探偵は地縛霊⁉ ー怪奇探偵・乙瀬瑠璃乃の事件簿ー

瀬奈

第1話 犬神①


「この世に生まれつくことが人生の始まりであるならば、死は怪事件の始まりさ」

これは、乙瀬瑠璃乃―――既にこの世の存在でない探偵かのじょの口癖だ。

雑多な稼業にふさわしい池袋の片隅。ギリギリ23区内、とあるマンションの一室。

「守屋」という表札の下に、今にも消え入りそうな文字で記された看板がある。 


「幽霊にお困りの方、相談のりマス。相談料30分2000円から(レトルトカレー10食分でも可)

                                

                  乙瀬瑠璃乃 美少女幽霊探偵事務所」

 

そう。ここはオカルト専門の探偵事務所。

迷子の幽霊探しから、犯人不在の殺人事件に至るまで。

この世のものとは思えない事件は全てこの偏屈女地縛霊、じゃなかった、天才美少女幽霊探偵の捜査の範囲内だ。


                〇


「出だしはこんな感じで大丈夫?」

ネット小説サイトの投稿欄にここまで書いたところで、瑠璃乃に確認をとる。

当の本人は幽霊らしく空中で浮かびながらウトウトしていた。

けだるそうに、瑠璃乃は摘んだばかりのブルーベリーのように青い目をこちらに向ける。ふわふわと浮かびながら近寄ってくると、パソコンの画面を覗き込んだ。その拍子に、黒くしなやかな瑠璃乃の髪が背中の辺りまでスラリと伸びた。

「ふあ~ぁ(大あくび)。こんな夜中までよくやるわね。あら、それなりに書けているじゃない。これでわたしの偉業も現世に広まるというものね。ふっふっふ。バスれ、ともかくバズれ」

「そんな簡単に言うなって」

調子づく探偵を横目で見る。 

その聡明な顔立ちと美貌は、誰もが認めるところではある。だがしかし。写真や映像でその姿を知らしめようとしても無駄である。そうしたところで、決して写りはしないのだから。

「もしベストセラーになったりしたら、印税でレトルトカレーが死ぬほど食べられるわね」

「故人のくせに何を言うんだか」

「地縛霊ジョークよ、地縛霊ジョーク」

「そんなこと言ってる暇があったらさっさと成仏しろっての」

毒づく僕に対し、瑠璃乃はくくっと笑う。

「いいのかにゃ〜そんなこと言って。私がいなくなったら相談料、解決料その他諸々の収入がぜーんぶ亡くなって、薫くんの方が幽霊になっちゃうわよ」

正直、そこを突かれると痛かった。

田舎から逃げる様にして上京してきた僕には、頼れる肉親や友人もいない。

「それに」と瑠璃乃は遠い目をして、

「まだ薫くんとはこうして一緒に暮らしていたいと思っているんだから」

となんの脈絡もなく僕の首に抱きついてくる。

……まだ寝ぼけているのか。仕方がない。

咳払いをして再びパソコンの画面に向かい合う。

「続き書くから、大人しくしていてよ?」

気恥ずかしさを打ち消すように返事をする。

はいはいと応じる瑠璃乃の表情は、随分と気楽なものだった。


これは僕(守屋 薫)と、訳あって僕に憑いた地縛霊・乙瀬瑠璃乃が解決してきた事件の記録である。

いや、正確に言えば。

これらの事件の犯人は、その全てが何かしらの異形の存在だったのだから。

このレポートのことは「乙瀬瑠璃乃の怪事件簿」とでも呼ぶべきだろう。

もし、この事件簿の出来事と似たような体験をしたことがあり、それが未だ解決されていない人がいるのなら。

この僕と、それから美少女幽霊探偵・乙瀬瑠璃乃が力になろう。

         

                 〇


地縛霊にも様々な種類がいるらしい。

「一歩も動けないタイプは悲惨ね」と瑠璃乃は他人事のように言う。

「霊的な存在ってのはみんな何かしら満たされないものを抱えているのよ。ま、簡単に言っちゃえば未練ってことね。一歩も動けない地縛霊は、それが分かっていても解消することが出来ない。電柱のように立ち尽くしたまま、通り過ぎていく人をただ眺めているだけなの。永遠に潤うことのない渇きを与えられているのよ」

その点、と瑠璃乃は続ける。

「私は土地ではなく人に縛られているわけだから、行こうと思えばどこへだって行けちゃう」

 「あのぉっ……」

 力を振り絞り、それから若干の怒り込めて、僕は静かに言い返す。

 「それなら宿主を金縛りに遭わせるのをやめて頂けませんかねぇ」

目が覚めてからと言うもの、瑠璃乃にのしかかられていた僕は、身動きをとることさえもままならないでいた。自宅兼事務所であるボロマンション地味な壁紙を10分も眺め続けている。

 


瑠璃乃はハンモックに寝転がっているような格好で浮かび上がる。

 手足の痺れが解けると、鳩尾の辺りが楽になり、心無しか呼吸までしやすくなった。

あれ?もしかしてこいつ相当体重あるんじゃーーー

 「地縛霊に体重なんかないわよ」

 どうやら心を読まれたらしい。

「宿主の考えてることくらいお見通しってこと」

 「目覚めからいきなり金縛りをかけてくるなんて、暴力系ヒロイン認定されてもいいのか」

 「そんな時代遅れなキャラ設定死んでも嫌……って私、もう死んでるんだけど」

 寝覚めから、地縛霊と不毛なやりとり。

 納得のいかない扱われ方である。助手を大切にしろ!パワハラだ!などと心の中で叫ぶ。

 そんな事をしていたら、唐突に事務所の呼び鈴がなった。

 「あれっ。瑠璃乃、今何時?」

 「15時」

 「えぇ!?今日は依頼人が来るっていうのに」

 完全な寝坊である。就眠した時間が遅かったとはいえ、それでも12時間の睡眠とは我ながら呆れてしまう。

 「深夜の仕事ばかりだからって眠り過ぎよ。まるで死人じゃない。生きてる人間とのやりとりは薫くんの役目ってことになってるんだから、しっかりしなさいよ」

 「誰かさんのおかげで昼夜逆転生活を満喫してますよ。っていうか、起こしてくれたって良かったのに」

 「起こしたじゃない。金縛りにかけて」

 雑か!という言葉が出かかったが、ギリギリ喉元に留めておく。

 「ものにはやりかたってものがあってさぁ」

 「私は古き良きツンデレヒロインなので」

 キャラ設定、間違えすぎだろう。あるいは自己評価が高すぎるのではなのではないか。

 仕返しに羽毛の枕を瑠璃乃に投げつけたが、彼女のお腹のあたりをすり抜けると、力なく落下した。

 「頭を抜けたら50点〜♪」

 「言ってる場合か!」

 

 寝起きのいざこざのせいで、結局依頼人を長いこと待たせることになってしまった。

「なんだか楽しそうなお話が聞こえてきましたので、少しも退屈しませんでしたわ」と

と、本人は気にする素振りを見せなかったのだけれど。

でもそれはきっと気を使ってのこと違いない。奴とのやり取りが楽しそうだなんてどうかしている。

「申し遅れましたわ」と依頼人は丁寧に挨拶をした。

「私、剣持早百合と申します。この度はご相談があって参りましたの」

剣持さんは多くのお嬢様が通う女子大学の学生だという。上品な白いワンピースにブランド物のカバンを身につけている姿は、まさしく深窓の令嬢という言葉がぴったりだ。

 「あなたが探偵さんでいらっしゃいますの?失礼ながら……女性の方とお伺いしたものですから」

 「乙瀬は日中、姿をお見せする事ができないんです。事務手続きと基本的な相談は助手の僕が担当するよう指示されております」

この手のやりとりは日常茶飯事である。

探偵が女性であればこそ、何かと相談しやすいという場合も多い。実際、我が事務所の相談者も半分以上が女性だ。

そう弁解すると、剣持さんは口元を手で隠して静かに笑った。

 「そうでしたの……昼間は姿を明かせないだなんて、なんだか吸血鬼みたいな探偵さんですのね」

 正確には、地縛霊なんすけどね。

 「それになんだか」

 「なんだか?」

 「助手の方も若くて、なんだか中学生みたい」

 「ちゅっ」

 どこかで瑠璃乃が爆笑しているのが聞こえた。後で塩を撒いてやる。覚えていろ。

 「すいません、確かに僕は未だ10代ですが……。仕事の経験には自信がありますので。お任せください」

 「霊感、強そうですものね」

 「ま、まぁそれなりに……それで、ご相談というのは」僕が聞くと、剣持さんはそれまでとはうって変わった深刻な顔をして話を始めた。

 「これは、つい先日のことなのですが……私の家に『犬神』が出たのです」

                         

 「犬神とは、要するに犬霊の一種のことね。名前くらいは薫くんも聞いた事があるでしょ?ウールチューリップハットを被った着物の私立探偵が、一族のいざこざに巻き込まれていく物語なんかで」

 瑠璃乃は、電子レンジで温めたレトルトカレーをライスの上にかけている。

 依頼人の剣持さんからひと通りの事情聴取を終えた後のことである。

瑠璃乃は日中、僕以外の人間には姿を見せることができないので一度解散し、霊が出現したという現場を訪れるのは日が暮れてからということになった。

 「具体的過ぎてその探偵が誰なのかすぐに分かるよ……でも、あれは人間による犯罪であって、本物の霊が登場するわけじゃないだろう」

 僕がそう返すと、瑠璃乃は口を半月型にする。

 「ふふ、薫くんにしては知っている方じゃない。これは日頃の私の教育の賜物ね」

 「素直に褒めてくれたっていいのに」

  僕は褒められて伸びるタイプなのだ。

 「このまま成長してくれれば、いずれご褒美のチューでもしてあげるわよ」

 「具体的には後どのくらい?」

 「う〜ん、50年後とか」

 「それじゃ成長を通り越して老化だよ!」

 チューはともかく。

 僕は剣持さんが語ってくれた怪奇現象の内容を瑠璃乃に伝える。

出迎えの準備をいたしますので、と先に帰宅した剣持さんの話は、次のようなものだった。

 午前0時当たりを過ぎると、家のどこからか夜な夜な犬の遠吠えの様な声が聞こえてくるというのである。それは閉じた扉の向こうからや、無人のキッチンから発せられることもあったらしい。近辺に犬を飼っている住宅もなく、都心の真中で野犬が侵入してくることもほぼあり得ない。そして剣持家に仕える使用人の中には、全長2m程の真白い何かが渡り廊下を走っていくのを見た人もいるという話だった。

 「差し当たっての被害はないみたいだ。観賞用の壺が幾つか騒ぎの中で壊れたくらいで、誰かが襲われたりすることもなかったとか」

 瑠璃乃は熟練刑事さながらに、顎に手をやって思案している。

 「それだけ聞くと、よくある幽霊騒ぎの様にも思えるわね。でも依頼人ははっきりと『犬神だ』と言ったと」

 僕がそうだ、と答えると、今度は指先こめかみにに当てている。

 「なるほどねぇ。本来『犬神』と呼ばれる存在は人に憑依する霊なのよ。家中を闊歩する例はあんまり聞かないわね。でもって、その起源は蠱毒と並んでとても古いもので、実際にその憑依術式を発動するときは……そう、犬の首をとんでもなく酷い目に合わせたりするのね。色々とエグみのある儀式を行うことによって霊を呼び出すのだけれど、つまりそれが意味するところっていうのは、必ずその儀式を行なった人がいるってことなの」

