脳欠陥者

松岡志雨

脳欠陥者



静かな部屋で桜文鳥が鳴く。

もう日が沈んできているのに部屋は灯りをつけないま。

「はぁ…」深いため息を着く。

私は今年26歳を迎えた。

やりたい事もなく人生に絶望を抱え、一人娘を育てながらただ毎日を過ごしていました。

幼少期から変わっていることが多く

両親からは「お前はおかしい」「お前はぶっ飛んでいる」といわれ

普通になることを強要されました。

私としては何がおかしいのか何がぶっ飛んでいるのか

全く検討もつかなかった。

毎日のように人と違うことを叱られ挙げ句「お前のことは信用出来ない」と言われる始末。

私には1つ違いの兄がいるのだけど、兄は勉強も出来て友達も多い。スポーツだって難なくこなす。

当然両親は兄だけを褒め可愛がった。

1つ違いなのもあり兄とは毎日くだらない事で喧嘩をした。

最後はいつも「妹のくせにお兄ちゃんにちょかい出さないの!」と私が怒られた。

私は両親が何故兄だけを可愛がり、私をみないのか理解が出来なかった。

小学3年生になった頃担任の先生がかなり暴力的な先生だった。

私自身は目立つような生徒ではなかったのだけれど

よく忘れ物をしたり無くし物をしたり、そういうことが多かったので目をつけられてしまった。

「何で毎日宿題だったり教科書だったり忘れてくるの!先生を困らせて楽しいの!?」などと怒鳴り声をあげ教卓の上に並んでいるペン立てや折り紙ケースなど投げつけられる毎日。

時には先生が履いてる上靴を脱いでそれで叩かれる。

私だって忘れ物したい訳じゃない無くし物したい訳じゃない。

どれだけ気をつけているつもりでも忘れてしまうのだ。

「ごめんなさい。」そう言っても怒鳴り声は響き続ける。

家にいても学校にいても私には居場所なんてなかった。

人は何故生まれてきて何のために生きるのか、私に生きる価値はあるのだろうか?

そんなことを毎日夜な夜な考えるようになった。

勿論答えなんて導き出せやしなかったんだけど、1つだけ出た答えが私は人と何かが違う。だから愛されないんだ。

母や父の言う「普通」というものになれば2人だって兄に向ける愛を私にも向けてくれるのかもしれない。

というものだった。

その日から普通がなんなのか周りの人を観察する毎日が始まった。

正直それがなんなのか全く分からなかったけど、中学生に上がる頃には両親のいう「普通」というのは世間一般、大多数である事なんだと思うようになった。

自分を殺しマジョリティであることを意識し続けた。

だけど両親からの愛はまだ感じられなかった。

「お前はおかしい」「お前はぶっ飛んでいる」「お前のことは信用出来ない」そんなことを言われ続けた。

学校では同級生や先輩達からのイジメがはじまった。

まだ足りない。まだ足りない。まだ足りない。

私は走り続けた結果自分が無くなってしまった。

高校受験を前にした時、志望校を決めたのは私ではなかった。

私は「〇〇高校に行きたいと思ってて…」行きたい高校を言うと

父が××高校じゃないとお金は出さないと言い出したからだ。

母もその言葉を否定しない。

仕方ない。もう逆らうことはしない。無駄だし、きっと両親の言うとうりにしてれば正しい人に普通になれるから。

なんとか父のいう高校に合格し高校生活がはじまった。

高校生活はというと正直思い出したくない過去ばかりだ。

1年生の5月頃。同じクラスの少し話したことのある花乃が話しかけてきた。

「私今バイトしててさ?バイト先の先輩が誰か紹介してってうるさいもんだから、あんたの連絡先教えといたから上手いことやってね!」

理解が追いつかなかった。確か花乃とは入学式の日に座った席が近かったのをきっかけに連絡先交換をしたんだっけ…でもその先輩ってどこの誰かも顔すら私知らないんだけど…

戸惑いながら「先輩って?」と聞くとどうやら同じ高校の3年生だと言う。そして言い終わるや否やどこかへ走っていってしまった。

その日の放課後その先輩から連絡が来た。

「今日って暇?遊ぼーよ!」勿論私は断った。だけどその先輩は毎日毎日同じメールをし続けてくる。

そんなことが続いたある日花乃がイライラした様子で近づいてくる「あのさ!なんで先輩が誘ってんのに行かないの?私バイトでシフト被る度グチグチ言われて迷惑してんだけど!」となんとも理不尽なキレ方だ。

