第15話

 ずっと行方を探していた佐久間を視界に入れた中安は獲物を前にした虎のごとく襲いかかる。

 彼は躱すことのできるそれをあえて受けて倒れ込む形に。

 中安は佐久間を馬乗りにして叫ぶ。


「あんたのせいで私は――! ガキの分際で大人に楯突こうなんてどういう教育を受けてきたの! やっていいことと悪いことの区別もつかないのかしら⁉︎」

 余談だが、すでに中安の精神状態は不安定になっている。歯止めなど効くはずがなかった。


 人間として壊れかけている彼女を前にしても佐久間は落ち着いていた。

 まるで波の立たない水面のように。

「ではお聞きしますが、生徒のイジメを見て見ぬ振りをするのはやっていいことなんですか?」


「なっ……!」

「自業自得だと思いますよ?」

「ふざけないで! あんたのせいでこれまでの苦労も! 退職金も! ぜんぶ、ぜんぶ、全部! パーになったのよ⁉︎ あと十年我慢していたら定年退職だったの! 第二の人生が待っていたのよ⁉︎ やりたいことだってたくさんあったのにあんたが――佐久間がそれを私から奪ったの! この人殺し!」


 充血したバキバキの目で佐久間を睨みつける中安。

 犬歯を剥き出し、ふー、ふー、と息が荒くなる。

 彼の頬にぼたぼたと涎が落ちていた。


「では僕や鳴川さんが死ねば良かったと?」


「そうよ! いい? イジメが悪いことなんて誰だってわかっているわ! けれどそれは無くならないの! どんなに教師が手を尽くそうが、一瞬の快楽のために生きているガキは言うことなんて聞きゃしない。どうしてこの世界から嫌がらせがなくならないか教えてあげましょうか? 娯楽だからよ! 楽しいの! 他人を虐げ、見下ろすことが! 理想論を振りかざすのはやめなさい! あなたは自分の行を正義が何かだと勘違いしているのでしょうけど、やっていることは殺人と同じ。大罪人よ!!!」


「……驚きました。まさか《悪夢の魔眼》を行使しても反省していない人間がいるなんて」


 佐久間は中安を蹴り飛ばし、襟を正す。

 踵を返してゆっくりとその場を後にしようとする。


「待ちなさいよ! どこに行くつもりかしら⁉︎ 正義の味方ぶって更生させるつもりだったんでしょうけど、佐久間の思い通りになんかさせないわよ! あんたを殺して私を追放した人間、全員に復讐してやるわ!」


 もはや中安は人間ではなくなっていた。

 その言動と姿はまさしく鬼そのもの。

 佐久間は深いため息を吐きながら、《呪魔法》を展開する。

 

 彼の右手から黒い魔方陣が現れ、拡大されたそれが中安の全身を通り抜けていく。

「まさか悪夢の中でさらに《呪魔法》を行使させられるとは思いませんでしたよ」


「さっきから魔眼が魔法がって……おちょくってんじゃないわよ!」


「先生にはもう何を言っても無駄なので聞き流してもらって結構ですよ。ただ貴女がいま現実そのものだと思っているここは夢の中なんです。本来であれば幻術をかけられている対象が最も恐れている現実――すなわち悪夢に耐えきれず命を断ったときのみ瞳術から解放されるのですが……あなたには他人と己を傷付けられない呪いを施しました」


「はぁっ⁉︎ 何を言って――」


「中安先生が反省し、このあと真っ当に職務を遂行されると誓っていただけるなら、首を吊ってもらってを終わらせるつもりでした。ですが、この夢の中で衰弱死するまで生きてもらいます。人生百年時代に突入しましたからね。長ければ五十年こちらで過ごすことになるでしょうか。職と退職金を失い、世間から冷たい嘲笑とバッシングを受けながらも命を絶つことができない生活が何十年と続くんです。その苦しみは想像を絶するものでしょうね」


 そう言うと佐久間すうーと透明に変わって消えていく。

「ふざけるな! 必ずお前を見つけ出して殺してやる――!」

 その言葉が耳に入るより早く、佐久間は姿を消していた。


 それから悪夢という現実の中で四十年間過ごした中安は夢の中で息を引き取った。誰からも悲しまれることなく、誰も看取ってはくれない最期だった。

 そのような最期を迎えておきながら、本物の現実に帰還しても壮絶な経験と感情に脳の処理が追いつかず。

 

 彼女はただただ、

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……」

 謝り続ける肉の塊と化していた。


 後に中安は現実世界でも休職を経た後、失職し、生活保護を受けることとなる。


「さてと、次は咲ちゃんだね」

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