 「自然発生的な現象ではない、と」

 瑠璃乃は首を縦に振り、それから、と続ける。

 「彼女の証言と通説で大きく異なるのは、使用人が目撃したと言うその大きさ」

 「2mって言ったら相当な大型な犬になりそうだよね。土佐犬とか」

 「現代の犬種で言ったらそうなるかもしれないわね。だけど、よく言われる犬神の大きさは、ほんの数十センチくらいしかないの。ネズミと同じくらいの大きさのはずなのよ」

 「でもそれは一般的な伝承ではってことでしょ」

 「その通り。恐らく今回の現象の要となるのは術式を発動した人物が誰なのかってことと、そのあたりの伝承との大きさの違いになってきそうね」

 しばらく考え込む瑠璃乃。狭そうに事務所の間を行ったり来たりしている。

 「彼女……名前はなんというのだっけ」

 「剣持早百合」

 それを聞くと、不敵な笑みを浮かべた。

 「へぇ。それはなんだか興味深い巡り合わせね。彼女……というか、彼女の生家の方と、という事だけれど」

 食べさしのレトルトカレーをかき込む再び空中に浮かび上がり、何度か大きく伸びをする。

 気がつけば、外には夕闇が差し迫っていた。

 「また勝手に一人で納得して。不肖の助手にも分かる様に話していだだけませんかね」

 僕がそう文句を言うと瑠璃乃はウィンクひとつで返事をした。

 「まぁ、まだ全てが明らかになったわけじゃないよ。怪事件はこれからが始まりってわけ」

 「それじゃあいつもの?」

 えぇ、と頷く美少女幽霊探偵。

 「フィールドワークの時間といきましょう」


 夜というよりも、深夜といった方が適切な時刻。僕達は事前に聞いていた剣持早百合の邸宅に訪れた。のだが、何よりもまずその敷地の広大さと屋敷の豪華さに圧倒された。剣持家がセレブであることはなんとなく予想していたのだけれど、この規模は想像以上である。

 四方を瀟洒な装飾のついた石壁に囲まれ、出入り口の門は背の高い鉄格子。庭には天然の芝生が広がり、煉瓦でできた歩道が、欧州風の屋敷までゆったりとしたカーブを描きながら続いている。6畳2間のボロマンションとは大違いだ。

僕は剣持さんのシルエットが事務所の薄クリーム色をした壁紙に不自然に浮き上がっていたのを思い出した。彼女の育った場所を目の当たりにしてみると、あの不釣り合い加減には納得がいく。

唖然としながら豪邸を見上げていると、頭の上あたりであぐらを組んでいた瑠璃乃が

「これといって特徴のない庶民派の探偵助手が居たっておかしくないわよ」などと似合わない気遣い。

 「慰めになってないし、別に落ち込んでいるわけでもないよ……」

 そうこうしているうちに、重たそうな鉄格子がギィイイと音を立ててひとりでに開いた。入って構わないということなのだろう。とくに僕たちの来訪を告げたわけでもないのだが、この広い邸宅の入り口である。監視カメラのひとつやふたつあっても不思議ではない。

 玄関まで着くと、剣持さんが出迎えて暮れた。何人かの使用人も一緒だった。その誰もが整った格好し、それはまさしく本物の「メイド服」である。おぉ、これはちょっと感動。

 「ようこそいらっしゃいました。えぇっと……」

 剣持さんは僕の隣に立っていた瑠璃乃を目にするやいなや、明らかに戸惑った顔をしていた。

それもそのはず。

そこには探偵という肩書のイメージからは程遠い、華奢な美少女が立っていたのだから。ダメージの入ったジーンズに白無地のシャツ、その上に赤と黒のチェック柄のオーバーオールといういささかラフな格好ではあったけれど。

