ナニカいる

yurihana

第1話

初めてその「音」を聞いたのは、二日前の朝だった。

夕方、高校から帰るときにカチッ、カチッと背後から聞こえたのだ。捨てられた新聞紙が舞うような風の強い日だったから、最初はそんなに気にしなかった。しかし、毎日不規則に聞こえるようになって、これが看過できないものであると知った。

お母さんや妹に聞いてみたが、こんな音は聞こえないという。

友達に相談したが、

「きっと由美、疲れてるんだよ」

と言って、聞き流されてしまった。

疲れ……。確かにそうかもしれない。高校三年生になってからは勉強が忙しく、休む暇がなかった。秋になり、これからさらに大変になる時期で、精神的に参ってしまったかもしれない。

でも……。

カチッ

この音は幻聴などではなくて、確かに聞こえる。人の話し声、車の騒音、そういったものと同じくらいはっきりと。

カチッカチッカチッ

最近、音がなる回数が増えてきた。カスタネットのように何かと何かがぶつかるような音。変な音が聞こえてもなんでもないと思っていたが、こうも連続で聞こえると、さすがにノイローゼ気味になる。

友達と話している時も、この音がなると会話に集中できなくなって、楽しさも半減する。病院に行ったが、異常は見られなかった。


カチッカチッカチッカチッ


何日も音を聞くうちに、この音について新たに分かったことがある。

この音の大きさは、日によってバラバラだ。そして音の大小の変化は私が当初考えていたよりも複雑だった。私は音の大きさの違いは、ラジオの音量をあげるようにはっきりと区別されるのだと思っていた。しかし実際は音の大小の差は曖昧だった。音が直接耳に届くのではなく、空間的に鳴っている感覚。そう、まるで、誰かが音を鳴らしながら私から離れたり近づいたりしているような……。そういえば私は今まで音を聞いたことがない。その日の天気や私の歩く速度によって音の響き方が違うのだ。

そして近頃、その「音」が大きく迫り来るように鳴っている。

……だんだんと、焦りがつのっていく。嫌な予感がするのだ。音の回数が増えるにつれ、ナニカがゆっくりと、しかし着実に近づいて来る感覚がする。ナニカが自分に迫っている。振り向きたいが、絶対に振り向いてはいけないと本能で悟る。


「由美、大丈夫?」

「えっ?」

放課後、机でぼーっとしていたら、友達の美南が話しかけてきた。

「大丈夫だよ」

「それならいいんだけど……。最近、いつも上の空だから、心配で……」

「え?そう?

だいじょ……」

カチッ

(ああ、音に意識を持っていかれて言葉が途切れてしまった……)

最近はいつもそうだ。「音」を気にしすぎて、勉強も手につかない。

しかしいつまでもくよくよと悩んでも仕方がない。

私は友達を安心させるように笑顔で言い直した。

「だいじょ……」

カチッ

(ああ、また!)

「だいじょ……」

カチッ

(くそっ!)

「だいじょ……」

カチッ

「だいじょ」

カチッ

「だいじ」

カチッ

ふと、美南の方を見る。

美南の顔は青ざめていた。

(そんな顔で見ないでよ。大丈夫だから。私は大丈夫なんだ……)

(友達に心配をかけちゃいけない。軽く笑いを交えて……)

「ねえ……本当に大丈夫?」

「あは……だいじょ…だい、ぶ……だいじょうだい……だ、だ、だいじょ…だ……」

「ちょっと、由美!?」

由美は呟きながら、フラフラと、しかし早足で教室を出ていった。


ハァハァという私の息の音がやけに耳に入ってくる。

(まずいまずいまずいまずい)

今、音はほぼ絶えず聞こえる。

そしてだんだんと……近づいてきている。

迫ってきているのが分かるくらいに。

離れなきゃ、離れなきゃ、この……ナニカから!

駐輪場へ行き、鍵穴に鍵を差す。焦っているせいか、うまくいかない。

慌てて追いかけてきた美南に自転車に飛び乗りながら叫んだ。

「かぇ……るら、面談……よしく!」


全力で自転車を飛ばす。

放課後になったばかりなのに、既に日は沈みかけている。

(冬が近いとはいえ、どうして今日に限って暗いの……!?)

