2


「なんかすげえ疲れた……」


 ようやく帰宅した僕は、風呂の準備を済ませて、リビングのソファでくつろぎながら、同時に本日の疲労を深く感じながら呟いていた。


 思えば僕、一睡もせずに今日を過ごしたのか。


 一睡もせずに、僕はあんなわけのわからない後輩の相手をしたのか。そりゃあ疲れるよ。


 妹は夕飯の買い出しに行ったので、僕一人である。


 もう、このままここで寝てしまいそうだ。


 でもリビングで寝ると、妹が帰って来たら確実になにかしらのイタズラをされると予想できるので、寝るなら部屋に行くべきだろう。


 スマホを見る。今日はフウチが学校を休んだから、ラインが来てないな。


「……………………」


 送ってみようか。風邪だとしたら、心配だし、お見舞いのメッセージでも送ってみようか。


 だけど、昨日のことを考えると、果たしてなんてメッセージを送ればいい?


「んー」


 風邪大丈夫か——とか?


 大丈夫じゃあないから休んだのだろうし、そんなメッセージ送っても迷惑だろうか。んー。


 風邪心配だよ——とか?


 わざわざ心配してますアピールされても、なんかウザいと思われるかな……。んんー。


 体調どうだ——これか!


「いや待て……」


 よく考えろ僕。体調どうだと聞かれても、風邪を引いている時点で体調は良くないだろうし、そんなことを聞かれたら、大丈夫だよ、って言うしかなくないか? それはもう、返信の内容を強制しているようなものじゃあないだろうか。


 却下だな。返信内容を強制なんて、ただのパワハラだろう。却下だ却下。


 じゃあ、そうだな……。


 暖かくしてるか——これならどうだろうか。


 いやいや。してるだろ。そんなこと言われるまでもないだろ。


 あれ? メッセージって、なに送れば良いんだ?


 体調を崩している相手に、気を遣わせないメッセージって、どうするのが良いんだ?


 まずいな。わからない。


 体調を崩した相手にメッセージを送ったこともなければ、送ろうと思ったことも初めてなので、まったくもってわからない。まさかこんなところで、長年のぼっち生活のせいで、リア充キャリア不足が浮き彫りになってしまうとは。


 まだまだルーキーだからな、僕。


 ぼっちを卒業して、初日だからな。


 そもそも良く思い返してみると、僕からメッセージを送ったことがない。フウチとのメッセージは、毎回フウチから送ってくれるのだ。


「…………んー」


 じゃああれかな? 今現在まで、本日一度もメッセージが来なかったということは、スマホを操作するのもしんどい可能性もあるのか。


 あるいは、僕にメッセージを送りたくないという可能性もあるか……。それは泣く。


 どうしよう。今日フウチと話していないから、ものすごく話したい。本音をぶちまければ会いたいけれど、それはまあ、事実上不可能なので、諦めるしかないけど、ならばメッセージくらいしたい。


 でも、メッセージの始め方がわからない。


 みんなどうやって、やり取りをスタートさせているんだ? 気軽に送るもの——みたいなイメージだけど、じゃあ気軽ってなに? 病人に気軽に送って良いものなのか?


「うおお……わからん」


 ものすごくわからない。だって、こんなにも誰かと関わりたい、って思ったことないもんな。


 相手が無鳥なとりなら、何も考えずに送るんだが。そうか。考え方を変えてみれば良いのか。


 無鳥になら何も考えずに送れるなら、じゃあ無鳥に送ると思って考えてみよう。


 たとえば、無鳥が風邪引いて、僕がラインを送るとして、なんて送る?


