天つ山の岩戸
大天狗はゆっくり口を開いた。
「異形なる者あらわる時、岩戸は開かれよう」
あの言い伝えだ。
大天狗は言葉を続けた。
「岩戸を閉じたのは、異形なる者だ」
ちらりと小夜子に目をやって「それがおぬしだと言っているのではない」と断った。
「過去の多くの異形なる者どもだ。ふたつの世界をつなぐ出入り口を次々にふさぎ、もっとも大きな出入り口をあの岩戸で閉じてしまったのだ」
大天狗は長い鼻で近くの岩を差した。直径五メートルはあろうかという大きな岩だ。岩には太い注連縄がかかっている。
「あれが岩戸……」
「こればかりはわれら天狗の通力もきかぬ。異形なる者によって結界が張られているのだ。小鬼よ、われらとて試さなかったわけではないのだ。異形なる者の力は、われらの力を超えている」
神楽は頭を垂れ、先ほどの失礼をわびた。
「まあよい。やっと異形なる者が現れたのだからな」
大天狗に見つめられて、小夜子は体をこわばらせた。大天狗におびえているのではない。天狗の通力でもかなわないことを任される務めの重大さに、押しつぶされそうになっているのだ。
「……無理よ」
小夜子は涙を浮かべて言った。
「小夜子どの……」
「どうすればいいか、さっぱりわからないもん。岩戸を閉じた人はきっと大勢いたんだわ。でなきゃ、こんな大きな岩を動かせるわけない」
「そんなことをおっしゃらずに。なにか方法があるはずです」
神楽は必死に小夜子を励ます。けれども、神楽も心の中では、無理だろうと思い始めているのが力ない声で伝わってくる。どんな方法であろうと、たったひとりの女の子に、そんな力があるはずがない。しかし、巫も小夜子こそ異形なる者だと認められたのだ。だからこそ天つ山への旅を命じた。それを信じるしかない。――そんな神楽の心の声が聞こえるようだ。
「ごめんね、神楽。多々良村を救えなくて」
「諦めてはなりません。具楽須古の種はどうするんですか? 小夜子どのは、ご自分の世界に帰りたくないのですか?」
「帰りたいに決まってるじゃない!」
小夜子は声を荒げた。
「でも無理なの! できないの!」
小夜子は泣き叫んでいた。神楽はもうどうしていいのかわからないというように、おろおろしている。
大天狗が小夜子の肩を抱いた。
「……言霊の力を知っているか?」
どこかで聞いた言葉だ、と小夜子は思った。どこでだっただろう……。
「無理とかできないとか口にしてはならん。本当にそうなってしまう。諦めずに方法を見つけるのだ」
大天狗は言った。
やはり、同じような話を聞いたことがある。いつ? どこで? だれから?
神楽が近づいてきて、小夜子の手をとった。
「小夜子どの。あなたは初め、この世界の存在すら認めようとしませんでした。それが天つ山の岩戸まで来てくださったのです。まだ諦めるのは早すぎます」
そうだ。そうだった。ずっと夢の中のできごとだと思っていた。ちがう。夢だと信じようとしていたんだ。けれど、巫が言った。ものごとには初めがある。それより前だというだけで、ありえないことにしてしまうのか、と。
「小夜子どの?」
神楽が心配してのぞきこむ。小夜子はそれを手で制した。
「待って。なにか思い出せそう……」
そう、そこで言霊のことを聞いたんだ。言葉の内容に応じて、現実も動く。だから、この世界を否定すると、小夜子自身の世界から切り離されていく、と。
「あ」
小夜子は目を見開き、頭を抱えた。
もう少しだ。もう少しでなにかがわかりそう……。
神楽は小夜子に言われた通り、待っていた。目を閉じ、手を合わせて。
大天狗はそんなふたりと岩を見比べた。通力も持たない女の子に岩戸を開くことができるのか、大天狗でさえ信じ難いのだろう。
小夜子は巫の言葉を必死に思い出そうとした。そこにヒントがある気がするのだ。
昔はふたつの世界を自由に行き来できた。けれど、信じなくなった人が出てきた。この世界に来たばかりのころの小夜子みたいに。その信じなくなった人たちによる否定の言葉のせいで、道がふさがれて――。
「……それだ!」
唐突に小夜子が大声を出したので、その声に弾かれるように神楽はしりもちをついてしまった。
「さ、小夜子どの! なにかわかったのですか?」
「できる」
「まことですか!」
神楽は勢いよく立ち上がった。大天狗は「ほう」と言って、頼もしそうに小夜子を見下ろした。
小夜子は岩戸に両手をついた。
「言霊よ。この世界の存在を信じなくなって、それを言葉にしたことで、ふたつの世界は閉ざされたのよ。だから、その反対のことをすればいいんだわ。来たばかりのころのわたしにはできなかったけど、今なら、きっとできる」
そう言いきった小夜子の瞳は、光を発しているように見えたことだろう。神楽が思わずといった様子で見とれている。そしてハッと気づいて、それをごまかすように、
「なにか、手伝えることはありますか?」
と言った。
「そうねぇ」
小夜子は口元に手をあてて、少し考えて言った。
「神楽も一緒にやろう」
「わ、わたしもですか?」
「岩戸が開くところを想像するの。心から信じて」
神楽はうつむいた。
「……できません」
大天狗が目を閉じ、静かに首を振る。
「異形なる者よ。おぬしの方法は正しいのだろう。なるほど、それならば、われら天狗でさえ成せなかったことも説明がつく。そのことの意味が、おぬしにわかるか? なぜおぬしを待っていたのだと思う? なぜ異形なる者が、岩戸を開けるのだと思う?」
そう言われれば……。なぜだろう? この世界のだれかがやればいいことだ。なにも異世界の人を待つことはない。しかも、空想や想像する力が必要だという小夜子の考えが正しければ、小夜子のような現実的すぎる子供なんて、役に立たないはずだ。神楽でも芙蓉でも碧落でもよかったはず。大天狗でも。
しかし、彼らは異形なる者が現れるのをひたすら待ち続けた。なぜ? 小夜子は大天狗を見上げた。長い鼻の上にある大きな目が、まっすぐ小夜子を見つめている。
「わからぬか? 餓鬼どもが求めていたものだ。異形なる者しか持たぬものだ」
「餓鬼が? 具楽須古の種のこと? そんなの持ってないわ。岩戸を開くのは、具楽須古の種を手に入れるためでもあるんだから」
「……まったくわかっておらぬのだな。小鬼よ、この娘ではやはり無理かもしれぬぞ」
大天狗は残念そうに言った。しかし、神楽は「いいえ」と言いきった。
「わたしは信じております。小夜子どのこそ、わたしたちの待ち望んだ異形なる者であると。今までにも幾人かの異形なる者が、この地に来られました。しかし、だれひとり、ここまでたどりついておりません。小夜子どのはご自分で気づかれていないだけで、強い力を持つ方だと、わたしは信じております」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます