不死鳥なんていない (夢と幻想 連作Ⅰ)

春嵐

01

 車のなかで、少し眠った。


 あの日の、不死鳥。また、夢に見ている。


 起きた。


 不死鳥の夢。


 少しだけ覚えていて、そして、消えていく。それを掴もうとして、手のなかから、こぼれ落ちて。


 その手で、車を降りた。入り口に向かって歩く。今日こそは。撮る。


 小さな小屋。そのなかに、大柄な女性がひとり。この森林区域の、管理者。


嵩奏かさがなさん。今日も写真ですか?」


 名前を、呼ばれる。


「ええ。いつものように」


 森林区域の、入り口。


 政府の保護管理区域で、入るには、必ずこの入り口でなければならない。ガラパゴス生態系を、守るための施策。


 いつも通り。菌などの検査をして、誓約書を書いて。はじめて森林のなかに足を踏み入れることが許される。


「添員はいらないので」


 窓口。管理区域の総責任者。はじめて森林区域に足を踏み入れたときに付き添いをしたが、そのときに付いていけないと判断したらしい。以降は、添員なし。自分ひとりで森林区域のなかに入っている。

 おそらく規定違反だろうが、隣で足手まといになる人間がいないのはありがたかった。


「それがですね」


 小屋の奥から。女性がひとり。出てくる。大きめの責任者と違って、小柄。


「この子が。あ、新任の森林管理者なんですけど。挨拶を」


 責任者の大きな胸に押し出されて。小柄な女性が前に出てくる。


「わたしが、別部署に異動になるので。後任が彼女なんですが」


 大柄な女性管理者。そういえば、官僚だったと聞いただろうか。たしか、国土管理と強靭化計画の一端としてガラパゴス生態系を調査していたとも言っていたような気がする。


「はじめまして。かんどりといいます。そのまま、かんどり、とお呼びください」


 小柄な女性。お辞儀。


「かんどり、か」


 神の鳥。


「この子がですね。どうしてもついていきたいと。言って聞かなくて」


「おねがいします。かさがなさんの写真、いつも見てて。間近で撮る姿を見たくて」


 責任者。困ったような顔。


「俺はかまわないが」


「やった」


 かんどり。拳を握りしめてよろこんでいる。


「ひとつ条件がある」


「はい。なんなりと」


「付いてこれないと判断したら、ひとりでここまで帰ること」


 責任者のほうを見る。


 頷く仕草。それで、だいたい通じる。


「おねがいします」


 森林区域内に、入る。


 カメラと位置情報用のビーコンを兼ねた、携帯端末だけをポケットにいれて。他の荷物は、一切持たない。


 後ろを、かんどりが、ひょこひょこと付いてくる。同じく、手ぶら。


 この森林区域の特徴は、無毒化された生態系だった。食物連鎖のなかに、毒や牙といった独特の派生がまったくない。なので、消毒や血清の類いは持たなくていいし打たなくてもいい。


 ただ。


 森林区域内の全体が、天険の地域になっている。


 高低差と岩場と、瀑布。

 その上にそのまま森林が覆い被さったような地形をしていた。


 普通に歩くことは、まずできない。山を登ったり滝を昇るのに必要な知識と、森を歩く知識の両方が必要だった。岩場は特別な装備を必要としないが、そのかわり細かい丘陵になっていて体力消費が激しい。


