あの自販機までに言えたなら

じゅき

第1話 私から伝えることがある

 夕暮れの街中を二人の高校生が歩く。

 片方は地味な印象を受けるが、小綺麗にしている女子。学校のアイドルというよいうな派手さはないが、年相応の愛らしさを持っている。

 もう一方は、落ち着いた印象の男子だ。清潔で穏やかな雰囲気を纏う彼は隣を歩く女子に暖かな笑みを向ける。

 二人はデート中の男女だ。

 女子高生の伊織は、想いを寄せる男子、理生りおと何度目かのデートを終えようとしていた。

 デートと言っても、二人はまだ交際していない。

 友達以上恋人未満という表現が当てはまるような関係で、告白もしていない。

「伊織さん、今日のショッピング楽しかったね。誘ってくれてありがとう」

 理生は伊織に向かって微笑む。

「り、理生くんが楽しめたならよかった。今日は後半、ちょっと道に迷っちゃったりしたから理生くんは嫌な思いしたんじゃないかと……」

 伊織はあたふたしながら答える。

 伊織はこれまで、理生にデートで何度か迷惑をかけている。今日も迷惑だったんじゃないかと心配していたのだ。

 理生は何かあるたびに、「気にしないで」とか「僕もこの前失敗したからおあいこだね」とか言葉をかけてくれる。

「全然嫌じゃなかったよ。端末のマップを見ながら目をぐるぐるにしてる伊織さんも可愛かったしね。また誘ってよ」

 優しい声が伊織の心に沁みる。

「また誘ってよ」という言葉は理生が何度も言ってくれた言葉だ。この言葉を聞けば、失敗にめげずに、また彼と一緒に過ごしたいと思える。また理生に声を掛ける勇気が湧くのだ。

(私、やっぱり理生くんが好きなんだ。絶対に想いを伝えよう。つ、次のデートくらいで……)

 これまで何度か告白のチャンスはあったが、その度にへたれてしまう。次の機会にと思ってしまうのだ。これは伊織自身も自分の悪いところだと思っている。

 今回も伊織が心の内で何度目かの決意をしていると駅に向かう道に入った。

 駅に入ったらお別れだ。今日のデートが終わってしまう。

 伊織は少し残念な気持ちになる。

 曲がり角の街灯を過ぎたあたりで、理生が立ち止まる。

 つられて伊織が立ち止まると、理生は少し困ったような表情をして何かを考え、伊織に話しかけた。

「伊織さん。実は相談があるんだけど、聞いてくれるかな」

 突然のことに伊織は驚きながらも、理生の力になれるならと話を聞く事にした。

 気がつけば、あたりはもうすっかり暗い。

「僕さ、気になる人がいるんだ」

 伊織の胸から背中にかけて冷たい風が吹き抜ける。それほど衝撃的だった。

(これは、彼の気になる人って、好きな人ってことなのかな……そしたら……それは、きっと私じゃない)