「いや、だってその先輩顔も知らないし私が紹介してって言ったわけでもないんだけど?」静かに返すと「はぁ!?とにかく1回でいいから遊びに行ってよ!ほんと毎回煩いんだから!」と大声をあげる花乃。

もう花乃と関わりたくないな、その先輩と1回会えは花乃も気が済むかな?そう思った私は

「じゃあ1回だけね…それ以上はもう嫌だよ?」そういうと渋い顔をしながら頷いた。

1人で先輩と会うのが怖かった私はクラスの何人かに声をかけ先輩の待つファーストフード店に一緒についてきてもらった。

「こっちこっち!」手招きをする同じ学校の制服を着た男の人がいる。

「あ、はじめまして…」ぎこちなく挨拶をするとその先輩は気さくな感じで話し始めた。

しばらくすると「あ!もうこんな時間じゃん!」そう言って1人2人とついてきてくれた友達が帰っていく。

私は先輩と2人になってしまった。完全に帰るタイミングを逃してしまったのだ。

「あ、私もそろそろ帰ろうかなー…」そう呟くと「もう少しくらいいいじゃん!場所変えよっか!」と笑顔を浮かべている。

仕方なくどう帰ることを切り出すか考えながらついて行くことにした。考えることに真剣になりすぎてハッと気づいた時にはなんとも人気の少ない所に来ていた。

なんか嫌な感じがするな…そう思っていると先輩がやたらと距離を縮めてくる手や腰に触れられる。怖い。気持ち悪い。逃げたい。どうしていいかわからない。そんな思いが頭の中をグルグルする。「そろそろお母さん帰ってくるから帰らないと…」咄嗟に出た言葉がそれだった。先輩をおいて少し急ぎ気味で家に向かう。後ろから先輩の声がする「送っていく!」少し怒ったような顔の先輩がついてくる。「大丈夫です!1人で帰れますから!」そう言い終わる前に「送っていくから!」と強く言われる。怖い。それしかなかった。

そのまま家までずっと無言のまま歩いた。

家に着いて「ありがとうございました。」そう言ってペコリと頭を下げ玄関に向かう。

もうあと1歩でドアノブを掴めるって時に後ろから抱きしめられる。恐怖のあまり突き飛ばしてしまった。「あ…ごめんなさい。」そういうと先輩はニコリと笑い私を玄関に追い詰めた。

怖くて身体が動かない固まる私に無理やりキスをした。ちょうどその時、母が仕事から帰ってきた。

先輩は「じゃあまたね」とだけ言って帰った。

恐怖から解放された安心感で涙が溢れてくる。今日だけは心から母にありがとうと心の中で感謝して急いで家に入りめちゃくちゃに口を洗った。

まだ人を好きになったこともないのに…そのショックや同じ学校の先輩だということから、次の日から学校に行くのが怖くて嫌で仕方なかった。

だけど両親は休ませてはくれなかった。

出来るだけ遅く登校し教室から出ず出来るだけ早く下校した。

それから半年ほど経って1年生の冬を迎えた。

少し自暴自棄になっていた私はたまたま知り合った社会人の人と交際していた。

正直好きではなかった告白されて断れなかっただけだ。

付き合って1ヶ月対して会いはしてなかったけど

毎日メールで話はしていた。優しくしてくれるけど好きでもない人と毎日メールする事に嫌気がさしていた私は別れをきりだしたのだが会って話をしたいと言われ、待ち合わせの場所まで行くとちょうど雨が降ってきたのだ。「とりあえず雨宿りできるところに行こうと」手を引かれついて行く。

嫌だなー。早く帰りたいなー。そんなことを考えながら俯いていると建物の入口に着く。見上げるとよくわからない建物。だけどこれは入ったら行けないと頭の中で警報がなる。「嫌だ。」そういうと「別れ話されてるのに何もするわけないじゃん。」冷たく言われそれもそうかと思ってしまった。浅はかだった。建物に入るといくつもの部屋の写真とボタンが並んでいた。彼はいちばん近くにあったボタンを押しエレベーターへ向かう。まだ手は離してくれない。チカチカとランプが点滅する部屋のドアを開け部屋に押し込まれる。

「別れたい」そう言うと「とりあえず座りなよ」といいニコリとした。半年前の出来事を思い出す。あ、まただ。それからは「嫌だ!」「辞めて!」いくら泣き叫んでも声は届かない。ニコリと笑ったまま押さえつけてくる。

