ウォーム・ハンズ
山本アヒコ
ウォーム・ハンズ
「だから、この犬は違うって言ってるじゃない!」
ドアの開いたアパートの玄関で、中年の女性が大声を出している。目はつり上がって大きく開く口からつばが飛ぶ。
「ですから、それを証明していただかないといけないんです」
ひどい剣幕の女性に臆することなく、作業着姿の男性はおだやかに話しかける。しかし効果はないようで、鋭い目が和らぐことはない。
「もう一度言いますが、私たちは市役所の生活環境課の者です。あなたが抱いているその犬が、本当にaIEであるのか確認に来ました」
「だから、この犬は本物じゃないって何度も言ったでしょ!」
女性は小型犬を抱く手に力をこめて、彼らから犬を守るように体をひねる。目は男を睨みつけたまま離さず、明らかな敵意がそこには宿っていた。
「はあ……」
男性の後ろにはもうひとり女性が立っていた。年齢は二十代後半から三十代前半。服装はスカートではなくパンツにスニーカー、合成繊維のブルゾンを着ている。
彼女は疲れた様子でため息をはく。表情はこの状況に何度も出会いながら一向に慣れることができないといった様子が、ありありと見えるものだった。
その表情は一呼吸で元に戻る。次の瞬間には口元に笑みを浮かべて男性の横に並んだ。
「すいません。ちょっとよろしいでしょうか」
「誰よアンタ?」
女性は先ほどの憂鬱そうな表情から一変し、人当たりの良い笑顔を浮かべている。
「私は動物保護を目的とした活動をしている、アースアニマルの者です」
「動物保護団体が何の用?」
「そちらの犬がもしも本物の犬だった場合、私たちが保護することになっています」
「だから違うって言ってる!」
「では、確認させていただきます。失礼します」
軽く頭を下げると女性の横を通り抜け、素早く靴を脱いでアパートの部屋へ入る。狭く短い廊下を歩くと後ろから女性の声が聞こえたが、そのときにはもう廊下が終わっていた。
鼻で一度臭いをかぐ。玄関にいたときからかすかに感じていた臭いが強くなる。嗅ぎ慣れた動物の体臭と糞尿の混ざった臭い。アパートはこの一室のみのようで、ローテーブルと冷蔵庫にプラスチックの衣装ケースがまとまりなく置かれていた。そのなかに犬用のエサ皿と、汚れたトイレシートもあった。
家主は掃除をあまりしていないらしく、そこかしこに汚れが目立つ。服はいくつも投げ出されていて、エサ皿とその周囲には食べ残しが散らばっている。
女性はしゃがんむと床に落ちていた何かを指でつまんだ。それを目の高さに上げて観察すると立ち上がり、玄関へと戻る。
男性と言い合いをしていた家主の女性は、戻ってきた彼女に気づいて振り向くと睨みつけた。口を開きかけた女性を無視して、指でつまんでいた物を見せる。
「これは何ですか?」
「は?」
「確認させてもらいますね」
腰に装着していたケースから、非接触型体温計に似た機械を取り出し、その上部のカバーを外して指でつまんでいた物を入れる。そして機械を女性が抱く犬へ向けた。
スイッチを押すと機械の先端が光り、一秒もたたず結果が出た。ホログラムディスプレイには【同一DNAを確認】と表示された。男性へ頷いて見せる。
「室内に落ちていた毛と、その犬のDNAの一致が確認できました。その犬はaIEではありませんね」
「なんですって! 違うって言ってるでしょ!」
裏返った声で叫ぶ中年女性へ、作業着の男性は静かに言う。
「動物保護法違反を確認しました。法律に基づき対象の犬を保護します」
ペットの需要増加と共に、飼育放棄されるペットの増加は社会問題として長く問題視されてきた。二十二世紀である現在は、その対策として動物保護法で飼育者には狂犬病ワクチン接種、定期的な獣医師による検診、行政等による飼育環境の確認などが厳格に定められている。これに反した者はペットを飼育できず、飼育していたペットを手放さなくてはなくなり、悪質なものになれば数年から何十年間もペットを飼育する権利を失う。
それだけ厳しい制度ができてもペットを望む者は多い。その需要を満たすために市場へ現れたのが【aIE】という動物型アンドロイドだった。
本物の動物と違い、機械であるaIEは体臭は無く、排泄もしないし毛も抜けないので掃除をする手間がない。さらに性格も購入者が設定できるので、しつけの手間が無い。そのため【活動的でいたずら好き】なのに勝手に物を隠したりソファーや壁などに傷をつけないといった、夢のようなペットを簡単に買うことができた。
