2


 僕の家に移動。移動方法はリムジンだ。


 実はフウチの家に向かったのも、リムジンだ。


 ジーヤさんが僕を送ってくれて、僕がフウチ宅から出て来るまで、スタンバイしていてくれたのである。


 僕がフウチと一緒にフウチ宅から姿を見せると、ジーヤさんは、すごく嬉しそうに微笑んだ。よほど心配だったのだろう。うっすら涙目だった。


 行きの車内でジーヤさんと話したのだが、どうやらジーヤさんは、フウチの母親——ライチさんに忠誠を誓ったらしい。ジーヤさんが何歳なのかわからないけれど、きっとフウチの母親を愛していたのだろう——と。僕は思う。まあ、聞いてもそこまでは話してくれなかったけども。


 わかったことは、ジーヤさんが英国出身だということ。話しながら老騎士みたいなものです、とか言われたが、老騎士にしておくにはもったいないほど格好良い爺さんだぜ、まったく。


 ライチさんの忘形見——フウチのお世話係をしているのは、やっぱり愛していたから。なのだろうな。


 そんなことを考えながら、僕は——僕とフウチは、僕の家に到着した。


 すっかりと夜。まあ、僕が引きこもりを早期引退した時点で夜だったので、時刻は八時を迎えている。


 出発前にしぃるには、唐揚げをたくさん揚げてくれ、って頼んでいたので、帰宅してリビングに戻ると、


「じゃーん!!! 超揚げたよー!!!」


 と。大皿にこんもりと唐揚げが盛られていた。


「相変わらず、揚げ過ぎだろ…………」


 大皿にこんもり。それが三皿。


 うちのキッチン、業務用キッチン的な造りしてないのに、どんな手際で調理したんだろう。お前マジシャンかよ、って疑問を持ってしまいそうになる。


「ふふん。お兄ちゃんが、お友達をディナーに誘うなんて、それって奇跡だと言わざるを得ないんだもん。そんな奇跡にお応えして、妹として、わたしは持てる限りの調理テクノロジーをフルに発揮したんだよー。三皿の唐揚げ。実は三皿とも、ころもが違うんだよー」


 フウチ先輩いらっしゃいましまし——と。増し増しの唐揚げを作ってくれたしぃるは、そう言った。


 前も言った気がするけど、テクノロジーだと、だから科学技術になるんだってば。何度言っても間違うだろうから、訂正するのは諦めるけれども。


『お邪魔します……しぃるさん』


 フウチは、久しぶりに会ったからか、少し緊張しているように返した。緊張していようとも、目は唐揚げに奪われている。


「じゃあみんなで食卓をかこもーう! おー!」


 元気が良いな、僕の妹。普段は馬鹿だけれど、こういう時はなんだかありがたい。救われた気分にさせてくれるぜ。


 ということで、リビングの大きなテーブルを囲み、唐揚げオンリーでご飯だ。


 ちゃっかりジーヤさんも参加している。


 全員でいただきますをしてから、各自唐揚げをとり、飯を食う。


「ほほう。これは見事なものですのお……」


 と。ジーヤさんが言った。唐揚げをひと口食ったジーヤさんが、本当に感心したように呟いた。


「おっ! じーちゃん、その衣がなんだかわかるのかなー?」


 じーちゃん。いささかフレンドリー過ぎるだろ。『おっ!』、じゃねえよ。たしかにじーちゃん的な見た目だけれど、せめてお爺さんと言え。


 僕が妹の無礼を内心突っ込んでいると、じーちゃんもといジーヤさんは、


「こちらの衣は、もしやきな粉ですかのお?」


 と。言った。……きな粉?


「おおー! 正解! さっすがじーちゃん! いよっ! 超じじい!」


「おい。さっきから全部おい」


 じじいですら言い過ぎなのに、超じじいは果てしなく言い過ぎだろ。絶対それ、褒め言葉じゃあないから、思わず声を出してしまった。


「ほっほっほっほっほっ」


 笑ってるぜ超じじい……いや失礼。ジーヤさん。


「他の二つは、小麦粉、そして片栗粉。きな粉の衣は、カリッとした食感が素晴らしいですのお」


「おおー! 全部ひと口で当てるなんて、味覚が鋭い! じじいやるう!」


「超味のわかるじじい。スーパー味じいとお呼びくだされ、しぃるさま」


 本当にそれで良いのか、って思いを禁じ得ないほど、ノリが良い。あるいはこれが英国紳士というやつなのだろうか……。あときな粉って、衣になるのか。初めて知った……。


 しかしさすが僕の妹。ジーヤさんとの距離を詰めるスピードが速え。日頃、商店街とかで磨いたおじさんへの対応スキルなのだろうか。


 フウチはもう、ずっともぐもぐしてる。


 すごい食ってる。ちゃっかりご飯二杯目だし。


『もぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐもぐ』


 タブレット端末はずっともぐもぐだ。


 もぐもぐしながら、僕と目が合うと、嬉しそうに微笑む。ニッコリと。


 頬張りながら、ニッコリ——凄まじい破壊力を秘めている笑顔だ。ご飯粒つけて、もぐもぐしながらのニッコリ笑顔。一瞬できゅんとしてしまう。


 美味しそうによく食べる銀髪。


 可愛過ぎかよ。くううううっ!


