第3話

 一ノ瀬君のことを四六時中考えるようになって流石に私は彼が好きなのだと悟った。


 手帳の後ろの方に「一ノ瀬晴哉。野球部。持ち場はショート。背は175センチぐらい」と小さくメモした。


 予定のところをパラパラと開く。文化祭が終わってからはなかなか埋まらない。

 うーん、と考えて私はあることを思いついた。勝手に予定を作ってしまおうと。


 私は上機嫌で予定欄にこれから起こって欲しいことを書いた。

 そしてその内容はほとんどが一ノ瀬君のことになった。

 どうせ誰か見るわけではないのだから構わない。


 本当の予定ではない予定を見て、私は想像を膨らませて微笑んだ。


****


「あれ?」


 私は家に帰り、手帳を取り出そうとして首を傾げた。いつもある手帳がないのだ。


「おかしいな」


 今日の行動を振り返って、もしかして教科書と一緒に机に入れて忘れてきてしまったのかもしれないと不安になった。あの手帳には私の願望ばかりが書いてあるのだ。誰かに見られでもしたら。


 私は急いで制服にもう一度着替えて自転車に乗った。


 自分の呼吸がうるさいほど全力で自転車を漕ぐ。


 大丈夫。落としたわけじゃないはず。誰も人の手帳なんか見ない。


 自分に心で言い聞かせる。


「はあ、はあ」


 駐輪場に自転車を入れるのももどかしい。

 走って一階の教室に急いだ。


 教室のドアが開いているのが見えた。

 教室には数人の男子がいるようだった。


 私はなんとなく入るのが躊躇われて足を止めた。

 注意深く男子たちの様子を伺う。

 そして。


「あっ」


 思わず声を上げて私は口を押さえた。

 一人の男子が私の机からはみ出していた手帳を取り出そうとしていた。


 どうしよう! このままでは見られてしまう!


 私は足を踏み出そうとするが一歩がでない。


 ああ、なんで?! なんで動かないの?!


「香川の手帳か」

「いつも大切そうに持ち歩いてるよな」


 手帳を手にした男子が手帳をパラパラとめくり出した。


 ああ! やめて! 見ないで!


「おい、人の手帳を勝手に見るのなんてやめろよ。趣味が悪いぞ」


 え?


 この男子の声を忘れるはずがない。一ノ瀬君の声だ。一ノ瀬君もいるの?!


「何いい人ぶってんだよ? お前だって興味はあるだろ?」

「やめろって」

「お、一ノ瀬の名前があるぞ。

え? 来週の土曜、映画に行くって。お前、香川と付き合ってたのか?」

「……」


 一ノ瀬君が黙った。


 ……ああ。終わった。


 私は。


「一ノ瀬君は関係ない。手帳を返して」


 瞼に溜まった大粒の涙が頬を伝うのが分かる。

 私はそのまま教室に入って手を出した。


「香川……」


 一ノ瀬君の視線を感じる。他の男子は私が泣いているのに戸惑った顔をした。


「あ、いや、これは。

落ちてたんだよ。見るつもりはなかったんだ」


 一人の男子が言い訳をしながら頭をかいた。


「返して」


 私は手帳を男子の手から奪い取るようにして取ると駆け出した。


 書くんじゃなかった。あんなこと書くんじゃなかった!


 私は自分の愚かさに後悔しながら自転車を漕いだ。泣きながら漕いで漕いで。家に着くとすぐに自室にこもった。


 手帳を破こうとして、手に力を入れる。でも、破けなかった。大事に大事にしていた手帳。手帳が悪いのではなくて私が悪いのだ。


 私は手帳を机の上に置いてベッドで泣いた。

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