aIEは動物ではなく、電化製品のカテゴリに入る。そのためペット不可の賃貸物件で一緒に生活することが可能だ。さらに動物保護法を守る必要がない。ワクチン接種や獣医師による検診に去勢などの費用が必要なくなる。さらに現在ではペット飼育には税が制定されていて、毎年それも払う必要があったが、それも無い。
そうなると、その制度を悪用して本物の動物のペットをaIEだと偽る人間がでてくるのは当たり前のことだった。
そのためペットの飼育状況の確認や飼育総数の把握を政府が行っている。これは地方行政に任せられていて、地方によっては民間企業やNPOなどと共同して行われていた。
浅田美虹は動物保護団体アースアニマルで働いている。蛍光色のブルゾンの背中には大きく【EA】とプリントされていて、これが制服のようなものだ。
彼女の主な仕事は、市役所と連携してペットの飼育状況の確認。その中には、ペットの動物をaIEと偽る人間からペットを保護することも含まれていた。
経済的な状況から偽るならまだいいが、そういう人間は動物虐待をしていることが多く、そのたびに美虹は胸を痛めることになった。
ペットを自分の家族やパートナーとしてではなく、虚栄心を満たすために珍しいペットや高価なペットを飼う人間のことを、彼女はまったく理解できなかった。
たしかに人間とは違い言葉でコミュニケーションはとれず、知能も劣っているのかもしれない。しかしそれ以上に体全体で、人間には無い豊富なボディランゲージを使ってこちらへ愛を伝えてくれる。そこには言葉や知性以上のものがつまっていると美虹は思っている。それを感じることができない人間はペットを飼う資格がないとすら考えていた。
美虹と作業着の男性は、アパートの一室の前に立っていた。男性の作業着の胸元には、生活環境課の文字がプリントではなく糸で刺繍されている。
「よし……いくぞ」
一度深呼吸をしてインターホンを押す。今回ペットの調査は、少し注意が必要な相手だ。しかし気圧されてはいけない。緊張せず冷静さを保つことが大切だ。
「あーん?」
気だるそうな若い男の声がインターホンから聞こえた。
「市役所の生活環境課です。ペットの飼育状況の確認に来ました」
男性がインターホンに答えてドアが開くと、金髪で長髪の男が出てきた。耳や眉にいくつものピアスを着けていて、目つきがひどく悪く見るからに不健康そうな顔をしている。
美虹の口元がかすかに動いたが、それ以上表情を崩すのは耐えた。しかし内心は舌打ちをしている。これまでの経験上、こういった雰囲気の人間はまともに飼育していた例は無い。アウトローな人間でもペットをちゃんと飼育していることは、もちろんある。しかしこの男はアウトローにもなり切れていない中途半端さがにじみ出ている。こんな人間にはちゃんとした飼育ができるはずがないと、美虹は鋭く男を睨んだ。
その視線に気づいた様子もなく、男は無遠慮にこちらを見る。
「なんだっけ? 宅配便?」
「いいえ。市役所の生活環境課です。ペットの飼育環境の確認に来ました」
「あー? 何言ってんだ。俺はペットなんて飼ってねえぞ。ここペット禁止だし」
「それは知っています。ですがこのアパートの大家さんから相談がありまして。あなたがペットを飼っていると。それを確認に来ました」
「だからいねえって」
部屋の奥から小さな鳴き声が聞こえた。猫の声だ。
「猫の声がしましたが?」
黙っているつもりだったが、つい美虹は声を出してしまった。そこで彼女に気が付いた金髪の男はまばたきをした。
「あー、うん。猫だけど猫じゃねえ。aIEだよ」
「では、そのaIEを見せてもらえますか。それで確認できれば大家さんに報告します」
男は顔の片側を吊り上げる笑みに見えなくもない表情をしたあと、部屋の奥へ向かった。
「ほら、こいつだよ」
男はケージをこちらへ乱暴に突き出した。ケージが揺れて猫が鳴く。
「……確認させてもらいます」
美虹はケージを受け取ると扉を開けた。入っていたのは両手に乗せられそうなほど小さい猫だ。白と灰色の毛並みはきれいだ。栄養状態は悪くないように見える。
「首輪をしているんですね」
猫の首にはピンク色の首輪があった。だが幅が体のサイズに比べて太く、あまり合っていないように見えた。
「こっちのほうが本物の猫っぽく見えるだろ?」
男はしまりのない笑みを浮かべながら言う。どこか嘲笑している雰囲気があった。
美虹はそっと小さな猫をケージから出した。体毛は柔らかく、体温は温かい。aIEは本物の動物と見分けがつかず、体毛の感触や体温も再現可能だった。
