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なんと三時半になる頃には、いよいよキャベツが全てなくなった。麺もほとんどないし、ベーコンや調味料も同じく。
三時半。文化祭がだいたい六時までなので、今から買い足して無理やり営業する必要もあるまい。
ということで、視聴覚室のドアに『完売しました!』、と。貼り紙をして、
「みんな! おつかれ!」
と。僕は思いっきり声を出した。
久しぶりに大きな声を出したけれど、恥じらいはない。清々しい気分だ。
達成感。圧倒的な達成感。
しかしこの達成感は、僕一人では得られないもので——僕だけだったら、知ることが出来なかった喜びだろう。
みんなが居たから——みんなが居るから。
無鳥が居て、矢面が居て。
そしてフウチが居てくれたから——僕はこの喜びを、達成感を、得ることが出来た。
「…………サンキュー」
小さな声で。本当に小さな声で。囁きとも言えないくらい、誰の耳にも届かない音量で、僕はこっそりと呟いた。
「とりあえず! せっかくだしさ! みんなで一枚いっとく?」
無鳥がスマホを構えて言った。
「わーい! じゃあぼく、無鳥先輩と隣が良いですー!」
「良いよー
「さっすが無鳥先輩ですう!」
「無鳥、さすがだな……」
思わず僕も言っていた。自然と。口が滑ったわけではないけど、口が軽くなっているのかもしれない。
「珍しいー! 詩色があたしを褒めたよ。中学から付き合いあるけど、ひょっとして初じゃない?」
「うっせ……。たまには良いだろ……」
「素直じゃないなあ!」
僕をからかう親友。まあ、今日はそれも良いさ。
そんなこと、今の僕を支配する喜びに比べたら、とても些細なことだからな。
「じゃあ、フーちゃん、詩色の横ね?」
『う、うん……』
「あたしと仁尾ちゃんは、二人の前で中腰」
「はいですー!」
「ほら、詩色とフーちゃん。もっと寄ってよ。自撮り棒なんだから、もっとくっつかないと顔切れちゃうよ?」
「お、おう……」
ドキドキする。僕の顔のほんの数センチ横に、フウチの小さな頭があることで、僕はドキドキを隠せない。
頬が触れそうな距離——こんなに近いのに、遠く感じるのはなぜだろうか。すぐ隣に居るのに、でもどこか遠く感じる。
もっと、近くに居たい。
もっともっと……そばで。
「……っ!」
僕がこっそりと、もっと近くに居たいと思っていると、カメラに映らない場所で、僕とフウチしか見えない場所で——震えるフウチの手が、僕の手をそっと握った。
とても暖かい手のひらの温度。初めて知ったフウチの手のひらは、とても小さくて、でも優しい暖かさで——柔らかくて。
握られた手のひらから、僕の温度も伝わっているのだろうか? それはわからないけれど、僕もそっと握られた手のひらを握った。手汗とかたぶんすごいかもしれない。だけど、どうでもいい——と。
離したくなかった。
横目でフウチの目を見ると、僕の視線に気づき、恥ずかしそうに、笑った。
その笑顔につられて、僕も自然と頬が緩む。
こんなにも自然に笑ったことは、生まれて初めてのことだろう。言うならば優しい笑顔——てんで僕には似合わない言葉だけれど、今の感覚はそうとしか言えない。
「じゃあ撮るよー? いえーい!」
カシャ——と。自撮り棒を操作した無鳥のスマホ画面が止まった。まるで僕たちの時間を切り取ったかのように、ピタッと。停止した。
だが、止まったのは画面だけ——当然ながら、本当に僕たちの時間が止まることはない。
写真を撮り終え、無鳥が自撮り棒を下ろすと同時に、僕たちは手を離した。ほぼ同時に。
照れすぎて、フウチを見れない。
離した手のひらに、温もりが残っている。
フウチも僕に背を向けている。その背中を見るだけで、僕は胸が苦しくなる。だが不思議なのは、苦しさはあるのに、不快感はない。むしろ心地よくすら感じる。心が喜びを表現しているかのように騒いでいるのに、うるさくない。もっと感じていたい。ずっと感じていたい。大袈裟かもしれないけれど、しかし永遠に——と、願ってしまうほどに。
心から。
「まだ時間あるし、仁尾ちゃん! 他のお店とか見に行かない?」
「いきまーす! すぐいきまーす!」
「よーしいくぜえ!」
と。少しだけ距離が縮まった僕たちを残して、無鳥と矢面は文化祭を満喫するため、急いで出て行った。
「なあ……フウチ」
僕は、少し声が震えながら、フウチを呼ぶ。
『なあに? 詩色くん?』
振り向いたフウチは、タブレットを向けた。僕の目を見たり、視線を外したり——と。ちょっと慌てているかのように、目を泳がせながら、赤く染まった頬ではにかみ、僕にタブレットを向けてくる。
「ありがとうな」
『……え? どうして?』
「フウチが居なかったら、僕は今日の楽しみを知らないで過ごしていたよ。だから、ありがとう」
居てくれて、ありがとう——と。
僕は、お礼を言った。呟くくらいの音量だったけれど、込めた感謝のボリュームは、僕の声量ではとても表現し切れない。
『詩色くん……あのね?』
「なんだ?」
『あの……ね。あの……』
なにか言いたいのだろうけれど、言いにくいことなのだろうか?
