ー肆ー

「お前は相変わらず神使らしくもないな」


 可愛げがなければ、品位もない。紳士たるもの真摯に相手と対面すべきだ。僕は相手を敬って接するようにしている。人である僕ですらそうなのだから、神に仕える神使は紳士以上の紳士で、真摯に人と接するべきではなかろうか。


「小僧がお前の物差しで俺を図るな。そもそも人に意見を押しける地点でお前は小僧以下だな」

「こいつ、言わせておけば……!」


 やっぱりこいつだけは許すまじ! 僕は左右に向かって飛びかかるが、左右はそれをあっさりとかわす。まるで僕の行動など手に取るように見えているといった様子でだ。その涼しい顔がまた僕の怒りのボルテージを上昇させてくれる……!


「それよりも、今社務所の中にみーこと一緒にいるぞ」

「いるって、誰が……?」


 僕は思わずどきりとした。左右の言葉に怒りを覚えてすっかり抜けていたが、あの新聞に書かれていた幸せを願う女性とは誰なのか。

 社務所の中にいる人物というのはもしかすると……。


「残念だが、中にいるのは凛花だ」


 ……なんだ、凛花ちゃんか。思わず肩をがっくりと落としてた。こずえがまた来てるのかと思ってどこか期待していた自分が腹立たしい。

 万が一こずえが来ていたとして、それがどうしたというのか。また気まずい思いをするだけだというのに。


「って、なんで凛花ちゃんが? もう学校が始まってる時間じゃ……?」


 フと冷静になりそんなことを考えている間に、目の前にいたはずの左右の姿はどこかへ消えていた。

 なんなんだ、あいつ……? なんだかよくわからないが、ひとまず社務所へと向かうことにした。行ってみれば答えはわかる。そう思って、ひとまず本殿に向かって僕は最敬礼の形をとった。

 神様の御前にお邪魔すれば家主である神様にいの一番に挨拶をしなさい。と言う母親の言葉を思い出しながら、僕は禊も後回しにして真っ直ぐ社務所へ向かい、引き戸の扉を叩いた。


「おはようございます。佐藤です」


 少しすると扉は遠慮がちに開き、中からみーこさんの顔が覗いている。


「おはようございます」


 みーこさんは小声でそう言った後、人差し指を口元に当てて”シー”と小さな吐息を漏らした。

 なんだなんだ? 僕は状況が飲み込めず、ひとまずみーこさんにならって小声で話しかけた。


「さっき外で左右と会って、凛花ちゃんがここにいるって聞いたんですが……どうかしたんですか?」


 今日はテストの日だ。猫が飼えるかどうかの勝負の日のはずが、今ここにいるということは、戦う前から勝負を放棄したのだろうか。

 いいやそれは考えにくい。昨日の凛花ちゃんの様子からして、そんなことをするようには思えない。となると、凛花ちゃんに何か問題でも発生したのだろうか……?


「どうぞ中に入ってください」


 そろりそろりと社務所に足を踏み入れると、凛花ちゃんがしゃくり上げながら泣いている声が聞こえて来た。

 短い廊下の向こう側にある小さな4畳ほどの部屋で、凛花ちゃんは目をこすりながら泣いている。そんな凛花ちゃんの隣ではみーこさんの父親が、凛花ちゃんの頭を優しく撫でている。

 なんだ、この光景は……? 一体どうなってるんだ?

 そう思った僕は条件反射的に隣に立つみーこさんを見やる。するとみーこさんは困ったような顔をして、さっき口元に当てていた人差し指をテーブルの上に向けた。

 テーブルの上には古びた段ボールが乗せられている。それを見て、僕はハッと何かを察した。


「もしかして……」


 思わずあげた声に、凛花ちゃんは気がついたのか、涙であふれた瞳を一瞬だけ僕に向けた。その瞳には悲しみと、やるせなさが交錯しているように見えた。

 胸の奥がざわざわする。嫌な予感しかしないが、僕は真実に目を向けるため、段ボールの中を確かめようとして、部屋の中へと恐る恐る足を踏み入れた。するとその中には僕が想像していた以上のものが広がっていた。


