真実の裏には~④

 定岡と話をしている間に部活の終了時間になったため、特別室を出て学園を後にした。 駒亭で夕食を取るため食堂に寄ると、女将がいたので美樹のことを尋ねてみたが、状況はほとんど変わらないという。

 ただ食事を残す量は徐々に減ったらしい。少しでも食欲が戻ることは良いことだけど、騒がず焦らず見守るしかないねと悲しい顔をしてまた忙しく厨房の奥へと引っ込んだ。そう言われて父のことを思い出す。あの頃も自分は見守ることしか出来なかった。

 今もそうだがせいぜい父の心の負担にならないよう心がけ、手を差し伸べて欲しいという合図だけは逃さないよう見守り続けるしかない。だがそれが本当に出来ていたか、今もできているかは自信が無い。時々ネットを通じて互いの顔を映像で見ながら話はしている。だが父の元から離れて下宿することが本当に良かったのか、と考えてしまう時もあるのだ。

 今の下宿生活の方が経済的な負担はあるが、食事の面倒を見てくれる女将達がいたり、見守ってくれている大家さんがいたりすることで、ここでの生活は父と一緒に暮らすよりも安心な環境だとは思う。それでも祖母が亡くなってから一人であの家に暮らしている父は、寂しいのでは無いかとも時々考える。

 この下宿先に来る前は小学生だったシンも今は高校生だ。だからある程度の事は自分で出来るし、食事だって名古屋のような都会に行けば今は何だってある。自炊だってやろうと思えばできるし、父の分を作ることもできるだろう。

 一方でシンが実家に戻れば、父が何もできないから子供にやらせ、大学受験を控えている息子の邪魔をしてしまうと心理的なプレッシャーを感じさせてしまうかもしれない。この悩みに関しても堂々巡りするばかりで結論を先送りにしている。

 結局学園を卒業して大学受験を終えるまで、しかも父が卒業した大学に入る目標を達成するまでは、現状維持しかないと考えるようにしていた。

 今できることを精一杯やるだけだ。そう言い聞かせ、下宿先に戻って机の前に座った。まずは勉強、いやその前に銭湯へ行かないと、と思いながらもデスクトップを立ち上げる。何か新しい情報が入っているか、チエックすることから始めた。

 監視ウィルスに感染させているパソコンから、得たい情報に関する言葉をキーワードにして、それらの言葉ないしはメールなどに文言が入ったものを見つけると、ピックアップしてメールで知らせるようにシステムが組まれていた。

 学生であるシンや教師である定岡は、プロのITセキュリティ&調査集団とは違う。二十四時間監視活動を続けている訳にはいかない。そこで監視補助要員にはIT部を通じてこのソフトが提供されていた。その中で注目すべき情報があった場合、定岡を通じて報告を上げることになっているのだ。

 数件のチェックメールが入っている。しかしたまたまキーワードに引っかかる会話をしていたり文章を打っていたりして、多くは関係ないものがほとんどだ。案の定ざっと目を通したところ、二件目までは計画やその他の得たい情報に関するものはなかった。

 三件目は渡辺家のパソコンに侵入させてあるウィルスからのメールだ。期待半分で確認したところ予想通り、数か所で美樹を心配する会話ばかりが交わされている。これも関係ないと最初は思ったが、ただ一点だけ引っかかった。

「美樹ちゃんも“こころ”がケアしてくれると良いけど。そういえば××××……」

 途中から数字とアルファベットが続き、パスワードともとれる言葉を呟き、そこからはキーワードに関係のない会話とシステムが認識したのか、途切れてしまっていた。“こころ”がケアするって何だろう。“こころ”をケアするなら判る。

 それにその次の言葉が不明だ。渡辺さんはパソコンを多少使用しているが、その中に先程の複雑なパスワードを使っているものなど無い。また一体これは誰との会話なのだろう。

 取りあえず他を見て関係するものがないことを確認した後、再び先程の疑問を解決させようと会話の出所を確認した。

 するとそれは渡辺家の固定電話にかかってきた人との会話を監視ウィルスが感知して、拾い上げたものだと判明する。そこで相手の電話番号を調べる方法を使い調べて見た。

 かなり複雑な方法を取っている場合はプロに任せなければならない。逆をいえばそこまで手間をかけてやり取りしている時は何か後ろめたい、重要な事由に関することが絡んでいることを意味する。

 よって監視補助員のシン達が追い切れない、判別できないものは上に報告するべき情報だ。シン達が掴める程度なら重要性は低いものと判断し、報告はしない。ただでさえ毎日のように引っかかってくるメールは相当な量になる。その為ある程度の取捨選択が必要だからだ。

 探ったところ、相手は公衆電話からかけていると分かった。渡辺さんの友人なら携帯を持たない人が居てもおかしくはない。だが和多津さんのことを話題にしている。ある程度プライベートな話ができる相手だろう。それが何故固定ではなく公衆電話?

