ー捌ー

「こずえさん、帰られたんですね?」


 鳥居に背中を預けながら、僕はぼうっと階段下に広がる景色を見つめていた。そんな中でみーこさんは現れた。


「ちゃんと話、できましたか?」


 僕は景色を見るような目でみーこさんに視線を向ける。するとそこにはいつもの元気はつらつな彼女の姿があった。

 みーこさんはなんて言うか、良いエネルギーの塊だ。そんな風に思わせるほど、彼女を見ているだけでこちらも元気になれるような気がする。


「はい」


 きっぱりとそう言ったあと、僕はぐっと背伸びをした。少し凝り固まっていた体を解放するかのように。


「それならよかったです」


 女神のスマイルに、僕のカチカチに固まっていた心が、じんわりと解き放たれるような気持ちになった。


「ところで、あの幸せを願う女性ってこずえの事だったんですよね? 珍しく依頼主の名前が記載されていなかったのですが……?」


 こずえの依頼は一度あの松の木の麓にある紐に括り付けられたものの、彼女自身の手で奪い取られてしまった。だから依頼は無効だと思うのだが。

 きっとこずえも新聞を読んだ時に自分が依頼した内容の返事が書かれていたのを見て、驚いてここに来たんだと思う。

 たくさんのことは覚えていないが、こずえは確かにこう言っていた。


 こずえの母親の干支がねずみらしい。干支にちなんだ神社があると知り、ちょっと顔を出して見たのだとか。すると掲示板に書かれていた依頼の内容に興味を持って手紙を書いたとか、なんとか……。

 二度ここに来た理由はわからないが、多分やっぱり思い直して依頼をしたかったのではないだろうか。

 彼女は二股などするような人間ではない。だから僕と別れた後に今の彼と付き合ったのは間違い無いだろう。そうなると、新しい彼と知り合って、まだ日が短いはずだ。そんな中で話がどんどん転がり、幸せになれるかどうか心配になったのかもしれない。


「はい、実はそうなんです。こずえさんは一度依頼をキャンセルされているので、掲載するかどうかはすごく悩んだのですが……」


 やはりそうだったのか。思っていた通りの回答だ。


「その、左右が名前を伏せて載せれば良いって言ったので、昨日佐藤さんが帰られた後、また新聞を書き直していたんです」


 あのねずみ小僧め。どこまでもコンプライアンスを遵守しないつもりらしい。

 そのくせ自分は情報を開示しようとしない。それがクールだとでも思っているのか? 口数少ないやつなど、ハイスペックなイケメンがするからクールに見えるだけであり、ちんちくりんなねずみ小僧がすればただの内気な根暗だぞ。

 そもそもさっき、死期がわかることについては色々偉そなことを語っていたくせに、依頼を取り消したものは公開するのか。なんて悪徳な神使を極めているんだ、あいつは。

 僕は再び左右のことで気持ちを乱していると、みーこさんは僕らの頭上にある鳥居を見上げながら、こう言った。


「でもあれはそもそも、佐藤さんのためでもあるから掲載したかったんでしょうね」

「……僕のため?」


 どう言う意味だろう? みーこさんの言っている意味が理解できず思わず僕は首を傾げる。するとみーこさんは慌てた様子で「あれっ!?」なんて口を両手で押さえた。


「私てっきりこずえさんから聞いていたんだとばかり思っていました!」

「……? 何をですか?」

「いえ、聞いてないなら私の口からは言えません。人の願いを本人の許可なく勝手に本人に伝えるなんて……!」


 本人に伝える……? あの手紙の依頼主はこずえであり、その中身もこずえの事が書かれていたのだろう?

 でも待てよ。本人こずえの許可なく勝手に本人に伝える……? そして、こずえの依頼内容は僕のためでもある、って……それって、もしかして——。


「こずえは……僕の幸せを、願ってくれていたのか……?」


 あやかし新聞社の依頼するコンセプトとしては”何かで困ったり、無くしたものを探したい”時。

 こずえはそんな内容が書かれたあやかし新聞を読んで、依頼を決めた。

 ここからはあくまで憶測だが、僕の幸せを依頼としてあの紐に吊るしたのであれば、彼女は幸せの階段を踏み出しながらも、なおかつ僕のことを心配してくれていたのか。

 どこまで情けない話なのだろうか。別れてもなお、元彼女に心配される僕とは……。


「だからお前は小僧だと言うのだ」


 そんな声は突然現れた。

 声は僕らの頭上にある大きな鳥居の上。僕は条件反射の如く視線を上に向けると、そこにはいつもの袴に身を包み、冷淡な表情をした左右がいた。


「お前、また……!」


 また僕のことを馬鹿にして!

 そう思って異論を唱えようとした僕より先に、左右はこう言った。


「お前だってこずえの幸せを願っていたではないか。そんな彼女をお前は情けない女性だと思うのか?」


 ……まるでそれは澄み渡る水のようだった。

 この神社の禊の水のように、淀みがなく、クリアで、僕の中にある汚れを落としてくれるような、そんな言葉だった。


 ——そうか。こずえも少なからず、僕と同じ気持ちだったのか……?


「そうだ、私新しいお茶菓子買ってきたんです。佐藤さんも一緒にどうですか?」


 上手く言えない言葉が、僕の心の中のわだかまりを少しずつほぐしていくようだ。左右相手に。左右ごときの言葉に。

 けれど間違いなく、僕はこのエセ神使の言葉に救われた気がした。


「私先に社務所に戻って用意しておきますので、ぜひ来てくださいね」


 みーこさんは僕の返事を聞こうともせず、笑顔で社務所に向かって駆けて行った。

 ……相変わらずみーこさんは察しがいい。もしかしたらさっき、こずえの依頼内容をうっかり吐露したのも、実はうっかりではなく……確信犯だったのかもれしれないな、と僕は考え直していた。

 だけど別にそんなことはもう、どうだっていいんだ。今、僕は心がとても軽い。

 目に見えない心は、臓器という形すらないくせに、僕の心臓を圧迫し、体を蝕んでいた。それが一気に解放された。

 暑い中で、汗はどんどん顎先に向かって滴り落ちていく。汗をかくのはデトックスになって体に良いとよく言ったものだ。実際は汗からでは毒素など微々たる量しか出ないというのに。

 けれど僕の汗からは間違いなく毒素が出ているのだろう。だってこれは、いつもとは汗をかく場所が違い、いつもよりも塩っ辛い汗だったからだ。

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