かぐや姫は月へ

久浩香

第1話 起

『ノストラダムスの大予言』って知ってるかい?

“1999年7の月。恐怖の大王が降って来る”なんていう予言のことさ。


 ■


 檜隈美嘉ひのくまみかは、その出身地を言うと、県民でさえ、

「え? そこって、人、住んどん?」

 と、聞き返される程の田舎で、平成の大合併からも取り残された檜隈村の出身だ。ただ、彼女の苗字が物語るとおり、その村で代々続く大地主の家系であり、村の公共施設等といった一部を除けば、土地の大部分を彼女の祖母の紗羅さらが所有し、令和になった今も、閉鎖的なこの村の女帝であった。

 紗羅の唯一の正統な遺産相続人である美嘉が、彼女自身の才覚もあって、行く必要のない香川の短大へと進学したのは、時間稼ぎと、ある種のプレイである。


 県外に出た彼女は、彼女名義の別荘で、侍女の武山茅利たけやまかやりと共に住んでいたのだが、茅利はまさに、この別荘で受胎した。父親は、美嘉の母方の叔父である直輝なおきだ。美嘉の両親は、従兄妹同士で結婚していたので、彼の元々の姓も檜隈であった。

 その彼が、武山を名乗るようになったのは、まさに茅利の父になってしまった事が原因であった。


 直輝は、そこがまだ紗羅の名義であった頃、姉の奈帆から借りた鍵で別荘に滞在し、武山美奈代という女性と、豪雨のコインパーキングで出会い、その夜から六日間、監禁していた。その事は、別荘を管理する室戸むろどアキから伝わり、直輝の兄の奈一たいちが、現地に向かった事で発覚した。


 深夜2時。還暦の紗羅は、亡夫の海人かいとが妾にした未亡人の連れ子で、今は、病院長にした、かかりつけの医師を叩き起こし、離れの座敷に寝かせた美奈代を診察させながら、奈一とアキから話を聞いていた。

「よぉ、まぁ。途中で、警察おまわりさんに捕まらんかった事よ。…そやけど、直輝にはもぉ、檜隈の姓を名乗らす訳にはいかんね。…武山美奈代ゆうたかね? そんの籍に入らせよか。それから、外に出すんもあかんな。大学がっこう退学めさせて、うち屋敷の下男でもさそかぁ」

 と、紗羅は、夜明け前にはそうする事を決めた。

 蔵に籠めていた直輝は、正気を取り戻すと、自分のしでかしてしまった事を悔い、紗羅の決定を聞きながら頷くばかりになっており、意識を取り戻した美奈代もまた、彼女が、その時の恐怖で錯乱している中、紗羅と彼女の母の間では話がついており、檜隈家での滞在中に妊娠している事もわかったので、承諾せざるをえなかった。奇しくも、美奈代と同時期に、奈帆も美嘉を身籠っていた。


 高三の時には、口づけを一度だけ交わすに留めていた美嘉であったが、別荘での二人暮らしが始まった晩から、茅利の裸体を眺め始めた。

「ここで直輝叔父様は、狂っていたんですって。変な薬でもやったんじゃないか。なんて、奈一叔父様は、おっしゃってたけど…違うわね。きっと、茅利みたいに、どこもかしこも、綺麗だったのよ」

 直輝と美奈代の話をすると、茅利は、物憂げな表情を見せる。元より磁器人形の様である彼女が、なんともいえぬ悲哀を醸すので、それだけで美嘉は、得も言われぬ興奮を覚えていたのだ。


 コロナにより休講が続く中、美嘉は新たな“遊び”を覚えた。それは、美嘉の兄のかけるが茅利にしていた事だった。それを言えば、茅利が傷つく事は解っていたのに、つい、口にしてしまった事が切っ掛けであった。

「私がお兄様から守ってあげたのよ! でなきゃ、茅利なんて、美奈代以上の事をされてたんだからねっ!」

 美嘉は性に対して初心うぶだ。それというのも、彼女の父の紗敏さとしは、美嘉が三歳の時に亡くなり、翔も、美嘉が中学にあがる年には、都会の大学に進学していた。

 学校においても、美嘉が小学生にあがる時、

「あんたは、うち檜隈家の世話になっとんやから、美嘉の面倒は、あんたが見んといかんよ。ええな」

 と、命じられた茅利が、子供の内は、危ない事をしないよう、中学、高校と進学すると、それこそ虫がつかないように付き従っていた。そうでなくとも、檜隈村において“檜隈家の御嬢様”に、下世話な話をする者もいなかった。

 美嘉にとっては、『異性に肌を晒す事』と『貞操を失う事』は同義語だった。


 紗敏の十七回忌の夜。

 美嘉は、婚約者のいる翔が茅利を組み敷いているのを見た。茅利の頬は赤く染まり、翔は、まさに茅利のブラジャーをずらしながら、彼女の首筋を舐っていた。

 翔の婚約者は、紗敏亡き後、美嘉の祖父の海人かいとが興した会社の社長に就任した奈一を仲介して出会った、名家の“深窓の令嬢”であった。翔からしてみれば、彼女と婚約した事で、禁欲を続けていたので、元々、彼の妻とする予定であり、相手方に発覚する恐れの無い茅利を捌け口にする事は、ごく当然の権利だと思っていた。

 羽織っていたカーディガンを茅利に被せ、部屋から出て行こうとする美嘉に、

「茅利は置いていけ! 茅利は俺のものだ!」

 と、翔は喚いた。

 しかし、

「高校を卒業する迄は、茅利は私の侍女ものよ。いくらお兄様でも、お祖母様が決められた事に逆らう事は、なされないわよね?」

 と、敢え無く言い返された。

「あの男女おとこおんながっ!」

 一人残された部屋の中で、翔は、床を踏み抜く程に、強く蹴った。

 翌日、奈一と共に都会へ戻った翔は、二ヶ月後、壺の中に納まって帰ってきた。


「帰りたくないわ」

 今年のお盆は、翔の三回忌であると同時に、海人の三十三回忌でもあった。兄はともかく、傍流でありながら、断絶した本家になりかわり、今の檜隈家の礎を作った祖父の法要に『出たくない』と駄々をこねているわけでは無かった。

 美嘉は二十歳になっていた。

 高校生の頃から、幾度もお見合いをさせられてきたが、今回帰省すれば、美嘉の意志に関係無く、紗羅の決めた男との結納までさせられるだろう。と、確信していた。

「美嘉様…そんな事、おっしゃらず…」

 茅利は困った顔をして、玄関ドアの前に立ち、美嘉に靴を履いてくれるように宥めた。

 だが、これは、逆効果だった。

 美嘉は、じとっとした目を茅利に向けた。

「そうよね。茅利は早く帰りたいわよね。私が、結婚すれば解放されるって思ってるんでしょ?」

「そ、そんな、そんな事は」

 そう言って、茅利は、両手を横に振ったが、

「嘘よ。昨夜だって、いつの間にかベッドからいなくなっていたじゃない。知ってるのよ。茅利は、私が寝た後、いつもデッキに出てる事。そんなに、私と一緒に寝るのが嫌なの?」

 そう言って、美嘉が詰め寄ってきたので、茅利は「誤解です」と言いながら、外に出て、うまうまと美嘉に靴を履かせて、迎えに来ていた直輝の車に乗せた。

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