5


 さて困った。


 困ったレベルで言えば、彼女にラインを聞けずにいた苦悩の一週間よりも高い。すごく高い。すこぶる高レベルとしか言えない。


 僕が何にここまで頭を悩ませているのか。それは、彼女が僕に求めたSOSの内容であり、ではその内容とはなんなのか——それはそれは……。


 ……紙がなかったらしい。


 いや、それくらいなら僕でも対処は可能だと思うだろう? 僕だってそう思った。


 だから僕は、SOSを受けて、女子トイレの外から、個室の上に向けてトイレットペーパーを投げ込んだ。それくらいのコントロールは持っていたので、トイレットペーパーをスローイングすることには成功した。


 が。


 スローイングして、しばらくしても彼女はトイレから出てくることはなく、そんな彼女から届いたラインが、


『これじゃない……紙なの』


 だった。


 これじゃない紙。それってなに?


 まさか学校に存在する真っ白な安っぽいトイレットペーパーではなく、うっすらピンク色とかしてる、香り付きの高級品を求めているのか?


 そりゃあ、リムジンが迎えに来るほどのご家庭ならば、使用しているトイレットペーパーも、さぞかし高級品で、もしかしたら僕なんかでは一生お目にかかれないくらいのトイレットペーパーなのかもしれないけれど、そのレベルの品を僕に求められても、ご要望にお応えできないぞ?


 そんな風に悩むこと数分。すると、彼女から、


『女の子……だけが必要とする紙……』


 というメッセージが届いた。


 なにそれ? そんな紙あるの? 知らねえんだけど……。さすがにわからないので、その紙の特徴をさぐることにした。僕はラインで、『特徴とかある?』って送った。その返信が、


『きゅ……きゅうしゅー』


 である。


 九州? 特産品とかなのか?


 それともグラウンドを九週してこい、ってことだろうか。まさかそんな馬鹿な。いきなりランニングを求める理由が不明過ぎるだろう。ならば急襲を求めている——は、ただの事件でしかないし、そりゃあ求められたなら精一杯頑張るかもしれないが(おい)、そんな僕だけが得する展開なんて、まさかまさかこの僕の人生にあるはずもないだろうし、急襲はないな(当然だが……)。


「ふむ。女の子が必要とする紙。きゅうしゅーするのか。なるほど」


「…………うわ」


 と。僕が女子トイレの前で、確認のために呟いた言葉を聞いていて、めちゃくちゃ引いた目で僕を見て、声を出したのは、果たして。


「なんだ無鳥なとりか」


 果たして無鳥るうるだった。


 無鳥と学校で遭遇するのは、結構珍しいな。基本的に無鳥と顔を合わせるのは、僕の家だし。まあ、それはそれで不思議な気もするが、無鳥はあくまで妹の友人だからな。


「いや……、『なんだ無鳥か』じゃねえよ。あんたなに女子トイレの前で、犯罪者丸出しの言葉を『ふむ』とか言いながら呟いてんの……? 『なるほど』じゃねえよ。てかこわっ! 引くんだけど…………」


「引くんだけど、ってわざわざ言われなくても無鳥。お前の視線で判断可能だったよ。いちいち口頭で言わなくとも、その目つきからひしひしと伝わってきたよ」


 それ、本当に人間を見る目か? どんなメンタルで僕を見てんだ?


 その辺の石ころを見るときでもしたことねえぞ、そんな目。


「…………まあいいや」


 無鳥はそう言って、持っていた鞄から本を取り出した。それを僕に渡してくる。


「これ、しぃるに渡しておいて。借りてた本。本当は、あんたの机の上にでも置いとこう、って思ってたけど、まさかこんなところで犯罪者になっていたとは思わなかったけれど、渡しておいて」


「それは構わないが、無鳥。お前は僕の机の上に、BL本を置いておこうとしてたのか?」


「悪い?」


「極悪だろ!」


 ぼっちの僕の机の上に、なんてもんを置こうとしてくれてんだ。


 ぼっちをさらに孤立させるきっかけを作ろうとすんな! 超極悪クリエイターじゃねえか!


