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「ヤナギ様の様子がいつもと違う」

そんなことを聞いたのは、いつもとなんら変わらない、ある晴れた朝のことだった。

朝起きて寮から出た瞬間に、そんな噂が聞こえてきたのだ。

「朝の支度をメイドの力を借りずに一人で完璧にこなしたとか」

「我儘を言わなかったのでしょう? いつもはこのアクセサリーはどこ!? とかいう怒声がとんでくるのに……」

「なんだか目付きが違うのよ……。こう、キリッとしてる感じ? 」

メイドが、教師が、口々にそんなことを言っている。

「あら、アイビー様。ご機嫌よう」

廊下を歩いていると、いつもヤナギと一緒に行動しているミアが挨拶してきた。

完璧に施されたメイクを纏った彼女だが、浮かない顔をしている。

なんだか、焦っている様子。

「ミア。ハランは? 」

ミアの隣に、ヤナギはいない。

「それが、姿が見えませんの。アイビー様、ヤナギ様が何処にいらっしゃるかご存知ありませんか? 」

「いや、俺は特に見かけてはいないが……」

キョロキョロと辺りを見渡してみるも、ヤナギの姿は見受けられない。

すると、ミアはぺこりとお辞儀をしてヤナギを探しに教室の方へと行ってしまった。


やがて、アイビーも授業に出るため教室へ入るとそこにはヤナギの姿があった。

椅子に座っている。

その様子自体は変ではない。ごく普通だ。

授業前に椅子に座り、教科書を出しているのは全然普通のことなのだ。

だが、普通ではない。

いつもの様子ではない。

「ヤナギ様、どうなさったのかしら」

「まさか、身体の調子が悪いのでは……」

教室の一角で、ひそひそとそんな心配をする令嬢達。

それもそのはずで。

ヤナギ、微動だにせず、誰とも話すことなく、一人ぽつんと椅子に座っていた。

いつもは、必ず誰かと一緒にいるのに。

誰も、彼女を一人にしないのに。

「ミア、ハランは一体どうしたんだ? 」

先に教室へ来ていたミアにそう聞く。

「それが、私自身もよく……。教室に行くとヤナギ様がいらっしゃって、ドアの前で立ち尽くしておりましたので声をかけたところ、自分の席はどこだ、と……」

「自分の席? 」

自分の席なんてない。少なくともこの学園では授業の時の席は自由だ。

「それに、なんだか口調もいつもと違っていて……。私相手に敬語で話すし、こう、他人行儀といいますか……。それに、表情も全く変わらない。目付きも違っていて……。まるで、記憶を全て失してしまったかのような……」

アイビーは、視線をミアからヤナギの方へ移した。

背筋をピンと伸ばして無表情を崩さない姿は、確かにいつものヤナギではない。

「皆さん、席についてください。授業を始めますよ」

すると、薬学の教師が教室に入ってきたため、この話は強制的に一時中断となった。


そこからは、分かりやすいほどにヤナギはいつもと様子が違っていた。

いつもはずっとアイビーの方を見てうっとりしていた授業も、今日は積極的に参加し。

社交ダンスの時間では何故か全然踊れず……と思っていたら、わずか15分足らずで上級者レベルのステップ全てを習得していた。

昼食の時間では、フォークとナイフが上手に使えず「すみません。今までは和食だったもので……」とワショクとかいう訳の分からない単語で周囲の人々を困惑させて。


だが、もっと驚いたことがある。

「今日の午後4時30分、私はあなたを虐めます」

教室のど真ん中、メリア・アルストロの目の前でヤナギは無表情でそう告げた。

なんと、虐めることを前もって教えたのだ。時間まで指定して。

「え、予告? 」

もちろん、当のメリアは困惑し「何か都合が悪かったでしょうか? 」というヤナギの更なる問いかけに意味がわからないといったふうに目を白黒させていた。

「ハラン、メリアを虐めるって、どういう……」

メリア同様困惑しながらアイビーがヤナギにそう聞くと、ヤナギは何食わぬ顔で言った。

「人を傷つけてはいけないと父に言われたので、私なりに傷つけずに虐める方法を考えた結果、前もって予告しておく方法を見出しました。そうすれば、心の準備もできますでしょうし、何より効率がいいと思われます。時間を指定しておくことによって、間違いなく虐めることができますし……」

「ちょ、ちょっと待ってくれ……」

先日まで相手の都合も何も考えてこなかったヤナギが、いきなり人を傷つけない方法を考えた?