 「はじめまして、剣持早百合さん。私は探偵の乙瀬瑠璃乃と申します」凛々しく挨拶をする瑠璃乃。体面だけは完璧な幽霊探偵である。

 「な……え……」

 剣持さんの体がわなわなと震えだした。

 うーむ。やはり少し頼りないと思われたのだろうか。

 未だ10代の男と、それと見かけの年齢はあまり変わらなさそうな女が、これからゴーストバスターしようというのである。質の悪い悪戯だと判断されても仕方がない。

 「か……かわい過ぎるううううううう!!』

 「ええええ!?そっち!?」

 僕がツッコミを入れるか入れないかの間に、剣持さんは瑠璃乃に向かってジャンピングハグをかましていた。

 想像以上の歓迎ぶりに先手を取られた瑠璃乃は、なす術もなく、無抵抗な猫みたいに抱きしめられている。

 「お待ちしておりました!美少女探偵と銘打つだけのことはありますわね!ロシアンブルーの様に華奢でありながら、黒猫の様に芯のある美しさ!看板に偽り無しですわ!」

 一心不乱に瑠璃乃に頬擦りをする剣持さん。

 いや、あの、一応地縛霊なんですけどね、そいつ。夜なら触れるし、会話もできますが。

 瑠璃乃の方に目を向けると、拘束されつつ得意気な表情でこっちを見ている。どうだわたしはかわいいだろ。と言わんばかりのドヤ顔である。ピノキオばりに鼻が伸びている。

 ……絶対にツッコんでなどやるものか。

 僕の呆れた顔を察したのか、メイド服の使用人のうちのひとりが、パンパン!と手を叩いた。

 はっ、と我に返る剣持さん。

 「どうもうちのお嬢様がご無礼を。彼女は小さい時から可愛いものには目がないのです」

 手を叩いたメイドさんがやってくると、僕の方へ丁寧にお辞儀をした。剣持さんより少し年上くらいだろうか。鋭い目つきが大人びて見えた。

 「い、いえいえ。うちの探偵も満更ではなさそうでしたから」

 どうして僕がこんなことを言わなきゃいけないのだろう。満更でもなさそうって。いや、確かにそうとしか言いようがないのだけれど。

 「私はメイド長の芹田楓と申します。これまでいくつかあなた方の様な業種の人々に依頼してきましたが、いずれも解決とまではまいりませんでした。元々あり得ないようなことを生業にしている方々ですから、まともにコミュニケート出来ない人たちの集まりだとばかり思っていたのです。それが……」芹田というメイド長は、じゃれあう令嬢と美少女地縛霊に目を向ける。

 「お嬢様とあのように打ち解けられたのは初めてで」と、再び深々とお辞儀をした。

 どうやら、頼りにはしてくれているみたいだ。

 「お任せ下さい。乙瀬に迷宮入りした事件はありませんから」

 僕は毅然と胸を張る。こういった類の問題を解決することに関して、瑠璃乃の右に出るものはいない。 

 「はい。宜しくお願いいたしますね」

 芹田さん小首を傾げて小さく笑った。


 僕と瑠璃乃が通されたのは広い客間だった。

 シャンデリアに照らされた部屋の長いテーブルが一つと、座り心地の良さそうな1椅子が12脚もある。床は一面が深紅の絨毯で覆われていて、厳かな雰囲気は御伽噺の中に出てくる城のようだ。