「ご飯粒、ついてんぞ……?」


 きゅんとしながら、僕は言った。


『取って……?』


 リクエストされた。だから、しょうがねえなあ、って言いながら、僕はフウチの口元からご飯粒を回収した。


『ぱくり』


 と。わざわざタブレットに書いてから、僕が取ったご飯粒に食いついた。つまり僕の人差し指に食いついた。


 人差し指が食われた。ご飯粒ごと。


 甘噛みされるような感覚。人差し指が、フウチの体内に招待されてしまった。わあ!


「……………………」


 人差し指が幸せな感触を味わっている。死にそう。


 ちゅぽん——っと。人差し指が解放された。


『えへへ。ごちっ!』


「お粗末さま……」


 変態的な考えで、自分の人差し指を自ら口に含みたい欲を我慢した僕の自制心、とても立派だと思う。いやまあ、しぃるとジーヤさんが、まるで愛玩動物でも見るような目で、優しい視線で見てきたから、照れるしか出来なかったんだけれども。


 そんなこともあり、僕たちはご飯を食べ終えた。


 風呂の準備は、シャワーを浴びた時に済ませているので、問題ない。サボってしまった引きこもり期間の埋め合わせは、あとできちんとしぃるにしよう——と。そう思いながら、僕はフウチに、


「ちょっと僕の部屋で話さないか?」


 と。言った。お腹いっぱいになって、幸せな表情をしているフウチに言うと、それを聞いていた、余った唐揚げをタッパーに詰める作業をしながら、しぃるが、


「お兄ちゃん。えっちしたらすぐバレるよ? 扉なくなっているから、色々気をつけてね?」


 えろえろ気をつけてね——と。クソ余計なことを言った。


『ぽひゅー…………』


「勘違いすんなっ! トークするんだよ!」


 あと色々だろ! えろえろ気をつけるって、何をどう注意すれば良いんだ!


 別にリビングでも良かったけれど、僕は、ぽひゅー……、ってするフウチの手を取り、部屋に連れて行く。


 いや、なんだかフウチを連れ込んだみたいになっているから、緊張してしまうけれど、しぃるが言ったような行為は絶対にしない。まあ、意識しないことは不可能だけど、僕は鉄の自制心と鉄屑のチキンハートの持ち主だからな。そんなシチュエーションになるはずがあるまい。


『詩色くんのお部屋、初めてだー!』


 僕の部屋に入るなり、フウチは辺りを見渡し、結構嬉しそうにしている。ちなみに、ぶっ壊された部屋の扉は、廊下に立て掛けてある。


「椅子とかないけど、好きな場所に座ってくれよ」


『えーと。じゃあ……』


 迷いながら部屋のどこに座るか探しているフウチを横目に、僕はついついいつもの癖で、普通にベッドに座ってしまった。


 まずい。これじゃあ僕が、まるでいやらしいことを考えているみたいじゃねえか——と。動揺し、すぐさま床に座りなおそうとした、けれど。


 それは叶わなかった。


 なぜなら、ベッドに座った僕の目の前。


 アホみたいにリラックスして、ベッドに脚を開いて座ってしまった僕の目の前、開いた脚の真ん中に、背を向けてフウチが座ったのだ。ちょこん、と。


「……なぜ、そこチョイス?」


『ざいすー!』


 僕を背もたれにして、思いっきり寄りかかってくる。重くないし、むしろ軽いけれど、心臓への負担が半端ない。


 僕のアゴの少し下に、フウチの頭部。


 良い匂いがする髪。少し胸元が開いているラフなTシャツ姿なので、上から見ると、見えそうで見えない。Tシャツがオーバーサイズで、ショートパンツを履いているはずなのに、履いていないように見える。


 だが、さすが僕だ。危うく男の子としての反応をしてしまう可能性もなくはなかった。でも、ドキドキし過ぎてそんな感情(エロ感情)をいだく余裕がなく、やたらと変な汗をかいてしまうだけである。