 伊織に相談するのだから、理生は伊織以外に好きな人がいるのだろう。

 やはり友達以上恋人未満。一線を超えられない関係なのだ。

 伊織は悲しいとかではなく、理生がどこかに行っていなくなってしまうような、寂しい気持ちになった。

 伊織の心情を知ってか知らずか、理生は静かに話だす。

「その人ね、いつも遊びに誘ってくれるんだけど、僕のことどう思ってるのかなって」

 ショックを受けながらも、伊織は理生の話を聞いていた。相談にのると言ったのは自分なのだ。自分の想いは叶わないとしても、理生に対しては、せめて誠実でありたかった。

「理生くんはその人とどうしたいの?」

 これは相談の意味で聞いたが、直後に、自分自身が知りたいことでもあったと気がついた。

 図らずとも、相談にかこつける形で理生の本心を聞こうとしてしまったことに、伊織は罪悪感と自身への嫌悪感を覚えた。

 理生は特に悩んだ様子もなく答える。

「僕はその人のこと好きだと思ってるし、その人が僕のことを好きになってくれてるなら、僕は嬉しい」

 いつもと変わらない笑みを向けてくる理生と返答に打ちひしがれる伊織の間に風が吹き抜ける。

 街灯が照らしている二人の周り以外はすでに薄暗く肌寒く感じる。

「でもその人、きっと僕に言いたいことがあるんだろうけど、なかなか言ってくれないみたいなんだ」

 少し困ったように続ける理生。

 伊織は理生が気にしている人と自分自身を重ねる。その人もきっと理生への想いを伝えられないのだろう。

「こういうのは男子の僕から言った方がいいのかな」

「そう考える人もいるだろうけど、その人のこと、もう少しだけ待ってあげて、きっと自分から伝えたいはずだよ」

 伊織は自分でもこんな言葉が出てきたのは不思議だった。そしてこの言葉は伊織自身のことでもあった。

 理生は少しだけ驚いたようだったが、穏やかな声でささやく。

「伊織さんがそう言うなら待ってる。だから、ちゃんと伊織さんから伝えてね」

 暖かい声だった。冷たい風が吹き抜けた伊織の胸のうちを満たすような、伊織が理生を好きになったきっかけ。そのときと変わらない温もりを感じた。

 そして、同時に重要なことを聞いた。

【伊織から伝える】

 理生は伊織を待っている。つまり、今話していた理生の気になる人は、伊織。

 伊織が理生に想いを寄せていることは、当人も気がついていたらしい。

 ここまでくると、伊織がどう告白しても受け入れてもらえそうだが、なかなか言葉が出ない。

「遅くなってきちゃったね。そろそろ行こうか」

 伊織が告白するには、まだ時間をおく必要があると考えたのだろう。理生が気遣って切り出す。

 二人は暗くなった道を歩き出した。駅までもうすぐだ。あの自販機を超えたら、喧騒に満ちた駅前に着く。

(これで、いいのかな。ここまでしてもらって、御膳立てしてもらったのに、また次の機会に先延ばしにするの?)

 伊織にはモヤモヤとした気持ちが残っていた。

(理生くんをいつまでも待たせていいの?私はいつになったら言葉にして伝えるの?)

 そのとき、自販機が再び目に入った。

(これ以上待たせるなんて絶対に良くないよ。あの自販機を超えるまでに告白するんだ)

 伊織は静かに決意した。

 自販機の目の前、伊織は勇気を出して声を掛ける。

「あのね!理生くん!」

 力んで普段出さないような声が出てしまった。

「あのね、私……伝えたい……ことがっ」

 理生は「うん」と言って立ち止まる。

 しかし、伊織の方はうまく言葉が出ない。

 拳を握り締めて立ち尽くす伊織。

 どのくらいそうしていただろうか。

 理生はゆっくりと歩き出す。

(ああ、私がもたもたしてるから、理生くんは呆れちゃったんだ)

 涙が出そうになって目を瞑ってしまう伊織。

 そのとき、近くで物音がして伊織は再び目を開ける。

 目の前には飲み物を差し出す理生。

「体冷えてるでしょ。それに緊張してる。焦らないで、僕は待ってるから」

 理生から温かい紅茶を受け取ると不思議と手から全身にまで温められるような気がした。

 伊織はもう一度、理生の目を見る。

「理生くん。私、理生くんが好き」

 一度言葉にすると、堰を切ったように想いが溢れる。

「優しいところも、私に声をかけてくれるところも、温かいところも好き」

 理生は伊織の想いを柔らかく受け止める。

「ありがとう。伊織さん、ずっと待ってたよ。僕も伊織さんが好きだ」

 そうして伊織と理生はどちらからともなく抱きしめあった。

 優しく暖かく、お互いの胸の鼓動が伝わる。

 二人はしばらく抱きしめあった後、再び駅に向かった。

「理生くんはいつから気がついてたの?私の気持ち」

「出会って少し経ってからだよ」

 どうやらずっと伊織の気持ちは筒抜けだったようだ。伊織は恥ずかしさで赤面する。

「伊織さんの気持ちに気がついたあたりから、僕も伊織さんのことが好きだって自覚するようになったの」

 理生は伊織の手をとる。

「僕の方からも結構アプローチしたんだけど、気がついてもらえなかったみたいだね」

「そうなの?」

「伊織さんも鈍いところがあるね。他の人たちとは名字で呼び合うのに、伊織さんとだけ、名前で呼び合うのは特別だと思ってるからだよ」

 繋いだ伊織の手を、理生は上着のポケットに入れた。必然的に体の距離が近づく。

「そ、それは理生くんが名前で呼んで欲しいって」

「伊織さんも同じように名前で呼んでって言ってたでしょ。僕はそのときに確信したんだ。お互い好意を抱いているんだなって」

 駅前の喧騒を感じる。

 もう駅に着いてしまう。

 それでももう少しこのまま手を繋いでいたい。もっと彼の手の温もりを感じたい。伊織はそう思った。

 お互いの気持ちを伝え合い、想いを確かめ合い、結ばれた二人を月明かりが照らしていた。

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