じゃあたまには、僕から言いたいことを、素直に言ってしまおうか。僕の意思で、素直に。
「あのさ、フウチ」
僕は言った。なかなか続きを書けない(?)フウチを呼び、そのまま続けた。
「この衣装で、写真撮るって約束だったよな」
偉そうな口調だな、僕。我ながら。
だけど、こんな感じで誤魔化さなければ、もはや雰囲気に流されて、言ってしまいそうだったのだ。
雰囲気に流されて——好きだ、って。大好きだ、って。
この気持ちは、雰囲気に流されて言いたくなかった。大切で愛しいこの気持ちは、僕が伝えたいと心から感じたその時に、わがままだけれど、そんな時に——伝えたいのだ。
初めての大好きを言うタイミングくらい、僕のタイミングで言いたい。流されて言って、後悔をしたくない。後悔をするなら、僕のタイミングで言いたい。
後悔をするのかわからないが、必ずしも成功する告白だと思えるほど、僕はポジティブじゃあない。
ネガティブもネガティブ。マイナス思考に
僕がそんな胸の内を秘めていると、フウチは僕のそばに、てくてくと。ゆっくりと。小さな歩幅で、でもしっかりと。僕の方へ。
そのまま僕の胸に、こつん——と。頭を預けた。
『今私、顔赤くなってると思うから、少し休憩……しよ?』
そう書いたタブレットを向けて、でも頭は僕の胸に置いたまま。
「了解だよ」
同意の返事をして、僕はフウチの頭に手を乗せた。
いつもなら、撫でる。頭を撫でることが、僕に出来る精一杯のことだった。
あるいはこれこそ雰囲気に流された結果なのかもしれない——僕は、フウチの頭に置いた手を、ゆっくりと後頭部に添えて。
そのまま、ドキドキしている自分の胸に、小さな頭をそっと抱きしめた。
抱きしめた——そう呼ぶには、いささか弱いチカラだったのかもしれない。が、僕にしては、頑張った方だろう。
『うう……顔赤いままになっちゃうの……』
「だよな。僕もだと思う。悪い」
『あう……いいよ……許す』
「じゃあ、もう少し……良いか?」
『…………許す』
僕みたいな人間が、こんな可愛い美少女の頭を、今度はもっと頑張って、両手で。
でもやっぱりチカラは弱々しく。
それでもしっかりと。この心臓の音を自慢するかのように——メロディを聴かせるつもりで。
ドキドキを伝えたくて。僕の音を——聴いて欲しくて。
だから僕は、弱々しくも両手を使って、フウチの頭を抱きしめた。そっと後頭部を撫でながら、抱きしめた。
今日という日を、僕は一生忘れない。
勇気を出した記念日だ。カレンダーに丸をつけて、一生大切な日にする——と。僕は誓った。
心に。魂に。記憶に。身体に。全身に。
僕という人間に。葉沼詩色という人間に。
僕を構成する、すべての細胞ひとつひとつに——誓った。忘れるかよ。絶対に。
こんな大切な日、こんなにもドキドキしている瞬間をなにがあっても、絶対に——忘れるかよ。忘れられるかよ、と。
フウチの温もりを感じながら、僕は思いを誓った。思いを——想いを。大切な僕の
今はまだ——秘めた
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