「さて」


 足を踏み入れてすぐ。


 走り出す。


「あっ」


 かんどり。入り口に取り残されている。


 足手まといは、必要なかった。


 いまから自分は、不死鳥を探しに行く。


 カメラになる小型携帯端末しか持っていないので、両手はそのまま使えた。


 木を登り。


 岩場を越えて。


 瀑布から繋がる、小川まで。


「ふう」


 ここで、すこし一息。


 いつもの、流れだった。


 責任者。かんどりを、大事にしているらしい。なんとなくの雰囲気で、わかった。


「そりゃあ、大事な後任だからな」


 かんどりに何かあれば、責任者は本省に帰れなくなる。だから、適当に振りきって置き去りにしてほしい。そういう類いの、頷きだった。


 小川の水を、掬って飲む。


 無毒化された生態系。そして、この小川の水さえも。


 一切の毒や悪性の菌がなかった。完全な、軟水。科学組成に特殊な何かが組み込まれているらしいという話だが、詳しくは知らない。


 ようするに、この森林区域の水や植物、動物は、すべて、食えるし飲める。不思議な場所だった。命を奪おうとするものが、ない。


 不死鳥は。おそらく、ここにいる。


 夢で見た、思い出せない、不死鳥が。


「すごい。脚がお速いんですね」


 声。


 後ろを振り返る。


「さすが、カメラマンさんです」


 かんどり。


「ついてきたのか」


「はい。一緒に行きたいので」


 肩を掴んで。


 頭の上から、かかとまで。念入りにさわって調べる。


「えっ。えっえっ」


「すごいな」


 小柄な身体。一切、傷がついていなかった。


「ここまで、まったく傷をつけずに、この速さで」


「かさがなさんも、むきず、ですよね?」


 自分は、何度もこの森林区域に来ている。責任者も知らない深いところまで、降りているはずだった。だから、これぐらいは普通。


 しかし、この後任は。すごいのかもしれない。


「よし。認めてやる。ついてこい」


「はい」


「ただし」


 小柄な身体の前に、威圧するように立つ。


「俺が端末を構えたら、なるべく俺の視界に入るな。被写体はおまえじゃない」


「はい。カメラを構えたら後ろに退がります」


「危険を感じたらすぐに入り口に戻れ。おまえがいなくなると、管理者が困る」


「はい。危険を感じたら帰ります」


「よし」


 命令を復唱するのは、よい斥候の証。


「俺が探すのは、不死鳥だ」


「ふし、ちょう?」


「まあいい。歩きながら話してやる。この周りで、なにか撮れそうなものはあるか?」


「たけのこがあります。瀑布のそばに」


「よし。行こう。先導してくれ」


 ゆっくりと、歩き始める。無理をしたりはしない。


「俺が撮りたいのは、不死鳥だけだ。それ以外は、不死鳥が撮れなかったときの代わりみたいなもんだ」


「森林区域内なら、なんでも撮るんだと、思ってました」


「まあ、代わりなら、なんでも撮る。別に森林区域でなくてもいいからな」


「不死鳥、というのについて、訊いてもいいですか?」


「かまわん」


「やっぱり、孔雀とか、鳳凰とか、そういう」


「違う」


 小さくて、普通の色の、小鳥。


 それ以上は、思い出せなかった。普通の色というのも、何色なのか分からない。小さいというのも、どれぐらいなのか。覚えていなかった。


「覚えてないんだ。だから、探している」


「覚えてないのに?」


「そうだ。だから、いっこうに見つからん」


「あ、ここです。たけのこ」


 瀑布の側。


 たしかに、竹が生えている。


「ここに竹林は無かったはずだが」


「最近できたんです」


「最近ね」


 何か、生態系に変化があったのかもしれない。


 とりあえず、端末を取り出して竹に向ける。かんどりが、素早く後ろに退がった。よい反応。


「別に、撮っている間、黙る必要はないぞ」


 カメラのシャッター音。


「なんか、不思議です」


 続けて、シャッター音。


「なにが」


 連写機能でも撮る。


「普通に、街で記念写真撮ってるみたい」


「携帯端末だからな」


 ある程度、撮って。


「よし。撮れ高はこんなもんだろう」


 携帯端末を、しまって。瀑布の水を、たしかめる。


「なにを?」


「ここに竹林ができた。危険がないか、調べなければならない」


 水の色。澄んでいる。水底の魚も、よく見える。


 掬って。飲む。


 うまい。


「ん」


 隣で、かんどりも、掬って飲んでいる。


「なにか、気付いたことは?」


 訊いてみる。


「おいしいです。普通に」


 かんどり。首をかしげている。何も変化は見つけられなかったらしい。


「うまい。うまいが」


 土の味がする。


 近くの土を、口に含んでみる。


「え、土も」


「違うな」


 この土の味が混じっているわけではない。


 もういちど。水で口をすすぐ。


 やはり、土の硬い味がする。


 瀑布の、音。


「かんどり。この瀑布の音は、いつも通りか?」


 気になることがあった。


「あ、言われれば、少しだけ、滝の音が大きい、ような」


 瀑布の音。少しずつ、大きくなっているように、聴こえる。


「困ったな」


 いまから逃げて。


 間に合うだろうか。


