6
「……あれが、専門学校」
電車に揺られながら、やなぎは今日のことを思い返していた。
『見て見てこの絵! 自信作なんだけど〜』
『このシナリオなら、ここをこうした方が……』
『ねー! 一緒に作品作らない? 私が物語考えるから、イラスト描いてよ! 』
『いいよ〜。私、異世界系がいいんだけど……』
『おっけー! 』
通う人は、皆笑顔でキラキラして見えた。
授業を一緒に受けたり、実際に絵を描かせて貰えたり、小説を読ませて貰えたり。
全てが始めての経験で、どれも新鮮だった。
高校のオープンキャンパスにも行ったことがなかったため、つい時間を忘れていて気がつけば辺りはすっかり夕闇に包まれていた。
こんなこと、初めてだ。
『何故、この学校へ行こうと思ったのですか? 』
イラスト学科の見学中、ポニーテールの可愛らしい女性にやなぎがそう聞いた。
すると、彼女は迷うことなく即答した。
『楽しそうだったから』
楽しそうだったから?
たった、それだけの理由で?
目をぱちぱちさせていると、彼女はそんなやなぎに『あはは』と笑って、更にこう続けた。
『進路決めるときなんて、案外そんなもんだよ? どこに行ったらいいんだろー? とか、なかなか決められないよー、とか思っててもね、いろんな学校見てるうちに、ビビッとくるものがあるから! 』
『ビビッと……? 』
『うん! なんかこう……頭に電流が流れる? みたいな? えーと……上手く言えないんだけど。でも、自分に合ってる場所って、探してたら絶対あるから』
彼女の描くイラストは、とても繊細で綺麗な線画だった。
髪の長い女の人が、ギターを抱えている絵。
下絵だけでも、とても綺麗に見える。
『将来自分がどうなってるかとか、わかんないけどさ……今好きなことを全力でやったら、それでいいんだと思う! 』
笑顔でそう言い切った彼女は、ペンを動かす手を早めた。
言ってて恥ずかしくなったらしい。
「決まりました、進路……」
電車の中で一人、そう呟く。
誰に言ったのか。先生か、母か、それとも父か。
駅から出ると、土曜日ということもあってか、いつもより人が多い気がした。
友達との帰り道、土曜出勤だったサラリーマンの姿や、部活帰りなのかテニスラケットの鞄を肩にかけた女子生徒。
犬の散歩をしている人。
店じまいをしている人。
「あら、やなぎちゃん! 」
「あ、こんにちは」
急に声をかけられ振り返ると、なんてことはない。
学校帰りによく会うお婆さんがいた。
「丁度いい所に。今日はね、お魚が安いのよ! ほら、あそこのスーパーの! 」
「ああ。お魚……」
お喋り好きなお婆さんは早口で言いながら、やなぎにチラシを差し出してくる。
魚だけじゃなく、お寿司やお惣菜などもタイムセールで安くなるらしい。
「今日しかないんだから、買っときなさいよー? 」
「じゃあ、そうします。ありがとうございます」
意地悪く笑うお婆さんにお礼を言ってその場を立ち去る。
そういえば、今日はまだ買い物をしていなかった。
家に食材がないわけではないが、なにせ今日は疲れた。
少しの量では足りないだろう。
「魚と、お惣菜と、後お肉も買って……」
家の方向と真逆のスーパーの方角へと歩き出す。
タイムセールは5時から。今は4時半。
大丈夫だ、十分間に合う。
ゆっくりと歩いて向かう。
途中、赤信号につかまった。
行き交う車をぼんやりと眺めていると、隣にいた女性が、彼氏と思われる男性に何やら怪訝な様子で話しかけていた。
「ねぇ、あの車ヤバくない? 」
「え、どれ? 」
「だからあれ。なんか、ふらついてるっていうか……ほらあのトラック! 」
少し離れた位置にいる大型トラック。
ふらふらとおぼつかない運転で右にいったり左にいったりしている。
「え、なにあれ? 」
「ヤバくない? 」
周囲の人達もざわめきだしたその時だった。
「きゃあああああああ! 」
女の人の悲鳴が聞こえたかと思うと、ふらふらしていたトラックが、猛スピードで今度は真っ直ぐこちらに向かってきた。