 この案件は定岡に報告すべきものと判断したが、いつもならそこで調査を終えて自分の勉強に費やしていた。銭湯へも行かなければならない。

 しかし今はテストが終わったばかりで宿題は無かった。そこでシンは気になって、もう少し自分で調べようと考えた。まず引っかかったのは、“こころ”が、という点だ。

 ただの言い間違いとも言えるが、自分の名が漢字で心と書いてシンと読む。だが幼い頃は“こころ”ちゃん、と呼ぶ人もいたので敏感に反応してしまう。また父の病にも関係する言葉でもあった。

 さらに会話時のトーンが、通常より微妙に緊張感があった気がする。シンが調査する対象の中で、和多津美樹の名は検索キーワードの一つだ。その為渡辺家にしかけたウィルスからは、どうしても彼女にまつわる件が多い。よって得たい情報に関係ないことで会話している様子も何度か繰り返し耳にしてきた。だからこそ持った違和感なのだろう。

 それと渡辺さんが口にした、複雑な数字とアルファベットが混じった言葉だ。今までにあの人がこのようなことを口にしたことは無い。

 そこでメモに書き写して眺めていると、なんとなく既視感がありふと閃いた。自分の推理が正しいかを確かめるため、パソコンでテレビ電話回線のシステムを立ち上げる。そこに先ほどメモしたものを入力してみた。

 するとコール音がした。やはりこれは父と話す時に使っている、テレビ電話回線のパスワードだったのだ。ではその相手は誰なのか。シンはコール音が続く画面をじっと眺め、相手が出るのをしばらく待った。

 シン個人へのメッセージという読みは当たったらしい。となれば相手は渡辺家がシンに監視されていることを知って、わざとこういう手段を取ったと考えられる。監視できるのはシンだけでは無い。管理している定岡や提供元のセキュリティ会社の人達も情報を得ることは可能だ。

 その時定岡の発言を思い出した。渡辺家ではシン達以外の他に監視している人がいると。さらにあの事故を起こした運転手の身元が怪しく、調査を依頼していると言っていた。

 名は鈴木と記憶しているが、正体は誰か等あれから聞いていない。話題が出た当初は気になったため独自にも調べてみたが、それらしき形跡を発見できないまま時が過ぎていた。 しかもあの後美樹の過去に関する噂が飛び始め、その火消しにIT部も追われた為に鈴木の存在などすっかり忘れていた。

 しかしシンだけが気づくよう残したメッセージを聞き、渡辺家を探っていたのが彼だとすれば、この情報に気づいたかもしれない。

メッセージはただの偶然には思えなかった。なぜならパスワードのアルファベット部分を除いた数字は、シンと父とがテレビ電話で交信する時に使う数字に全て一を加えたものだったからだ。

 アルファベット部分もまた一つだけ上のもの、例えばaがb,、kがlになっており、全ての配列と文字数も一致している。これは余りにもできすぎだ。それにこのパスワードを知っているのは、シンと父しかいないはずである。

 つまりこのパスワードを知らせた人間は、渡辺家だけでなくシンの事も探っている人物の可能性が高い。さらには父すら監視対象になっているとも考えられる。その正体は誰なのか。渡辺家を探っていたらしい鈴木と同一人物なのか。

 なかなか繋がらない状態が続いたが、かなりの時間を要した後に音が鳴り止んだ。相手と繋がったのだろう。慌てて会話できるようセッティングをしたところ、画面に先方のカメラが捉えた映像が現れた。

 右下にはシンの顔が写り、こちらの映像が向こうに届いていることが確認できた。しかし肝心の相手の姿が映っていない。見えるのはぼんやりと薄暗い部屋の様子だけだ。見覚えのある場所でも無い。ただ音声のやり取りはできるようだ。

 そこで声をかけようとした瞬間、ちらりとメモが映った後に突然画面が切れた。相手が交信を絶ったと理解できたのは、数秒後のことである。

 再度通信しようとパスワードを入力してみたが今度はコール音すらならない。繋がる気配も無くなり、何度繰り返しても結果は同じだった。相手はもうやり取りする気がないらしい。つまり少しだけ映ったメモが、相手からのメッセージのようだ。そこにはただ、“かわぐち、十分あと”、とだけ書かれていたように思う。 