「…………まず、送るという選択肢がない」


 いや、送るという選択肢がなくとも、送るとして。送ると仮定して考えると——無鳥に送るなら……。


 お前が風邪引くとか、有り得ないだろ。


 一択だった。


「ダメだ。無鳥が風邪を引くイメージがない」


 無理があったか。この仮定には無理があったか。


 仕方ないな。あいつ馬鹿だし。


 そうなると、もう友達が居ないから、仮定する人物すら居なくなってしまった。困ったな。これでは、いつまで経ってもメッセージを送れない。


 困った困った。


 誰かにアドバイスを求めたいけれど、その場合も現状の選択肢は無鳥しかいないし。無鳥に聞いても、ろくな答え返って来ないだろうし。


 うわ、詰んでんじゃん。


 僕はメッセージひとつ、好きな子に送れないのか。情け無い限りだな……。


 いや。想像で仮定するなら、あのわけのわからない後輩に送る想像でも構わないのだが、あのわけのわからない後輩が風邪引いたとか知っても、たぶん僕は喜ぶくらいだし。


 なんなら、ざまあ、とか送ってしまいそうだ。


 それが、あのわけのわからない後輩相手なら別にいいんだけど、フウチに送れるわけないし。


 難しいな、ライン。ラインのIDを教えてもらうのも散々悩んで、結局フウチから聞いてくれたんだもんなー。僕、全然ラインを使いこなせていないな。


 うーん。うーんうーん。


 病人にメッセージを送るって、そもそもマナー違反だったりするのだろうか。だって、寝てなきゃいけないのに、送ることによって、寝ることを妨害しているようなものじゃあないのか?


 迷惑だよな、それは。悪質だ。


 送りたいけれど、僕の個人的な都合で病人に迷惑を掛けるのは、やっぱりマナー違反だろう。


 送りたい気持ちをグッと堪えるのが、今の僕に出来る、唯一のことなのかもしれない。


「でもなあ…………」


 送りたいよなあ。わがままなのは重々承知しているが、送りたいよなあ。


 はあ……。どうするのが正解なんだ。


 ベストはなんだ? どれを選択してもワーストにしか思えないんだが……。


 これが逆に、僕が風邪を引いていたとしたら、って考えてみるか。


 僕が風邪を引いて、寝てて、メッセージが来たら。フウチからメッセージが来たら——いやそんなのどんな内容でも嬉しいだろ。全快するだろ。すぐ治るだろ。


 僕とフウチでは、立場が違いすぎて参考にならねえな。立場というか感情か。僕はフウチを好きだけれど、フウチが僕を好きなわけないし。


「なーやーむーぜー」


 声を出してみればなにか浮かぶかと思ったけど、なんにもだった。ただの独り言になってしまった。


 こんなにもスマホと睨めっこしたの、人生初だな。


 なにしてんだろうか、僕。馬鹿みたいにスマホを眺めて、なにしてんだろう。


「うおっ!」


 スマホを眺めてたら、急に画面が明るくなったので、僕は声を上げて驚いた——が。


「……なんだよ無鳥かよ」


 ラインが来たのだが、無鳥からだった。なんだよ、もー。期待した僕の期待を返せ!


 まあそれは勝手な言い分なので、ラインを開いて確認する。


『明日、あんたずっと暇なの?』


 そんなメッセージ。明日は学校が休みなので、タブレット端末を買いに行く日である。


『タブレット端末を買うくらいしか予定はねえよ』


 僕はそう返した。すぐに既読が付き、返信が来る。


『じゃあ、タブレット買ったら、フーちゃんのお見舞い行くよー』


 マジで言ってんのこいつ? マジなんだとしたら、たった今から親友にランクアップさせて良いかな?


 でも、無鳥ってフウチの家の場所知ってるのか? 馬鹿だから、金持ちっぽい家ローラー作戦するとか言い出す可能性もある。


 それはきちんと確認しよう。


『フウチの家、わかるのか?』


『うん。来週からテストあるじゃん? だから今日、九旗くばた先生から、フーちゃんにテスト範囲のプリントとか届けてやってくれ、って頼まれて、場所も聞いたからさー』


『僕、お前が友達で良かったよ。ところで親友にランクアップさせて良いかな?』


『あんた、どんだけフーちゃん好きなんだよ。それだけ好きなら、お見舞いのライン送ってあげなよー』


『お見舞いのラインって、なにを送れば良いんだ?』


『そんなの、なんだって良いだろ。送ることに意味があるんだろ』


『そういうもんなのか?』


『……あんた、本当に勉強は出来ても、人付き合いは出来ないんだね……。なんでも良いから送ってあげなよ。きっと喜ぶからさー』


『…………わかった』


 わかってないけれど、わかったと返す僕。


 なんでも良いって。それ、めちゃくちゃハードル高いだろ。夕飯のリクエストにそれ言ったら、僕はしぃるに怒られるやつだぞ。『なんでも良いの? じゃあ消しゴム食ってろ』って言ってくる妹なんだからな、僕の妹。マジで皿に消しゴム載せて出して来た妹なんだからな!