この2度のことから私は完全にどうでも良くなってしまった。私は穢れている男はみんな身体にしか興味が無いんだ。私は誰にも愛して貰えない。日に日に私は荒んでいった。

親に反発し夜遊びを繰り返し、家出を繰り返し高校も辞めた。お金のためなら身体も売った。どうせ穢れてる。1度も2度も変わらないと…だけどそんなことを繰り返すうち自分はとんでもなく穢れていて清くは戻れないと悲しくなった。心がすり減っていった。死にたくなった。

死にたくて死にたくてどうしようもなく誰か助けてと思った時ふと頭に浮かんだ高校時代の友達、亮に電話をかけた。

「もしもーし!」明るい声が聞こえてくる。「あのさ…なんかもう死にたくなってさ…どこも行くとこないし家には帰れないし…助けて」泣きながらいうと、「とりあえず落ち着いて!どうした?何があった?」と今までの家族や先輩、元彼、家出や身体を売ったこと全て話した。亮は静かに話を聞いてくれて「行くとこないなら俺の家来るか?」と言った。すがる思いで亮の家に行った。

亮は今までの人たちとは違い手を出してくることも身体を求められることもなかった。

恋人と言うより兄弟のような関係だった。

ただ、ただ居候させてくれて何ヶ月かたったある日。「俺地元に戻ることにしてさ…」亮が言いづらそうに話す。「そっか…大丈夫!今までありがとうね!早いうち出て行くね!」そういうと「大丈夫か?ごめんね?」と最後まで心配してくれた。亮がいなかったらきっとあの時死んでいたこと。亮に救われたんだってこと。感謝していること。そんな話をして家を出た。行くとこなんてなかったけどこれ以上負担にはなれない。

最近音楽繋がりで仲良くなった人がいてたっけ。

そんなことを思い出し連絡をしてみる。会って話で盛り上がる人通り話が終わると告白された。

ネットで知り合った人に告白されるのは正直よくあることだった。暫くはここにいることにするか。

私は人に寄生して生きていく。今までそうだったように。

そして何ヶ月かすると結婚しようと言い出した。

これもよくあることだった。もう感覚が麻痺していたんだと思う。適当に流してしばらくすると別れる。とんだクズの私はまた別の人を探した。

この頃親しくなった月さんという子にも少し怒られることが多くなった。「自分を大事にしなさい」とかそういった事が多かった。

だけど私は「ありがとう」といいながらまた相手を探す。

すぐに相手は見つかった。だけど今度ばかりは、いつものようにはいかなかった。

妊娠したのだ。

やばい。そう思ったけど相手は私と結婚する気があったし公務員だったので結婚することを了承した。

月さんに話すと怒られた。

「でも最後はあなたが決めることだから」とそれ以来何も言わなくなった。

1度はこれで私も落ち着くのかと思った。

つわりは酷かったけど、お腹が大きくなっていき胎動が始まりこの子のために生きようと思えたし家族円満に居れるようにと頑張った。

娘が生まれてすぐ家計をやりくりするためにと夫の通帳を預かったのだけどいくつもクレジットでの引き落としがあり、聞くと借金があるとの事。

ごめんとかそんな言葉はひとつもなく「言えなかった気持ちも分かれ」と逆ギレしだし借金の理由も意味不明なことを言っていた。あるものは返すしかないと私は夫を責めることはしませんでした。しかし娘が産まれる前に言って欲しかった、結婚する前に言って欲しかったと思う気持ちはありました。

それから少しして娘が離乳食も終わった頃からでした。

娘の好き嫌いが出るようになってきたのです。

ある日の夜、晩ご飯を食べているとどうも苦手なものだったようで食べてくれません。だけど私としては«ご飯は楽しいもの»そう思って欲しかったので「無理には食べさせなくていい」と「まだミルクもあげてるから大丈夫だよ」と言ったのですが夫は食べさせなくてはいけないと無理に口に押し込んだり嫌がり泣き出す娘の頭を叩いたりしました。「もういいから」と大泣きする娘を抱き上げ落ち着かせます。