 その言葉をもう一度頭の中で繰り返した所である場所と繋がった。十分あと、は十分後、のことに違いないと慌てて時計を見る。時間は十時少し前で、いつもなら銭湯に入っている時間だ。

 いつも通り銭湯道具一式を持って階段を駆け降りた。シンが通っているのは”寿の湯”といい、父もかつて下宿生時代に入った昔ながらの古い銭湯だ。急いで男性用の扉を開け、番台に座っているおじさんに挨拶して靴を脱ぎ、脱衣所に上がった。

 いつも使っている鍵付きの棚が空いていたので、そこに洗面道具や着替えを放り込み、周囲を見渡しながら服を脱ぐ。脱衣所にはよく見かけるオジサンばかりで、下宿生は誰もいない。だからこの時間を選んで入るようになったのだ。客は三人いて、一人は入り終えたのかタオルで体を拭いている。二人は着替えも終えた状態で今の政治はどうのと小難しい話をしていた。

 ガラス戸の向こうの湯船を覗いてみる。湯気ではっきりとは見えなかったが、二人入っているようだ。一人は体つきからしていつもいるオジサンだろう。この銭湯にはもう三年半以上通っているため、同じ時間帯に入る常連の顔は覚えている。たまには声をかけあう間柄だ。

 しかし湯船の奥に浸かっている見知らぬ大人が一人だけ見えた。ここで悩んでもしょうがない。思い切って裸になり、洗面道具一式を桶に入れてガラス戸を開けた。

 手前にいたオジサンはシンに気が付き、先におうと声をかけてきた。こんばんわと頭を下げて挨拶をする。いつもなら入口近くの洗い場に腰をかけるが、今日は奥の湯船に近い場所へ座った。その際横目でチラリと覗いたが、相手はこちらから顔を背けてのんびりしている。

 予想が外れたかと思ったが、今更別の行動に移る時間もなく当てもない。止む無く桶に湯を汲んで体にかけ流してから、知らない大人のいる湯船に足をつけた。

 その時もう一度顔を見たが、やはり相手はこちらを向いていない。年の頃は四十代後半に見える大人に対し、礼儀としてこんばんわと声をかけてから、少し離れた場所に腰を沈め肩まで浸かった。

 返事はなかったが、相手は軽く頭を下げたように見えた。年配者なら当然の態度でおかしくはない。銭湯の湯はいつも通り熱かった。父からも聞いたが昔から銭湯に入る方々は高齢者が多く、何故か熱いお湯が好きな人ばかりらしい。それでも三年以上入っている内に体は慣れ、今では熱くないと入った気がしないまでになった。

 ふうっ、と息を吐きながら一日の疲れを取る。凝っている肩を手で揉み、目の周辺も指を使って押しながら硬い筋の痛みをほぐす。だが目から手を離した途端、黙礼した大人がすぐ隣にまで近づいていた。

 無意識にもう一人のオジサンの姿と、脱衣所にいた人の様子を探る。湯に入っていた人は既に出て脱衣所で着替え始めていた。湯船にはシン達二人しかいない。脱衣所にいた三人も帰ったらしく姿は見えなかった。

 今までの経験上、これからくる人はほとんどいない。つまりしばらくの間、湯船には隣にいる大人とシンの二人だけになる。もちろん何かあったら、番台には”かわぐち”のおじさんがいるので安心だ。ちなみに今の”かわぐち”のおじさんは、父がいた頃の人の息子らしい。

 この銭湯に通ってくる周辺の下宿生は、たいてい”寿の湯”に行くことを、寿に行ってくる、とか銭湯に行ってくると言う。だが近所の常連さん達は皆、”かわぐち”へ行ってくるというのだ。代々経営している川口さんを慕ってそう呼ぶらしい。そのことをシンは父から聞いて知っていた。

 だから今駒亭でお世話になっている新しい下宿人達は皆、ことぶきという言葉は使っても、”かわぐち”とは言わない。今でも周辺で通じるのは、女将や大将、そして下宿の大家である立花のお爺ちゃんくらいだ。

 ”かわぐち”という言葉は知る人ぞ知るこの地域の隠語だった。その為メモを見て、シンに伝えたい事があるならここへ来ればなんらかのメッセージが遺されているか、もしくは誰かが接触してくるだろうと推理した。それが当たったのだ。