駄目だ。頭がついていかない。

メリアはというと、髪から足のつま先まで完全に固まったまま動いていない。思考停止状態である。

「皆さん、席についてー。午後の授業を始めますよー? さぁ、残り2時間、ファイトッ! 」

と、次の授業の元気いっぱいの先生が入ってきたため、一旦適当に空いている席に座る。

すると、ヤナギが隣に腰を下ろした。

他に空いている席がなかったからという理由だろうが、いつもなら「お隣、失礼いたしますね。アイビー様」とか一言あるはずなのに、今日はそれがない。

視線さえも向けず、ただ目の前の黒板に集中している。

アイビーはそんなヤナギを眺めつつ、先生の話に耳を傾けた。


そうしてやってきた午後4時30分。

全ての授業が終わった放課後、教室ではまだ、というか、ほぼ全ての人間が残っていた。

無論、虐めの見物だ。

あんな人が大勢いる前で「虐める」といったのだ。

沢山の野次馬がいるのも当然。

メリアはちゃんと教室に残って、ヤナギとこうして対面している。

「あの、ハランさん……? 」

遠慮がちにメリアが名を呼ぶ。

これは、止めた方がいいのか……。

いや、だがまだ何もしていないし。

いやいや、それでも虐めると予告していたではないか。

アイビーが頭を悩ませていると、ヤナギがすぅっと息を吸うのが聞こえた。

あんな宣告からの第一声。

皆が何を言うのかと身構える中、ヤナギは口を開く。

「あなた、平民だからって調子にのってるんじゃないわよ」

その場の空気が固まったのを肌で感じた。

文面だけ見れば、誰がどう見ても悪態をついているようにしか見えないだろう。

だが……。

「あの……なんでそんな、棒読み? 」

そうなのだ。

メリアが指摘した通り、ヤナギはこれでもかと言うほど棒読みだった。

なんの感情もこもっていない。

怒りも、嫉妬も、何も無い。

無表情で淡々と罵った彼女に、なんと言えばいいのかアイビーにはわからなかった。

いや、アイビーだけではない。

ここにいる全員が、だ。

虐めるな? いや、虐めているのか? これは。

すると、静まり返った室内で、ヤナギは再び口を開いた。

「……すみません。小説はまだ最後まで読んでおらず……。台詞も全て暗記しているわけではないので……。何か間違っているところがありましたでしょうか? 」

何だ?

何に対して、この少女は謝っているのだ?

わからない。

ヤナギは何を考えて、こんなことをしているのか。

「ヤ、ヤナギ様っ!? ほんと……一体全体、どうなさったというのですか!? 」

と、この変な空気をぶち壊したのは、授業が終わった瞬間に真っ先にヤナギのところへとんでいき心配の言葉をかけていたミアだった。

我慢の限界がきたのか、大泣きしながらヤナギにすがりついている。

「どうなさった、とは? 」

「おかしいですヤナギ様! 以前のヤナギ様はもっとこう……普通に虐めていたではありませんか! 」

いや、普通に虐めるってなんだよ、とおそらくこの場にいる全員が心の中でいれたであろうツッコミにも、ヤナギは淡々と返していく。

「……普通に虐める、というのはよくわかりませんが、虐めました。ちゃんと」

「ちゃんとって……、っ! ヤナギ様、今日はもうお休みになってください! 今日はきっと、疲れているのですわ! ほら、私が寮までお送りいたしますので! 」

「わかりました」

そうしてミアと共に教室から去っていくヤナギを呆然と見ながら、アイビーはある違和感を覚えた。

それは本当に、些細なこと。

「あんなヤナギ様、初めて見ましたわね……」

「本当。いつもはヤナギ様が皆様を取り仕切っていますのに。あんなふうに、ミア様に引っ張っていかれるお姿は珍しいですわね」

「なんだか素直といいますか……」

野次馬達がそう言ったことで、アイビーの中の違和感の正体が明らかになる。

誰に対しても敬語を使う。

虐めることにわざわざメリアの都合を伺う。

休めと言ったミアの言葉に素直に従う。

いつものヤナギは、誰かに命令されることほど嫌いなことはないというのに。

「……どうなさったのでしょうか」

横で呟かれたメリアの言葉に、アイビーも大きく賛同した。





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