娘はそうとう怖かったんだろうと思います。1歩間違えれば窒息や脊髄損傷なども恐れもありますし私としても怖い思いでした。

その日から時々言うことを聞かないからと私の見ていないところで手を上げることが増えました。

何度手をあげないでと言っても変わりませんし

日に日に娘から目を離すことが怖くなりました。

機嫌が悪いと物に当たり木製のドアを殴り穴を開けたこともありました。

私はこれから先の未来を考えることが怖くなり離婚を切り出しました。

離婚はしないとなかなか聞き入れてくれませんでしたが私は娘を連れて実家に帰りその1年数ヶ月後、養育費を支払わないこと、今後私や娘に関わらないことを条件にようやく離婚が成立しました。

養育費が貰えなくても離婚出来るならもうそれでいいと思いました。

実家の母は離婚が成立するまでも、してからも「夫君はあなた達を愛してたのにあなたの我慢が足りないんじゃないか」などと元夫を擁護していました。うちの母は頭がおかしいんだとその時本気で思いました。

離婚が成立してからも昔同様「お前はおかしい」と言い続けられていました。流石に娘の教育に良くないと家を出て娘と2人で暮らしだしました。

私は私が仕事してしっかり稼がないとと毎日フラフラになりながら働きました。数ヶ月後私は目眩が治まらなくなり吐き気が止まらなくなり仕事に行けなくなってしまいクビになりました。病院に行くと自律神経失調症だと言われ目眩止めの薬を貰いました。その薬を飲みながら新しい仕事を探しました。新しい仕事も早々に見つかりまた忙しい日々が始まりましたがそう長くは続きませんでした。目眩止めの薬も効かずどんどん気持ちが落ちていったのです。

自分は何も出来ないんだ。と毎日悲しくなりその頃2歳の娘はイヤイヤ期に突入し言うことを聞かない娘にヒステリックになって怒鳴ってしまったり本当に親としてしてはいけないことをしたと自己嫌悪に陥りその繰り返しで精神が崩壊していきました。

心療内科に行ってみましたが話もろくに聞かずにうつ病だと抗うつ薬を出されるだけ。

他の心療内科に行っても同じ様なもので

出される薬を飲み続けましたが一向に良くなりません。それどころかうつ症状がどんどん酷くなっていきました。睡眠導入剤や睡眠薬を飲んでも毎日ろくに眠ることなく朝がくる。朝が来ることが怖かったです。

毎日辛くて悲しくて死にたくてたまらなかったです。

そんな状況を2年程続けたある日、兄から連絡が入り体調がよくないから病院に行こうと思うけど、心療内科ってどんな感じ?とのこと兄の症状を詳しく聞き先に脳や内蔵などの検査をして何もなければ心療内科かな?と説明し私の飲んでいる薬の説明もしました。「ありがとう。」連絡を終えてから数ヶ月後兄は元気になっていってました。

兄の行った病院を聞き私も行ってみようかと足を運びました。そこで言われたのはうつ病ではなく双極性障害と診断されました。それからADHDという発達障害も。それが26歳になっての出来事でした。

今双極性障害の薬をのんで8ヶ月程経ちます。

症状は穏やかになりました。

ADHDだと幼少期に分かっていれば私の人生違ったかな?私もっと生きやすかったかな?と両親に対して憎くも思いましたが。今ADHDとわかってもなお私のことを信用してないんだなと感じることが多いのできっと私の人生はそれほど変わってなかったんじゃないかと思うようになりました。

双極性障害やADHDがあることで大変なこともいっぱいあります。それ以外にも身体の弱さもあり、起立性低血圧や低血糖、貧血など日々よく起こす症状も多いです。ですが私には今大切な人がいます。1人は娘、もう1人はピーターです。

ピーターは今私が交際している人で正直お世辞にも強いだとか逞しいだとかそういうタイプではありませんが、すごく誠実で優しい人です。

ピーターパンのようないつまでも子どもの心をもったような人なので頼りないなって思うところもあるんだけどそれでも安心できるんです。

付き合った期間がまだ浅いから知らない顔もあると思いますが知らないピーターを知れるのは嬉しく思います。

私とピーターがすれ違ったとき月さんが仲を取り持ってくれました。

月さんがいなかったらまた大切な人を失うところでした。本当にありがとう。

ずっと後ろ向きで投げやりでろくでもない私だったけど、今娘がいて、ピーターがいて、月さんがいて、亮がいて、私はとても幸せです。

これからあなた達にありがとうっていっぱいいっぱい返していきます。

なのでこれからもずっと私のそばにいてください。

あなたたちがいるだけできっと私は幸せです。



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脳欠陥者 松岡志雨 @syu_129

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