異能忠敬のスキル地図

にぽっくめいきんぐ

イセカイというのが良く分からないのですが


「イセカイに行きたい、とは、どういうことですか?」

 私は、彼が何を言い出したのか全く分からなかった。


「はい、社長。イセカイを開拓させて欲しいのです」

 山田くんは、私の執務室で直立して言った。


「山田くん、ちょっと貴方の話に、私の理解が追い付いていないようだから、もう少し詳しく説明してもらえますか?」


 山田くんは小脇のノートPCを素早く開いた後に「はい」と言った。

 おそらく、事前にプレゼンの内容を煮詰めていたのだろう。

 見知った統計データが、PCの画面上に円グラフ、棒グラフ等で表示されている。


「人口も経済もシュリンク縮小し、コロナ禍で新規顧客との接点も望めない現状です。活路は、イセカイにしかありません」

 そう語る山田くんは3年前、システム職の中途採用で雇用した。


 大人しいタイプだと思っていたのだが、いつに無い彼の目の輝きに、私は少し驚いいていた。


「米国や中国のことですか? それとも、インド?」

 

 わが社は当時、『国際化』をスローガンにして進んでいた。


 人口と経済の縮小は、以前から問題視されている要素だった。

 国外へと活路を見出す企業が増えるだろうから、それをサポートするのが私たちの商機。要はツルハシを提供するのが弊社の役目だ……と考えていたからだ。


「社長、違います。米中印はレッドオーシャン。つまり競争の激しい戦場ですから」

 システム開発職の山田くんが、『レッドオーシャン』という言葉遣いをした事に、私には少し違和感があった。しかし、それをスルーして私は「うん」とうなずき、話の続きを促した。


「そこで、まだ人の手が付いていない新天地ブルーオーシャン、イセカイを開拓すれば、先行者利益を手に入れられます。社員をイセカイテンイさせてユニークスキルを収集した後に……」


 さすがに私は、彼の言を制止せざるを得なかった。


「少し待ってください。その、というのは、一体何なのですか? ユニークスキルとは? もう少しかみ砕いてくれると助かるのだけれど」


 山田くんの顔が一瞬だけ歪んた。

(社長、なんでこの説明で分かんないんだよ?)と、彼の表情が雄弁に語っていた。


「イセカイは……こことは違う世界です」


「日本とは違う世界、ということですか。米国とか、中国ではないのですか?」


「ですから! まったく違います。世界が違います」


「うーん……」

 私は考え込んだ。彼が言っていることが依然としてよく分からない。ユニークスキル……とは、一風変わった職能のことだろうか? スーパーエースの八畳君のように、エクセルのマクロで何でも自動化できてしまうような、稀有けうな職能?


 山田くんは、私の方を見つめ、押し黙っていた。

 会話の主導権を私へと引き渡し、私の次の言葉を待っているのが明らかだった。


 こういう時に、社員の提案を無碍むげに否定してはいけない、という事は、経験上分かっていた。ソレをしてしまったが為に、わが社と折り合いがつかずに他社に持って行かれた優秀な社員を、私は何人も知っていたからだ。


 少なくとも山田くんは当事者意識オーナーシップを持って発言している。

 日本マドルドの創設者である藤井氏の格言でも、当事者意識の重要さは強調されていた。


 しかし、わが社のポジションは『ナンバーワン戦略』。

 真面目にどこよりも伸ばした実力をもってサービスを提供し、お客様にお喜びいただく。よく分からない、わが社が持っていない種を、無理に伸ばす必要はないのだ。


 それが理性的な判断だろう。

 私が居るのは、感情を優先させられる立場でも状況でもない。


「山田くん。私が貴方に与えた業務は『システムの開発』です」


「……そうですか」

 表情の無い能面。

 目の前で直立する彼の、体の中にある灼熱の溶岩が、一瞬で冷えたのが分かった。



 正論で人は動かない。

 その事を私は再認識させられた。



 そしてこの時、当事者意識に欠けていたのは、むしろ私の方だった。

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