「では」
ポケットから携帯型デバイスを取り出し画面をタップしてアプリを起動した。aIEにはそれぞれ個体を認識するためのチップが内蔵されているので、それを確認できればこの猫がaIEだと証明できる。しかし、デバイスに表示された結果は違った。
『ERROR』
三回繰り返された電子音は、この猫がaIEではないと告げている。
それがわからない男はまだ笑みを浮かべていた。
「ほら、aIEだっただろ?」
「いえ。ちがいます。この子は本物の猫です。動物保護法違反なので、この猫は私たちが保護します」
美虹は自分で持ってきていた別のケージへ猫を入れた。こういう時のために毎回動物用のケージを持って訪問していた。これはアースアニマルのマニュアルでもある。
「では、後日また連絡がありますので。今日はこれで失礼します」
美虹は小さく礼をすると、ケージを片手に背中を向けて歩きだす。
「お、おい! 待てよ!」
裸足で男が玄関から飛び出し、美虹の肩をつかもうとした寸前、作業着の市役所職員の男性が、その腕を片手で止めた。
「これは正統な公務執行です。妨害はできません」
「痛ててて……この力……お前、hIEかよ!」
市役所の備品である男性型hIEは、静かな顔で男の腕をつかんで離さない。その間に美虹は姿はアパートの階段を下りて見えなくなった。
階段なのでどうしてもケージが揺れて、猫が小さく鳴いた。
「もう大丈夫だよ」
美虹は携帯型デバイスを片手で操作しながらケージに入った猫に向かって言った。デバイスの画面には、その猫の写真が表示されている。これは二週間前、ブリーダーのもとから盗まれた猫の写真だった。
「ただいまー」
美虹が自宅に帰り、玄関で靴を脱いでいると廊下を駆けてくる足音が聞こえた。駆け寄ってきた足音の持ち主は、まだ靴を脱いでいる途中の彼女に飛びついた。
「もう、クラちゃん。まだ脱いでるから」
「ワン!」
小麦色の耳が大きい小型犬は、美虹の足に抱きつきながら嬉しそうに尻尾を振る。
「えーい!」
小型犬のクラが足元を周回させたまま美虹がリビングへ行くと、ソファーの上で娘の桃桜が焦げ茶色の大型犬を、両手で撫でていた。いや、撫でるというより毛並みに十本の指を突き入れてかき回しているといったほうが正しい。大型犬はそれを嫌がる様子もなく、されるがままで尻尾をゆっくり左右に振っていた。
「ただいま桃桜」
「お母さんおかえりー」
「クラちゃんの散歩ちゃんと行ってくれた?」
「うん。チャタローといっしょに行ったよ」
桃桜は小学二年生の自分より大きなチャタローの毛並みを、ひたすらかき回している。
美虹が足元を見ると、クラは走り回るのをやめてその場に座り、彼女の顔を見上げていた。桃桜へ顔を向けると、クラにではなくチャタローに夢中だ。
美虹はしゃがむとクラを抱き上げた。生きている生物の体温を感じる。
桃桜はクラが嫌いなわけではないが、好きなわけでもないと美虹は感じている。チャタローが特別だったのだ。
チャタローは美虹の実家で買っていた犬だった。実家はここからかなり近く、簡単に行けるため桃桜が産まれたときからよく帰っていて、チャタローともそのときからの付き合いだ。そのため物心ついたころには、彼女にとってまさに家族同然となる。
しかしすでにかなり老齢だったチャタローは、一年前に他界してしまう。チャタローが大好きだった桃桜は心配になるほど落ち込んでしまった。そこで美虹はなんとかしようとアースアニマルで保護したクラを引き取ってきた。しかし改善しなかった。
すると美虹の両親が無断でチャタローそっくりのaIEを注文していて、ある日突然それが届いた。
桃桜は歓喜したが、美虹としては複雑な気分だった。
aIEを動かしているのはhIEと同じく制御言語だ。体はもちろん機械である。そこに生きた血肉と鼓動も、心も無い。
それでも在りし日と同じ姿のチャタローを、桃桜は同じように愛している。
美虹は同じようにaIEのチャタローを愛せず、クラばかり気にしてしまう。
aIEも本物と同じように愛されるために製造された。aIEを本物と同じように愛せる人も存在している。それなのに愛せない自分はなぜなのだろう。
指でふれるクラの毛は柔らかく、体は温かい。aIEと同じように。
ウォーム・ハンズ 山本アヒコ @lostoman916
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