管理者がいない地獄の話
とりい とうか
サイエ先生の話
地獄、そう、地獄だ。どのような宗教にも似たり寄ったりな存在がある、死後罪人が落ちると言う場所だ。そこでは罪人が現世で重ねた罪を償うべく、永劫とも思えるような責め苦を受けさせられている。そうして全ての罪を贖った者だけが、転生だか何だかを経て次の段階へと進めるのだ。
実際、ここに来てから幾許か――時を数えることに意味がないと悟ってから、時間の感覚は酷く曖昧だ――の間はそうだった。自分が知る宗教観に擬えるならば、鬼と呼ばれて然るべき醜悪な何かが、自分達に対して常に何らかの責め苦を科していた。それは全身を業火で炙ったり、底のない汚泥の中に沈めたりと、原始的なものでしかなかったが、確かに自分達を苦しめようと言う意図があった。
しかし、そんな苦痛に満ちた日々は終わった。否、終わってしまった、と言うべきだろうか。
どれくらい前のことかは覚えていないが、鬼が忽然といなくなった。必然、責め苦を科す者がいなくなったことで、自分達は数多の苦痛から解き放たれた。
尤も、私やその他数名にとって与えられる痛みに意味はなく、その思考や思想を矯正することは叶わなかった訳だが、兎に角私達は突如として自由の身となった。
しかし、自由の身とは言え私達に往くべき所などなく、況してや転生だの何だのを経る手段も知る由がない。そのため、私達は――この、地獄と呼ばれていた場所で、暮らし続けることになった。
これは、そんな生温い地獄の物語だ。
さて、ここまで語って来た私が誰かと言う問いを、読者である所の『君』は抱いたはずだ。生憎、言葉を操る術に長けておらず、順番が前後したことをお詫びしよう。
私の名は、ない。いや、生前に呼ばれていた名はあるのだが、地獄に落ちて長い日々を過ごす内に忘れてしまった。鬼達は私達のような罪人を名前で呼ぶことはないし、こんな風になるまでは罪人同士の交流もなく、個人の名前が必要になることもなかったからだ。
しかし、勘の良い『君』なら先刻の物言いで気付いたかもしれないが、こんな風になってしまった地獄では罪人同士が普通に交流を持っている。そのため、便宜上個人を示す名前が必要となった。そう言う過程によって得た名前ならばある。
私の名前は『サイエ』だ。この名前をつけてくれた者曰く、マッドサイエンティスト、の略らしい。通常、言葉を略すならば語頭か語尾を使うはずだと思われるのだが、こんな場所に落ちてくる者に常識だの普通だのを求めても無意味なことくらい私とて心得ている。
しかして、サイエンティストは兎も角、マッドと言う言葉には反論をしなければならない。私は狂ってなどいないし、強いて言うならば知的好奇心が一般人よりも強い、と表現して欲しかった。まぁ、物事を正しく表現するならば、サイエンティストと言う呼び名も間違っていると言わざるを得ないのだが……。
「センセー!! 空からロリっ娘降らして!!」
……便宜上、空と思しき部分が明るくなっているから朝だと呼ばれている時間に、何て中身のない叫び声だろう。どうにも、今の私の名付け親たる彼の言動には空虚感と憐憫が湧いて来る。一応、私よりも先に地獄に落ちていたと言う点において、先達に払う敬意は持っているものの、それがなければ頭蓋骨を切り開いて改良してあげようと思う程度には、彼の頭の作りは哀れなものだった。
「空からじゃなくて、土から生えるのでもいーよ!!」
「この間作ってあげた人形はどうしたんだい?」
「三回ヤったら死んで元の形で生き返った!! あんなオッサン抱いてたかと思ったら萎えたし吐いた!!」
これを笑顔で言い切る彼の脳みそを、哀れ以外に何と言えば良いのか、私の語彙力では適切な言葉が見当たらない。しかし、三回で潰されるとは正直予想外だった。この間は一回で壊れたから、耐久性を上げる方向性で作ったのだが、彼の性欲の前では意味がなかったらしい。
「しかしね、そこらの亡者を改良してもアレが限界だよ。素体が丈夫でなければ、上げられる耐久性にも限度がある。そうでなくとも成人男性を幼女に変形させると言う点で相当無茶をしているのだから」
「えー、じゃあ妥協するからババアをロリに変えてよー。そしたらこう、若返らせるだけだからイケるでしょー」
「むしろ全身を作り変える方が作業の難度としては低いよ。一旦死んだ細胞を生きた状態に戻してその上で変異させるよりはね」
説明の半分も理解出来ないだろうなと思いつつもつい少しでも理解出来るように噛み砕いて教えようとしてしまうのは、生前からの悪癖である。しかし、彼の良い所の一つとして、解らなければ解らないなりに頷いて受け入れると言う所がある。かつて私の周りにいた同僚達のように、頭ごなしに否定しない所は彼の少ない長所だと思っている。
「うーん、サイエ先生の話は難しくてよくわかんないけど、取り敢えずババアはロリの材料には向かないと」
「性別よりは元の体がどれだけ改良に耐えられるかって話だよ」
「何回か殴って生きてたら向いてる?」
「……君に殴られたら大体の亡者が死んでしまうんじゃないだろうか」
以前あった光景を思い出して、思わず苦笑してしまう。あぁ、あの時は本当に酷かった。何十回と改良を施した傑作が、一分も耐えられずにばらばらになってしまったなんて。
まぁ、それこそ過去のことだ。現状、彼と私はそれなりに良好な関係を築いているし、わざわざそれを崩すようなことをすることもない。私は、この地獄で、生前果たせなかった研究を続けていくだけで、その過程で彼のような大罪人を味方につけられるよう動いていくだけだ。
――××博士。『人間の可能性を追求する』と主張し、一六七人を殺害(かいりょう)した第一級殺人犯。警官隊が彼の地下研究室に突入した際、彼の『最高傑作』によって五名が死亡、七名が重軽傷を負った。また、彼自身もその時警官隊に撃たれて死亡している。
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