「かんどり。おまえは小柄で脚も速い。すぐにここから高台に。そうだな。入り口近くの岩場まで退避しろ」


「え、なんでですか?」


「川の水が来る」


 言い終わらないうちに。


 水が足元に来た。


 急いで、近場の木に登る。


 そのまま、上に上に。岩場のほうに。


 どんどん水量が多くなっていく。そのなかで、何か、光った。


「俺を気にするな。はやく行け」


 声をかけると、かんどりは頷いて、上に昇っていった。


 かんどりが、視界から消えるのを確認して。


 振り返った。


 水の流れのなかに。


 何か、いる。


 いや。


 ある。


 不死鳥かもしれない。


 どんどん速くなっていく流れが、近くの木々を押し流し始める。


「竹か」


 しなっているから、この流れを生き延びれるわけだ。


 ここの生態系に、常識は通用しない。


 光る何か。


 端末を取り出して。


 撮る。


「違うか」


 撮った写真を拡大する。どうやら生物ではなく、鉱物の類いらしい。


「だめか」


 ここで。


 終わりか。


 不死鳥。見つからないまま、終わる。


 水に、呑み込まれた。


 夢。


 姿。


 そう。


 おまえが知りたかった。


 おまえがいるということを。証明したかった。


 なのに。


 俺は。


 何もできず、水に呑み込まれて。


 ばかだな。


 なにひとつ。遺せなかった。


 おまえがいたことを。その事実を。


 手を。伸ばした。


「あ、起きました?」


 伸ばした手。


 握られる感触。


「ここは」


 目が、見えない。暗いのか。


「ここは、岩場の下の方です」


「上に上がらないと。水が」


「大丈夫です。地形のせいか、ここまで水は入ってこないんです」


 暗さに、なかなか眼が慣れなかった。


「あ、目が見えないんですか。ちょっと待っててください」


 暖かい感触が、消える。それではじめて、さっきまで膝枕されていたのだと、知った。


「目を閉じてください。光の刺激が強いので」


「最初から閉じている」


 暗さに目を慣れさせるには、目を閉じるのがいちばんだった。


「わたしが良いというまで、開けないでください」


 目を。閉じていても。わかった。周りが、明るさに包まれている。


「もういいかな。どうぞ。ゆっくり。ゆっくり、目を開けてください」


 言われた通り。ゆっくり、目を開けた。


「これは」


 鉱物。いや、結晶か。何かを反射して、光り輝いている。


「わたしのライターの光です」


 ライターを持っている、かんどり。


 不思議な、色合い。


「この結晶は不思議な性質で。なんていうんでしたっけ、光を貯めるやつ」


「蓄光材か?」


「そう。それです。それと同じ性質を持っているんです。だからライターを消しても」


 かんどり。火を消す。


「しばらく明るいままです」


 結晶の灯り。光ったまま。淡くなる。


「新素材らしいですよ。なんか、組成構造がどうとか色々」


 かんどり。


 近付いて。


 こちらにぴったりと、くっつく。


「おい」


「体温を奪われてますから。あたためないと?」


「鳥じゃねえんだ。身体じゃなくてライターを」


 それで。


 気づいた。


 この光の色。


 そして。


 隣にいる。小さな。


「鳥じゃ、ないのか」


 不死鳥。


「不死鳥って、なんですか」


「いや、そんなはずは。まさか」


「不死鳥なんていませんよ。あなたが夢で見たのは、不死鳥なんかじゃ、ないです」


「なぜだ」


「なぜって。わたしもわかりません」


 ぴったりと、くっついた身体。あたたかい。


「鳥は、まあ、とりですけど。苗字かんどりだし」


「おまえは。最初から」


「わかってました。というか、写真を見て、たぶんわたしを探しているって。すぐにわかりました」


「それで、ここへ来たのか」


「はい。いろいろ検索して。それで、ここにいるって」


 不死鳥なんて、いないのか。


「なんですか。不死鳥って」


「いや。夢のことだから。綺麗な光と、小柄な身体。それぐらいしか、覚えてなくて」


「それで、検索したら、近いのが不死鳥だったと」


「そうだ」


「わたしが不死鳥か」


 ぴったりと、くっついたまま。


 服が脱がされる。


「おい」


「あ。気にしないでください。わたしは夢のことを覚えています。だから大丈夫。それに」


 彼女も。服を脱ぎはじめた。


「おまえは濡れてないだろ」


「でも、あなたの身体が寒そうです」


 お互いに、何も着ずに。


 くっつく。


「あったかいですか?」


「ライターでいいだろうが」


「だめです。ライターじゃだめ」


 結晶の光。まだ、淡く輝いている。


「あなたの見たかった、景色です」


 彼女。自分の服から。端末を取り出して、渡してくる。


「撮ってください。わたしを」


 自分の胸に、くっついている彼女に。カメラを、向けた。


「あ、首から上とか、背中とか、そういうのにしてください。雑誌に載せるのならそういうのは」


「あ」


 撮ってしまった。


「見せて?」


 言われた通り、見せる。


「だめです。削除」


「あっ」

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