辺りが暗ければ暗いほど、私は自分がひとりぼっちに感じる。自転車を全力で漕いでいても、この世界とは別の、静寂な世界にたった一人でいる感覚に陥る。


(……そうだ、二者面談があるのに先生に言わないまま学校を飛び出してきちゃったけど、怒られるかな?いや、美南に言ってきたから問題ないだろう)

今心配しなきゃいけないのは、この音だ。

この音は明らかに私を追ってきている。後ろから異常な圧を感じた。背中の神経がゾワゾワとして、気を抜けば転んでしまいそうだ。


(どうしてこんな音が聞こえるようになったの!?)

息を切らしながら自転車を漕ぐ。

カチッカチッカチッカチッカチッカチッカチッカチッカチッ

嫌だ、嫌だ!どんどん近づいてきてる。なんで!?なんでこんなことに……!

体を振り乱して足を上下させる。雑に漕いだせいで自転車の部品がガチャガチャと音をたてた。ヒューヒューという呼吸音が、耳の中で暴れている。

まだ少し残っている夕方の橙色と夜の闇が交じり合う空は、不気味な雰囲気を醸し出していた。

「………ん?」

がむしゃらに漕いでいたせいで気づかなかったが、学校を出たときよりも音が小さいように感じる。

もしかして……自転車の速度の方が速い?

このまま漕ぎ続ければ追いつかれずに、家に帰れる!

(いや……待てよ?)

家に帰ったところでこの音が止むとは限らない。そうだ、家でも聞こえてたじゃないか!

どうする?どこに向かえばいい?


分からない。


いや、そもそもこの音は本当に鳴ってるのか?


分からない。


分からない。分からない。分からない。


分からないのが、怖い。

後ろにいるコレはどんな姿をしている?そもそもなんで音が聞こえ始めた?なんで私が?原因は?本当は何もいなくて、自分が変になったんじゃないか?

色んな可能性が浮遊して、そのまま頭に残る。頭の中がごちゃごちゃとして気持ち悪い。吐き気すらこみあげる。せめて一つ、一つ確定した情報があればいいのに。


…………そうだ。振り向こう。

この音の正体が分かるかもしれない。何もいなかったらそれでいいじゃないか。

ははっ、なんで今まで振り向かなかったんだろう。



ガチッ


「うわああああああああああ!?」

思わず叫んでしまった。

体が一瞬硬直して、三秒後に激しい身震いが起こる。全身の産毛が逆立つのを感じた。

(耳元で、耳元で聞こえた!)

今まで聞いた中で一番大きくリアルな音。

直勘で分かる。

ソレは真後ろにいる。

酸欠気味になりながら、目の前に近所の踏切を確認する。

あれをこえれば家はすぐそこだ!

「はぁ…はぁ……あれ?」

音が、聞こえない。

なんで?

思わず、後ろに振り向いた。

何もいない。どっと汗が出るのを感じた。手も足も、生まれたての小鹿のように震えている。明日はきっと筋肉痛だ。

そんなことを考えて、息と共に言葉を吐き出した。

「な、なーんだ。いないじゃん……ははっ」

肩を上下させつつ、呟いた。

弛く口角が上がった。

(もう大丈夫だ。もう)


カチッ


「へ?」


前から音が嫌なほど明確に聞こえた。

ゆっくりと振り向く。

目の端が捉えたのは、ボサボサの長い髪に充血した目を持ち、ニィーっと笑っている背の低い老婆だった。体は痩せ細っていて、ボロボロの布切れを来ている。

時が止まったように、由美は指一つ動かせなかった。町の喧騒がどこか遠くに感じる。

老婆は笑ったまま口をゆっくり開いて、閉じた。


カチッ


直後、由美の体を強い衝撃が襲った。


*************

新聞がはらりと路上に舞う。その一面が少年の足元に落ちた。

ある記事が少年の目に飛び込む。

「昨日……○○市の線路で人身事故が発生した。……は佐藤由美さん(17)……」

少年は新聞紙を軽く足で蹴ってどかし、そのまま学校へ向かった。

その少年の背中を、痩せ細った老婆が、ニィっと笑いながら見つめていた。


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