 自制心が強いぜ。もしくはチキンハートがえぐいぜ。


 これがまさにヘタレってことなのかもしれないけれど、まあヘタレで良いさ。


 そんなヘタレは、ヘタレなりに。


 聞けずにいたことを、聞くとしよう。


「なあ、フウチ。どうして——」


 どうして退学するんだ——と。僕は言った。声が震えてしまいながらも、怖がりながらも。


 僕は質問をした。


『うん……言う……。きちんと話す』


「うん。聞かせてくれ」


『まずね。私、詩色くんにごめんなさい、って言わないといけないの』


「なにがだ?」


『……私、声を出さないことを、詩色くんに恥ずかしいから、って。そう言っちゃったでしょ。嘘なの。ごめんなさい……』


「……気にすんな。そんなこと」


 とっくに気づいていた。そんなこと。


 初めて会ったとき。中三の頃に会ったとき、喋っていたからな。なにか事情があるんだろう——とは、とっくに思っていた。


 本当にそんなこと今更で、気にしていなかったくらいだ。


 その嘘については、気にしていない。


 が、理由は知りたい。嘘の原因。


 声を出さなくなったのではなく——おそらく出せなくなった理由。原因。


 まあ、大まかな予想。ざっくりとした想像は出来る。活動日誌に書いていなかった部分。いちページ目から、次ページ。


 僕が読んだのは、いちページ目が僕との出会い方だった。そして次に読んだのは、僕との再会のページだった。


 読み飛ばしたわけじゃあない。


 そこには、ページが存在していなかったのだ。


 空白でもなく。まるで切り取ったように——なくなっていたのだ。


 無論、活動日誌を読んでいることは、隠す。今はまだ、隠し通す。ジーヤさんとどうやって誤魔化すか、打ち合わせ済みだからな。


「じゃあ、フウチ。フウチは声を出さないのではなく、出せなくなったんだな?」


 とっくに気づいていたことを、きっちりと確認するため、僕は訊ねた。


『うん……今は、出せなくなっちゃった……』


 つまり、僕との本当のファーストコンタクトから、再会までの時間で、フウチになにがあった。なにかがあって、声を失った。出せなくなった。


「……どうして? って、聞いてもいいか?」


 ズバッと質問するには、僕は臆病過ぎた。でも、臆病過ぎながらも、言葉にした。


『うん……、じゃあそこから話すね……私ね。話すことが怖くて出来なくなっちゃったの……』


「怖くて……?」


『そうなの……。今もずっと、怖いの……』


 そう書いたフウチの手は、小刻みに震えていた。


 無理して話さなくてもいいよ——と。そう言ってやりたい気持ちもある。


 けれど、それではいつまで経っても、僕は知れない。知らないままは、もう嫌だ。


 僕はそっとフウチの手を取った。震える手を優しく握る。後ろから抱きしめるように。


「わがままだと思うけど、僕は知りたい。フウチのことを、たくさん知りたい」


 耳元で囁く。僕に晴後はれのちフウチを教えてくれ——と。小さく囁いた。


 僕に手を握られたまま、フウチは、


『ありがとう、詩色くん。私、話すね』


 と。ゆっくりタブレット端末に書いた。


「ああ、聞かせてくれ」


『でもね……? その……』


「なんだ?」


『今の体勢で、さっきの言い方は、その……ちょっぴり、えっち……だよ……?』


 言われて思う——たしかに、と。


 晴後フウチを教えてくれ、って。後ろから抱きしめるような格好で言ったら、まあそう言われても仕方ねえな……。


 恥ずかしいし、ドキドキするし、緊張しているし。


 仕方ないので、どう誤魔化していいのかわからないので結構テンパった挙句、僕は、ふう、と。フウチの髪の毛を手で触り、耳たぶに息を吹きかけてみた。


『あうあうあー!』


「ははっ。びっくりしたか?」


『あうあ…………へんたい!』


「ごめんごめん。でもリラックスできた?」


『うう…………顔が熱くなった……』


「じゃあそのまま、話しちゃおうぜ? 僕が聞いてるから。怖くても、僕が後ろにいる。手を握ってやる。頭を撫でたりもしてやれる。だから、僕に聞かせてくれ」


『……今日の詩色くん……いつもと違う』


「久しぶりにフウチに会えて、たぶん嬉しいんだよ、僕は」


『……あう。……えへへ』


「嫌なら、頑張っていつも通りにするけど?』


『ううん。それで良い。それが良い』


「そっか。じゃあしばらく、こんな感じにするよ」


『うん…………えへへ。ヒーローみたい……』


「サンキュー。そう言ってくれて、ありがとう」


 本当は今の僕の顔とか、絶対真っ赤だろうし、ヒーローなんて呼ばれるような人間の顔色ではないだろう。けれどまあ、バレなきゃ良いだろ。


 そんな風に思いながら、内心でもう一つ呟く。


 僕が主人公メインヒーローなら、じゃあ、お相手メインヒロインは、フウチしか考えられないんだ——と。そんな言葉をこっそりと秘めた僕。


『じゃあ、お話するね……私のこと』


「おう。頼むぜ」


『私の声が、出せなくなっちゃったのは、私が原因なの』


「…………フウチが?」


『そうなの。私が原因。私が言わなければ、ママは、ママは……』


 死ななかったの——と。書いた。震える手で。


 おそらくトラウマだ。ブルブル震えている。


 その背中を僕は抱きしめる。


「頑張れ……」


 そう言うしかできない。僕にはそれくらいしかできない。


 フウチを抱きしめながら、僕はやっとわかったことがある——ようやく、気づいた。


 共通点——そうか。それが僕とフウチの共通点か、と。納得した。


 僕とフウチの共通点——それはつまり。


 母親の失い方、、、、、、——だと言うことに、ようやく行き着いた僕だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る