誰かの悲鳴が聞こえる。
逃げ惑う人々の姿がやなぎの視界に映る。
だが、やなぎはその場に突っ立っていた。
逃げることもせず、ただぼーっとそのトラックを見つめていた。
何が起こっているのか、よくわからなかった。
ドンッ
突如、鈍い音が聞こえた。
視界が反転する。
身体が、宙に浮いたようにふわりと軽くなった。
いや、宙に浮いているのか。
と、激痛が身体をはしった。
「ちょっ! 誰か、救急車! 」
「きゃあああああああああああ!! 」
周りの人達が、何かを言っている。
でも、声が聞こえない。
やなぎ自身、声がでない。
「どうしたの!? 」
「女の子が、女の子が事故に……」
視界に映るトラックの割れた窓ガラスを見つめながら、やなぎは静かに目を閉じた。
目を覚ますと、知らない部屋だった。
まず、見たことのない大きなベッドにやなぎはいた。
ふかふかで、とてもじゃないがシングルベッドではないほど広々としている。
ぐるりと部屋を見渡してみる。
天井には大きなシャンデリアのようなものが吊るされており、これまた豪華な装飾品が並んでいるドレッサー。
茶色の机は父が使っていたものと少し似ているが、その上には羽根ペンが転がっていた。
父は確か万年筆を使っていたはずだ。
窓辺には赤い薔薇の花が一輪飾られており、他に植物はない。
そういえば、今来ているものもいつもの寝巻きとは違う。
紫色の、ワンピースのようなものだ。
ベッドから降りて、窓の外を見てみる。
視界に映った光景に、やなぎは少し目を見開いた。
とても日本とは思えない場所。
ビルもなければ、電車が通っている様子もない。
大きなお城のような建物が遠方に沢山あり、よくよく見てみれば、今いる部屋の建物の周りには色とりどりの花が咲き誇っていて、大きな門がそびえ立っていた。
「これは……」
どこかで見たことある光景。
思考を巡らせていると、ふいにコンコンとドアがノックされる音がした。
「ヤナギ様、失礼いたします。もうすぐ朝食のお時間となりますが、もうそろそろご準備のほど、よろしくお願いいたします」
そう言って入ってきたのはメイド服を着た若い女性。
「やなぎ……? 」
頭の片隅に、ある人物が思い浮かぶ。
この景色に、この部屋。
「あの、私の名前はなんというのでしょうか? 」
そう聞くと、メイドは驚いた顔でこう言った。
「ヤナギ様……ですが。ヤナギ・ハラン様……」
「ヤナギ・ハラン……」
それは、知っている名前で。
自分と同じだけれど、自分とは違う人物の名で。
「? あの、準備を……」
「ああ。もう少ししたら、またきてくださいますか? 」
「え? あ、はい。かしこまりました」
メイドはそう言って部屋から出た。
ヤナギは部屋にある鏡台の前に立って、自身の姿を確認する。
背中まである黒く長い髪にキュッとつり上がった黄色の瞳。
ドレッサーに置いてある赤いリボンを二つ手に取ると、それを左右髪に付けてみる。
「ヤナギ・ハラン……」
もう一度、名前を口にする。
つまり、キミイロびより! の世界のヤナギ・ハランになっている、ということだ。
この状況は、どう見ても、誰が見てもそう言うことだろう。
「なるほど……」
普通の人なら、この状況に慌てふためくだろう。
ヤナギは悪役令嬢だ。
主人公や攻略対象から嫌われるキャラクターだ。
普通なら、どうにかしようともがき、好かれようと努力するはずだ。
だが、ヤナギは驚かなかった。
目の前で起こっている事実を静かに受け止め、こう結論付ける。
「主人公を、虐めれば良いのね」
今まで、人に言われたことしかしてこなかった少女である。
キミイロびより! の物語通り、ヤナギの役目を果たすことが、今の自分の職務だ。
大した目的もなく。
その先にあるのは、バッドエンドだということをわかった上で。
これは、バッドエンドしか目指せない、一人の少女の物語――――――。
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