第53話

「チッ。こっち方面に関しちゃ相変わらずノリが悪い男だな佐久坊。そんなに俺様のヤリたくねえってのか? 自信をなくすぞ、おい」

「むしろ逆ですよ……言動に反して魅力的だからこそ心臓に悪いんです。勘弁してくださいって……」


 ラブホテルの駐車場にある暖簾を車がくぐった瞬間、僕はいよいよ食われると信じて止まなかった。

 駐車した九条さんの「降りろ」に全力の抗議と抵抗により何とか現在に至るというわけで。

 きゃーきゃー、わーわーの言い争いの果てに、車が急発進。


「せっかくてめえのためにエグい下着を穿いてきてやったんだぞ? やってられるか!」とのことでグングン飛ばしている。

 どうやら諦めてドライブに変更になったようだった。

 まさか本気で貞操の危機に合うとは思わなかった。色んな意味で怖すぎるよ九条さん。


 額の汗を拭う僕だったのだけれど、

『良かったわねリュウくん。昨夜、私たちに手を出さないにも拘らず、泥棒猫に手を出していたら――今ごろ悪夢の中よ』


『《主人マスター》、ラブホテルを調べたところ、いかがわしい施設だと鑑定されましたがどういうことでしょうか。シルはやはり枕が濡れて眠れません』


 魔女二人から音声だけが直接脳に流れ込んでくる。

 いやもう本当に勘弁して……。

 猛スピードによって揺れる車内と相まって吐き気をもよおす僕。


 あっ、やばい車酔いしたかも。


 ☆


「うえぇっ……!」

 見事に気持ち悪くなった僕は警察庁の地下駐車場の隅で口からキラキラを流していた。

 異世界帰りの暗殺者が情けないとは思うんだけど、九条さんのドライブは控えめに行って過剰。


 スピードもさることながら何が過剰かって食欲の旺盛さだ。

「俺様の性欲処理に付き合わねえなら、食欲を満しやがれ」とか言った後、10件以上の飲食店に付き合わされてしまった。


「おっ、おい大丈夫かよ」


 リバースする僕の背中をさする九条さん。

 心配そうな表情だ。あれだけのことをやっておいてどうしてそんな顔ができるのか疑問ではあるけれど、これも彼女なりの気遣いだと思うと憎めない。


 腹が減っては戦はできぬ。

 おそらく警察庁長官との面会前に腹を満たしておけってことなんだと思う。

 空腹は怒りを助長するからね。


「その……なんだ……佐久坊に嫌な思いをさせたかったわけじゃ――」

「――わかってます。わかってますので――うええええええっー!!」

「佐久坊!!!」


 警察組織のトップ――それも九条さんのお父さんの前で見苦しいものを見せてしまったらどうしよう。それだけが心配だ。


 ☆


 映画やドラマでしかお目にかかれない行政機関の内部へ。

 驚いたのは九条さんが車内で着替え始めたことだった。

 さすがに赤のドレス&肩に毛皮&ハイヒールは厳しいらしい。


 そりゃそうだよね。どうやら僕も感覚が麻痺していたのかもしれない。

 着替え始めた瞬間に「その格好で入らないんですか?」と聞いてしまったんだから。


「あアん? 俺様はオンオフを切り替えるタイプなんだよ」とのこと。

 意外と真面目だ。とはいえ心のどこかでこのままの格好で入って欲しかったと思う自分がいた。


 ☆


 九条さんに連れられて警察庁長官室へ。

 いよいよか……。

 緊張こそしてはいないけれど、公安に係る警察運営のトップ。睨まれたら魔法の行使を余儀なくされてしまう。


 そうなるとテロリスト襲撃も最初から瞳術一本で乗り切っておくべきだったわけで。魔法行使を最小限に抑えた意味がなくなってしまう。

 そんなことを考えている間にノックの返答。

 入室を承諾される。


「外で待機しておくから糞爺が無礼を働いたらすぐに言え。俺様が始末してやる」

「そういうのは耳打ちするべきなんじゃ……」

「バカやろう。聞こえるように言わねえと意味ねえだろうが」


 視線と言葉で牽制した九条さんが扉を閉める。

 僕はゆっくり長官へと視線を向けると、

「初めまして佐久間龍之介くん。警察庁長官、九条誠一郎だ。まずはお礼を伝えさせていただこう。テロリストから明菜内親王殿下を保護してくれてありがとう。深く感謝している」


 無駄のない筋肉の使い方だ。

 椅子から立ち上がり、頭を下げるという動作一つで分かる。精錬されている。

 九条長官の外見はスタイリッシュ。シワひとつないスーツの上からでも無駄な贅肉が無いように思える。


 とはいえ年齢には逆らえないのか。髪は真っ白。

 特に気になったのは、彼が左目につけている黒い眼帯。

 なんだろうこの感じ……違和感を覚えるところなんて一切ないのに、それがおかしいというか、怪しいというか。不自然じゃないのが不自然というか。


 そんな僕の違和感はすぐに解けることになる。

「場所を変えようか」

 止めにかかることを認識から外れるぐらいに自然な動きで眼帯を捲る九条長官。


 次の瞬間にはもう断崖絶壁に移動し終える僕たち。

 ……マジか。

 九条長官が行使したのは《転移魔法》


 それも《転移魔法陣》が省略された最上難易度のそれをやってのけてきた。

《転移魔法》にはいくつか種類があるのだけれど一般的なのが、移動先と発動場所にあらかじめ《転移魔法陣》を組んでおき、《魔力》を媒体に術者を飛ばす。


 いわゆる範囲設定(転移場所)を事前に済ませ、魔法陣に乗った対象だけを転移させるものだ。

 九条長官はそれらを省略しただけじゃなく、視界に入れた対象までも一瞬で転移させてきた。


 普通ならありえないほどの魔力を消耗する魔法だ。

 なるほど《空間転移の魔眼》か。

 やっぱり異世界からの帰還者は僕だけじゃないようだ。死霊術――《呪魔法》を行使し、犯罪組織に手を貸す魔法使いもいれば、《魔眼》を武器に市民の安全・安心を守る魔法使いもいた、と。

 

 長官は疲弊した様子どころか魔力の存在そのものを感じさせない。

「率直に質問させていただこう。佐久間くん、君は?」

 その問いはまたしても僕の人生を揺るがすことになる。

 

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