子。

自らが実験の材料として脳の異能領域に手を加えた被検体。


異能者はみな、脳の想像力を司るといわれている前頭葉に異能領域を持っている。

その働きが活発であればあるほど、広ければ広いほど高度に異能を操る人間になるのだ。

賢一がしたのは異能領域の強引な拡張。

薬物を用いて無意識にかけているリミッターを解除し、飛躍的に異能の質を向上。

結果、『重力権限グラビティ・オーダー』という『異極者ハイエンド』が生み出された。


だが、それでも狂気に堕ちた研究者は止まらない。


「この世界を支配する最強の異能者——『超越者イクシード』を生み出すのは僕だ」


 壊れた未知の探究者は、己が欲望を叶えるために全てを使う。

 敵も仲間も、自分自身も。


 この世の悉くは自分の実験材料だと主張するように。


 今日も狂気の赴くままに実験を繰り返す。



 ■



 高級中華店の個室で、二人の男性が向き合って座っていた。

 一人は小太りで髪の薄い男性。

 もう一人は学院の地下情報室に侵入していた長身痩躯の優男。


 彼らが密会を行うのは初めてではなかった。

 先に口を開いたのは優男だった。


「——じきに『異特』が攻め込んでくる頃合いでしょう」

「逐一彼らの動向は確認していますが、どうか油断はしないように。繋がりが露見すればまとめて牢屋行き……最悪の場合、死刑も考えられます」

「わかっていますよ、防衛大臣殿。賢一氏を秘密裏に釈放してやらせることが薬物開発とは、随分物騒なことを考えているらしい」

「口を慎みたまえよ、千殿。私は国を守るため、最善を尽くしているのだ」


 次々と運ばれてくる和食料理を合間に食べながら、二人の会話は続く。


「これは実験も兼ねているのだよ。君たちはブツを売りさばくことで利益を得て、我々は手間を省くことが出来る。賢一氏も投資の一つさ」

「ふむ。そういうことにしておこう。どうせ見限る用意はしてあるのでしょうけれど、それは私たちも同じですし」

「できるなら有効な関係を築きたいのだがね。なにせ、我々は関係を持っていないのだから」

「そうでしたね。私たちは無関係の他人です」


 無言の微笑みを浮かべる千に小太りの男は鼻を鳴らすのみ。

 世間的には二人が会合していた事実はない。

 政府関係者と非合法組織が密会していたとなれば批判は免れない。

 薄氷の上に成り立っている関係は利害の一致ゆえに。


 そして夜は更けていく。



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