*

それから何ヶ月も経ち、バイトで帰りが夜遅くなった日、マンションの入り口で私は恐ろしい目にあった。

エントランスの中に入り、すぐ横の郵便ポストを開けようと立ち止まった時だった。閉まりかけの扉から滑り込むように音もなく侵入してきた人が、なんと私のスカートの中に手を入れてきた。

太ももに急に触れた冷たい感触に、びっくりして思わず自分でも驚く程の大声を叫んでいた。

痴漢は私よりもびっくりしてすぐに手を引っ込めたけれど、私は咄嗟に髪をまとめていたユーピンを引っこ抜いて夢中で痴漢に振りかざした。

痴漢は慌てて扉を押し開け外へ飛び出して行った。

あっという間の出来事だった。足はガクガク震え、喉が焼ける様に痛んだ。

何とか人が来る前にエレベータに乗って自分の部屋に戻り、電気をつけると着ていたワンピースが血だらけになっていた。

薄着の季節だった事もあってか私のユーピンは痴漢の身体のどこかしらを切り裂いたようだった。

見知らぬ男の赤い血が気持ちが悪くて、震える手でワンピースを脱いでゴミ袋に突っ込みベランダに投げ捨てる。

一体、いつからつけられていたのだろう。

恐怖と驚きが大きすぎて涙は出ない。しばらく私は呆然とした。身体が硬直していつもの状態に戻るまでものすごく長い時間がかかった。



携帯電話の着信音が聞こえてくる。

うつろいながら見上げると壁の時計はすっかり午後を指している。私はベッドから仕方なく身体を起こして携帯電話を拾い上げた。

着信画面には辻侑人の3文字が出ている。躊躇いながらも私は携帯電話を耳に押し当てた。

「もしもし矢沢?もしかして寝てた?」

「あ、うん。でも今起きた。」

「ごめん。かけ直そうか?」

「いいのいいの。もう起きなくちゃ。元気だった?」

久しぶりに聞いた辻の声は、何だかとっても普通で私は拍子抜けしてしまった。

森くんが急きょ、来月アメリカから帰ってくるから七海も誘ってみんなで飲みに行こうというものすごく平和な話題で、辻があまりにも自然に喋るので、私は思わず泣いてしまった。

「お前、まさか泣いてるの?」

「…ごめん、なんか。ホッとしちゃって…。」

しばらく私は泣いていた。辻は時々、「大丈夫?」とか「バイトが辛いとか?」とか言葉をかけてくれて、根気強く間を繋げてくれた。

「実は昨日、痴漢に襲われかけたの。」

「痴漢?マジで?大丈夫だったの?」

「うん…。大声で叫んだらビックリして逃げていったの。でも、襲われたのがマンションの入り口だったから、後をつけられていた事がなんだかすごくショックで。」

私が痴漢の話をすると、辻はものすごく心配をして今から警察に行こう、と言った。

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