 と。僕の思考がぶれぶれになっていると、またラインが届いた。そういえば、時間とか何にも決めてないから、無鳥だろ——そう思って、なんの考えもなしにラインを開く。そこには、


『…………………………チラッ……チラッ』


 というメッセージが。可愛いメッセージが。


「————————っ!」


 ソファで、何も発声せずに、僕は悶えた。


 めちゃくちゃ眠かったはずだし、めちゃくちゃ疲労していたはずなのに、ひたすらに悶えて、ニヤニヤして。我ながら気持ち悪いくらいに、ニヤニヤニマニマして。


 ソファをバンバン叩いたりしてしまった。


 反則だろー。チラッ、てされたら反則だろー。


 チラッ、チラッ、って。二度見はずるいって。


 ダメだ。ニヤニヤ止まらねえ。自分でも不審者過ぎるとは思うけど、画面見ながらプルプル震えるくらいニヤニヤが止まらねえ!


 可愛すぎんよ……。しぃるが買い出しに行っていて良かった。こんな兄の姿、妹に見せられるものじゃあない。


 僕が画面を見て、ニヤニヤして照れていると、


『…………けほけほっ』


 というメッセージが連続で届いた。なにそれ? もしかして心配されようとしてるの? 甘えてるの?


 そんなことされなくても、心配しかしてねえぞ僕。


 てかなにそれ好き。否。超好きだ。


『大丈夫か?』


 僕は、超好きだという本音を隠して、返す。


『むう……っ』


 今度はなに? むう、ってなに?


『どうした?』


『今日……だってラインしてくれないんだもん』


 僕はソファの上に立ち、一度全力でバンザイをしてから、大人しく座った。


『悪い。風邪引いてるときに送ったら悪いかな、って』


『悪くないもん…………待ってたもん』


 僕はソファの上に正座をして、意味がわからないけれど、自分の太ももをとりあえずぶん殴った。


『送ろうとはしたんだけど、なんて送ったらいいか悩み過ぎて……』


『私、心配されないのかな…………って。落ち込んだもん』


「むしろ心配しかしてなかったあああ!!!」


 もう、叫んだ。いよいよ叫んだ僕である。


『心配だったよ。めちゃくちゃ心配した』


『つーん』


ねたあああああああ——っ!」


 もっと叫んだ。たぶん近所迷惑だな。てか僕、こんなに大声出したの久しぶりだ!


『今も心配してるから』


『つーん』


「ふふ。ふふふふふふふ」


 なに笑ってんだろうな、僕。テンションが意味不明だ。


『このままだと心配で、僕は寝ることも出来ないくらい心配してた。今も寝ることが出来ないくらい心配だよ。ああ、心配だなあ。心配し過ぎて、呼吸を忘れそうになるぜ』


『……………………けほけほっ』


 欲しがりじゃーん! 欲しがってるじゃーん!


 なにその可愛さ。危うくスマホぶん投げそうになったじゃねえか。


『心配だし、お隣が休みだと、僕は授業中寂しかったよ。心配と寂しさで、シャーペンをカチカチしまくったくらいだぜ。シャーペンの芯を伸ばすことだけに無理やり集中して、寂しさを黙らせたくらいだぜ』


『ふーん。寂しかったんだ。なんで……かな?』


『お隣が休みだったからだよ』


『詩色くんのお隣は誰…………かな?』


『そりゃあわかるだろ?』


 言われたがりなの? 言わせたいの?


 でも恥ずかしい! 名前を打つのが恥ずかしいから、そんな返信をした僕は、チキンだ!


『…………けほけほ。……チラッ』


 コンボで来たああ——————っ!


「ふはははははははっ!」


 笑いが止まらない。なんか笑いが止まらない。


 そのコンボは僕を殺すぞ? 僕だけを殺すコンボだぞ? どうしても言わざるを得ないじゃねえか。


『そりゃあ……もちろんフウチだろ』


『うん……私だった!』


『当たり前だろ』


『当たり前だった!』


 その後、僕は寝るまでフウチとラインを交換したのだった。幸せって、これだと確信した。


 気まずくなるとか、全然なかった。


 気まずさとか、心配する必要はなかったんだろうな。


 だってこうやって、メッセージを交換してるだけで、そんな心配を忘れるほど楽しいのだから。

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