「……えっ、これって」


 僕は思わずみーこさんに向けて、再び視線を向ける。みーこさんもなんとも言えない表情を見せながら僕を見返している。重苦しい空気の中、口を開いたのはみーこさんの父親だった。


「人も動物も植物だって、生きとし生けるものにはみんな平等に、死が待っているのですよ」


 ボロボロの段ボールの中には汚れたバスタオルが乱雑に入っている。そんなバスタオルに包まるようにして横たわっているのは、昨日左右と一緒にいたあのぶち猫だった。

 ぶち猫はまるで眠っているかのように横になって動かない。昨日左右と一緒にいた同じ猫とは思えないほど毛並みは乱れ、汚れ、閉じた目の周りには目やにが浮いている。

 けれどそれがあの猫と同じだと思える理由は、その毛並みの模様と、首についたリボンだ。赤いリボン。昨日左右と一緒にいたあの猫にも同じものが付いていたのだ。


「今朝みーちゃんに餌をあげに行ったところ、みーちゃんはすでに亡くなってたみたいなんです」


 みーこさんが僕の隣までやって来て、そっとこの状況について補足を加えてくれた。みーこさんは小声でそう教えてくれたが、静かなこの部屋の中では隠す方が難しい。麗しい声は凛花ちゃんまでしっかりと届いていたようで、再び純真な瞳からはポロポロと雨露のような涙が溢れ出した。


 左右はこの結末を知っていたのか。だからあいつは無理だときっぱり言ったのだ。みーちゃんが死ぬことが分かっていたから、だから……。


「みーちゃんが死ぬこと、知ってたの……?」


 凛花ちゃんは目をこすりながらそんな言葉をみーこさんの父親に投げかける。凛花ちゃんの頭を撫でていたみーこさんの父親の手がピタリと止まった。


「こうなるって分かってたのなら教えて欲しかったのに……凛花、みーちゃんとお別れできなかった……」


 しゃくりあげながらも一生懸命口にした言葉は、小さな子供が抱いた疑問と、不信感。そして、怒りだった。

 間違いない。僕が凛花ちゃんならきっと、神様なんて信じられなくなるかもしれない。まるでキヨさんのように。

 結局占うとか言って、この未来が見えてなかったんじゃ、結局は占いなんてものはただの子供騙しだって思っても仕方がないだろう。

 たとえ相手が子供だとしても、子供は大人が思うほど馬鹿じゃない。むしろ多感に何かを感じ取っている。


「……私にはみーちゃんが死ぬことは分かりませんでした。けれど、凛花ちゃんはまだみーちゃんとお別れができますよ」


 その言葉に凛花ちゃんは顔を上げた。眉根にいくつものしわを寄せ、目も目の周りも真っ赤に染めて、口は山を描くようにへの字にしながら。


「どうやって……?」


 みーこさんの父親は段ボール箱を床に下ろし、凛花ちゃんの隣に置いた。そしてみーちゃんを覗き込みながらこう言った。


「神道では死者は守護神となって家族や親しい人を守ってくれる存在になるのです。みーちゃんは凛花ちゃんの家族でもなければ人でもない。けれどきっと今も凛花ちゃんのそばにいて凛花ちゃんの言葉を聞いているはずですよ」

「……本当?」


 みーこさんの父親はいつもの朗らかな表情で、かつ、揺るぎない瞳を凛花ちゃんに向けながらゆっくりと首を縦に振った。

 けれどそんなみーこさんの父親の言葉を聞いても、凛花ちゃんの表情は固い。


「みーちゃん怒ってないかなぁ?」

「どうしてそう思うのですか?」


 凛花ちゃんはみーこさんの父親の言葉に、再び口を結ぶ。だけど僕にはその答えがなんとなく分かった気がした。


「……それは、みーちゃんを飼えなかったから? それとも、家に入れて上げられなかったから?」


 言葉が思わず僕の口をついて出ていた。その言葉に、凛花ちゃんは涙を溜めた瞳で僕を見た後、一度だけゆっくりと首を縦に振った。

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