 問題はこの男は誰なのか、だ。敵か味方か。どういう意図を持って、手の込んだ方法を使い接触してきたのか。恐る恐る男の顔を見た。今度はしっかりと見える。次に会っても忘れないだろう。

 体付きは見た目の割にがっしりと筋肉が付いていて、常に体を鍛えているか肉体労働をしている人のように見える。だが精悍で知的な顔つきから、おそらく前者ではないかと推測した。

「あ、あの」

 そう言いかけると、その人は前を見てと小さく呟きシンから視線を逸らした。そこで視線を逸らしゆっくり湯に浸かっているよう振る舞いながら、小声で隣の男に尋ねた。

「僕に何のご用ですか」

 すると相手から少し笑った気配がし、答えが帰ってきた。

「よく気づいたね。俺は味方だ。君のお父さんの修二を良く知っているし、渡辺家もそうだ。私は美樹ちゃんを守ろうとしている。だから安心してくれ」

「どこの誰だか判らない人に、いきなり安心しろといわれても」

 味方と言われ動揺しながらも言い返すと、相手は驚くべき言葉を発した。

「俺は君達が探している、駒亭で事故を起こした運転手、鈴木正一だ。あれは故意に起こした。駒亭から美樹ちゃんを遠ざけ、渡辺家で守る為にね。渡辺千夜は俺の元嫁の母親、つまり元義理の母親だ」

 突然の告白で思わず顔を向けようとしたが、

「こっちを見るな」

と先に小声だが強い口調で注意された為、何とか止めた。さらに忠告が続いた。

「君も薄々気づいているようだが、俺も君も監視対象だ。この地区ではあらゆる場所に管理システムがあるから下手に話せない。だからこういう形で接触した。ここは安心だ。先代の時代から銭湯周辺には監視網である防犯カメラの設置を許可していない。盗聴機もないことは、俺達が確認済みだ。と言って慎重を期すに越したことはない」

「俺達? 仲間がいるのですか?」

「いるさ。目的は同じ。若竹の闇の解明と、進行中の計画内容を探り阻止することだ」

「じゃあ、事故まで起こして和多津さんを守ったのは何故ですか」

「危険を冒してまで直接俺が実行する必要があったからだ。彼女は今回の件のキーマンだ。その為にあの家で匿った。しかし先方の策略で今はあんな状態になっちまったが」

「和多津さんの噂を広めたのは、計画を進める人達だったのですか?」

「そうだ。彼女が心を病み、引き籠ることで得する奴等がいる。しかし今は詳しく説明している暇はない。今日は君の周りに味方の振りをした敵もいるから気を付けろと忠告する為だ。まずIT部の監視システム会社自体、国の息がかかっている。だから上に報告した情報は、計画を潰すことに使われはしない。詳細は君と安全に情報交換できる方法を確立してから話す。だから近い内に修二と直接会って、筆談で確認してみろ」

 そう言って彼は立ち上がり、湯船から出て行こうとした。

「ちょっ、ちょっと」

 まだ尋ねたいことがありすぎたため彼を止めようとした。しかし話しかけるなというオーラを感じ、それ以上言葉はかけられなかった。彼が脱衣所へと向かう背中をしばらく眺めていたが、長く熱い湯に浸かり過ぎていたことに気付く。そこで自分も湯船から出て洗い場の椅子へと移動した。

 早く体を洗ってしまおう、と持ってきたボディソープに手をかけたところで、再度脱衣所に視線を向ける。しかし彼はすでに着替え終え出て行くところだった。これまでの素早い行動を見て、本当は誰なのか不明だが只者でないことは理解できる。

 姿を消した彼を追うことは諦め決心した。次の土日に名古屋へ帰ろう。そこで父と話せば彼の正体が分かるはずだ。しかもテレビ電話ではなく、直接会ってしかも筆談しなければならない。

 つまりシンと父が監視されていることを意味する。そこで改めて恐怖を感じ、体が震えた。慎重を期して二日を置き、父とテレビ電話で連絡を取って自然な形で切り出した。

「中間テストも終わったし、夏休みも帰らなかったから今度の土日は帰るね。授業内容も難しくなってきて、新しい参考書を買いたいと思って。ネットでも買えるけど、中身を直接確認した方が良いから。大きな書店ならこっちよりも種類が豊富だし」

 父は意図を理解したのだろう。

「待っているよ。気をつけて帰っておいで」

とあっさり受け入れ、何気ない日頃の報告をし合って話終えた。

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