 隅の方の席に陣取り、僕たちは現状確認をする。暖炉の前の主人席に、遠慮なく瑠璃乃は腰を下ろした。

 「わたしここがいい!」

 おいおい、そこは剣持さんの場所だろうに。

 僕は怪訝な顔をするが、剣持さんは少しも気にしていない。むしろ「お人形さんみたい」と微笑ましく瑠璃乃を眺めていた。

 伽藍とした広間に、薪の燃える音が響き渡る。

 教会の大聖堂の様な場所に、僕と美少女探偵、それから剣持さんと芹田さんが残された。

「屋敷には剣持さんとメイドさん達で暮らしているのですか?」

「えぇ。現在は私と芹田達メイドの5人ばかりで過ごしていますわ」

いくら使用人を抱えているとはいえ、若い女性が暮らす屋敷である。セキュリティに問題はないのだろうか。

「相手が人間なら、この国で最も安全な邸宅のひとつと言えるでしょうl

 そう答えたのは芹田さんだった。

「剣持グループ直営の警備会社が24時間体制で監視をしております。無論プライバシーには配慮し、浴室とお嬢様のお部屋だけは例外ですが」

「剣持グループ直営って、あの旧御三家の?」

「えぇ。早百合お嬢様は剣持財閥の一人娘でいらっしゃいます」

そうだったのか。その名前からもっと早く気がつくべきだったけれど、これで彼女の並々ならぬ育ちの良さにも納得がいく。

でも剣持財閥といったら……。

「うん、薫くんもようやく合点が入ったみたいね」

先ほどから黙って暖炉の火を見つめていた瑠璃乃がようやく顔をあげた。

「先代、剣持吉次郎は先月亡くなったばかりで、その後継問題が世間の耳目を集めている。一人娘といったらその第一位王位継承者でしょう。誰かが決定的な証拠の残らない方法で、命を狙っていても不思議じゃないわ」

 瑠璃乃の言葉で、僕はようやく事態の深刻さを飲み込むことが出来た。ふわふわした剣持さんの雰囲気に、僕は心のどこかでどうにかなるだろうと高をくくっていたのかもしれない。

「それじゃあ、この騒ぎも誰かが剣持さんの命を狙って引き起こしたものだってこと?」

「その可能性も捨てきれないわね」

 剣持グループは伝統的に親族経営らしい。となれば、次にトップの座に据えられるのは間違いなく剣持さんになる。グループの財力と権力を狙う第三者からすれば、彼女の存在を邪魔だと考えて当然だろう。 まさしく、急転直下の展開に、彼女は今巻き込まれているのだ。

「剣持さん、あなたの立場を狙う様な存在に心当たりはありますか?」

「わかりませんわ」剣持さんは即答する。

「これまで会社の人たちとは面識があるくらいで、グループの内情については一切関わりがありませんでした。それに、知っている限りではみんないい人たちです。父とも本当の家族の様で、母を早くに亡くした私にも優しく接してくださいました。そんな人たちを疑うだなんて……」

 どうやら身内のことは本当に疑っていないみたいだ。いや、疑うことを拒否しているとでも言うべきか。

そんなご令嬢の心情を知ってか知らずか。瑠璃乃は、

「それはどうでしょう」と口を挟む。

「生者は容易く欲望に囚われるものです。こればかりは誰にもあなたを狙う理由がないと断定できません。それに生きている人間の意思や情念について、私は専門外ですし」

それは尊大で不器用で、寂しげな台詞だった。

彼女が無関心を装う時、それは自分の無力さを覆い隠す為の強がりであることを、僕は知っている。

瑠璃乃は怪奇現象への優れた洞察力と干渉能力を有する一方で、生者の目的や野心を感知することに関して、なんら特殊な能力を持ち得ない。

本来ならば。地縛霊である彼女は「事件の解決」という意志を、成し遂げることは出来ないはずだった。

だが。いや、だからこそ。

僕は瑠璃乃の足となり、その意志の歩みを代行する。僕たちは共に靴底をすり減らす。時折悪霊と切った貼ったの大立ち回りを演じながら……そうすることによってのみ、公の機関では処理することのできない怪事件を解決してきたのだ。

「とにかく、今は出来ることをやるしかありません。調査は始まったばかりですから。それに剣持さんの身に危険が及ぶ可能性があることがわかった今、僕たちの仕事はあなたを警護することでもある。そうだよね、瑠璃乃」

「……よくわかってるじゃない」

 それは、美少女探偵の名にふさわしい笑顔だった。

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