「で、犯罪者。あんたなにしてんの? 女子トイレの前で、なにしてんの?」


「僕の立ち位置を強調するなよ。たしかに女子トイレの前に存在している僕だけど、そこだけを強調するなよ」


「そこを強調しなかったら、今のあんたはただの犯罪者だよ?」


「そこを強調されることで、犯罪者感が増しちゃうだろ……って、僕は犯罪者じゃないしな!? 僕は無実だ。見ろ、僕の潔白丸出しの瞳を。これが犯罪者の瞳だと思えるのか?」


「それが犯罪者の瞳だと、あたしは今まさに学んだところだよ」


「やかましいわっ!」


 いつまで僕を犯罪者扱いしやがるんだ。


 この会話、たぶん個室まで届いているから、フウチに僕が犯罪者だと誤解されたらどうしてくれるんだ、まったく。


 とは言え、ここで無鳥が登場してくれたのは、ありがたいと言えばありがたい。無鳥登場のきっかけは妹なので、帰ったらしぃるには内心でありがとうとでも言っておこう。なんならハグだ。


「ところで無鳥。お前、女の子が必要とする紙で、なにやらきゅうしゅーするっぽいやつ、って持ってる?」


「……そ、そりゃ、持ってるけど…………」


 なぜ赤くなる。


 僕、そんなにイケメンか? 実は僕が気づいていなかっただけで、本当は僕イケメンなのか?


 まあ、それは鏡を見ればわかることで、そこまで愚かな勘違いはしないお利口りこうさんな僕なので、無鳥に、


「持ってたらくれ」


 と。言った。


「……………………」


 え? なにその顔。顔というか目というか視線というか、なんというか。


「い、一応聞くけど、どうして…………?」


「必要だからだ」


「嘘つけ!」


「嘘ついてどうすんだよ。僕は真実しか話してないからな?」


「……どうだか」


「じゃあヒントくれ。そもそも僕が求めているその紙、なんなの? ヒントというか答えをくれ」


「はあっ!? それ知らないで女の子にその質問したの!? だとしたらあんた、天才だよ!」


「やめいやめい。照れてしまうぜ」


「セクハラの才能がピカイチだね……」


「その才能はいらねえな」


「いやでも……、それは男の子には不要だと思うんだけど……」


「ん? そうなの? てか普通にその紙がなんなのかそろそろ教えてくれない? 女の子が必要とするきゅうしゅーするっぽいやつの正体」


「……たぶんだけど…………それをそんな呼び方したことないからわからないけれど、あたしが思うそれの正体は……」


「正体は?」


「…………これ」


「あー…………」


 それね。それかー。なるほどそれなのかー。


 そりゃ、僕には必要ないわな。その日が来ないし。永遠に。


 なるほど。なるほどなるほど。


 それならば、恥ずかしいからフウチは、わざわざ回りくどく僕に察してほしくて、遠回しに言ったことにも納得するし、無鳥が赤くなったのも、実は僕がイケメンだったというわけでもなく、無鳥はその言葉だけで、それの正体を見抜いたから、赤くなっただけか。


 納得した。うんうん。納得納得。


 それの正体がそれなら、納得。


 それの正体が、生理用品なら納得。


 きゅうしゅーとは、九州でも九週でも急襲でもなくって、つまり吸収か。


「…………もらって良いの?」


 鞄から無鳥は取り出したけれど、それを僕はもらって良いの? なんかすごく変態的な要求をしてる気分になるんだけど。


「え、あんたにあげるの……? これを……?」


「いや、それを必要としてるのは僕じゃなくて、僕の友達なんだけど」


「もっとまともな嘘をつけ! あんた友達居ないじゃん」


「みんなすぐそう言う!」


 先生も無鳥も妹もすぐそう言う!


 ふとスマホを見ると、『私はお友達だよ』というメッセージが届いていたので、少し救われた気分になった(僕の癒し!)。


 とりあえず、無鳥に事情を説明。


 なかなか信じてくれなかったけれど、どうにか説明をして、さすがに女子トイレに女子の目の前で踏み込む覚悟はなかったので、受け渡し役を無鳥に託した。


 無鳥からそれを受け取ったフウチからメッセージが届き、『ありがとう、って伝えて』と言われたので、無鳥に画面を見せて、フウチの感謝を伝えた。


 こうして初ラインからのSOSは無事終了した。


「でも、よくフウチは僕にそれを頼もうと思えたな……」


 無鳥に画面を見せながら、ふと呟いた僕。


「あんたが常に持ち歩いている変態野郎だという可能性にかけたんじゃん?」


「どんな可能性だよそれ!」


 突っ込みながら、スマホを見てみると、画面には、『微レ存だと思った』というメッセージが表示されていた(おい)。


 たとえ微粒子レベルでも存在してると思わないでくれ。いや、マジで。


『嘘だよ。助けてくれる、って……信じてた』


 連続してそんなメッセージが届いた。そりゃあ光栄だ。このメッセージを読みながら、思わずニヤけてしまうくらい光栄だ。


「……なにニヤけてんの? きも……」


 僕に対して、辛辣しんらつなスタンスを貫く無鳥だった。

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