天狗風

 再び歩き出すと、どこかでカーン、カーンと木を切る音がこだましていた。


「だれかいるのかしら?」

「そのようですね。岩戸の場所をたずねてみましょう」


 音のする方へ行ってみるが、人の姿はなかなか見つからない。音がこだまして、方角をまちがえているのかもしれない。

 木を切る音がやみ、バリバリバリと大木が裂けていく音が聞こえた。しかし、木が倒れていくのも見えなければ、地面に落ちるドスーンという音も聞こえない。

 さすがにふたりとも、もうこういうできごとには驚かなくなっていた。そして、そんなことが起きた後には、なにかがあるということもわかっていた。ただ、それがなんなのか……。


 森がざわめき始めた。木々の葉を揺らしていた風は、渦を巻きながら降りてくる。神楽の水干狩衣がバサバサと風にはためく。


「今度はいったいなにが起こるのでしょう?」


 ゴーッとうなる風の音にかき消されまいと、声を張り上げる。


「わたしにわかるわけないでしょ!」


 小夜子は木の幹に抱きつき、吹き飛ばされそうになるのを必死にこらえている。その横で叫び声が上がる。


「うわぁ!」


 神楽の足が浮いた。


「神楽っ!」


 小夜子は手を伸ばして、神楽をつかまえようとした。神楽はどんどん舞い上がっていく。片手で木につかまりながらでは、指先が触れるだけで、つかむことができない。小夜子はさらに体を木から離した。もう木につかまっているというより、手をついているだけだ。


「つかまえた!」


 神楽の足首をつかんだ瞬間、一層風が吹き荒れた。


「あっ!」


 小夜子の手が木から離れた。神楽とともに竜巻に巻きこまれていく。ぐるぐるとものすごい速さで回され、神楽の足をつかんでいた手も離れた。目が回り、頭がくらくらしてくる。穴や谷に落ちてばかりのこの旅で、初めて昇らされていると、小夜子はぼんやりしてくる頭で思った。


 風が弱まり、小夜子と神楽は着地した。森はずっと下の方にあり、このあたりの木々は一、二メートルしかない低木ばかりだ。

 あとは、大きな岩がひとつ。岩には注連縄が張られ、その上にふたりの烏天狗が立っていた。


「あの……ここは?」


 小夜子は烏天狗に声をかけてみる。だが、彼らは口……いや、くちばしを開こうともしない。


「わたしたちは岩戸へ行くところなのです。どこにあるか、ご存知ですか?」


 神楽の問いかけにも烏天狗は答えない。小夜子は神楽の耳元でささやいた。


「……ねえ、神楽。これってどういうこと?」

「わかりません。わたしたちは天狗さらいにあったのでしょうか?」


 神楽も小声で答える。


 烏天狗がジロリと見た。ふたりは震え上がり、背筋をピンと伸ばした。気をつけの姿勢のまま固まる。烏天狗はそんなふたりを見ているだけで、なにも言わない。山伏姿に黒い大きな羽。高下駄に羽のうちわ。目は充血しているのか真っ赤だ。


「ハッ!」


 かけ声とともに、ふたりの烏天狗がそろってうちわを持つ手を上げた。小夜子は思わずあとずさり、神楽はとっさに頭を抱えてしゃがみこんだ。うちわが振り下ろされると、また竜巻が起こった。


「うわあっ!」


 ゴウッとうなる風の中、小夜子と神楽は同時に悲鳴を上げた。今度はあっという間に風に巻き上げられてしまった。

 竜巻の中をぐるぐる回され、乗り物酔いと同じ症状が出始めたが、それ以外は痛みもなにもない。だが、足が地についていないのは落ち着かない。せっかくの空の旅も気持ちいいとか楽しいとか感じる余裕は全くない。

 しかもどこへ行くのかもわからないのだ。せっかくここまで来たのに、とんでもないところへ飛ばされてしまったら……。


 それにしても、あの烏天狗たちはなんのためにこんなことをしたのだろう? 天つ山に立ち入った者を追い払うため? それとも……。


 だんだん風が弱まり、小夜子と神楽はそっと地上に降ろされた。めまいが落ち着くのを待って立ち上がると、おそるおそるあたりを見回した。

 草木はなく、ゴツゴツした岩ばかりだ。鳥の声も葉の揺れる音もしない。けれども、たしかにここは天つ山だ。


 ふもとの森を見下ろせる。遠く岩根峡と空音の峠が見える。もっと先には星の林や笹の庵、多々良村があるはずだ。けれどもここからでは、全てが一続きの荒野にしかみえない。明らかにさっきより高いところにいる。

 もしかしたら、烏天狗は案内してくれたのだろうか。


「異形なる者に会うのは、ひさかたぶりだ」


 頭のすぐ上で、太く低い声がした。小夜子と神楽は同時に振り返った。身長が二メートル以上もある天狗が、ふたりの真後ろに立っていた。驚きのあまり動くことも叫ぶこともできないふたりを見て、天狗は大きく口を開けて笑った。ワッハッハッと豪快な声が響いた。空音の峠や天つ山のふもとの森で聞こえた笑い声と同じだった。


「あの時の……」


 小夜子はようやく声を出した。天狗は小夜子の言いたいことを察してうなずいた。


 この天狗は、今まで会った天狗とはちがった。くちばしがない代わりに、長い鼻がある。小天狗である烏天狗たちの上に立つ大天狗だ。


「せめて天つ山のふもとまでは、手を出すまいと思っていた。通力を使えば、おぬしらを呼び寄せるくらいたやすいが、自力でたどりつくことに意味がある。ここまで来ることもできない者に、岩戸を開けるはずはないからな」


 小夜子は顔を輝かせた。


「岩戸! そうよ、そのために来たんだから! どこにあるの?」

「そう焦るでない。ところで、そっちの小鬼はなにをむくれているのだ?」


 小夜子は隣の神楽を見た。こぶしを握り、口を一文字に結び、大天狗をにらみつけている。


「ど、どうしたのよ、神楽?」


 神楽の怒った顔を見て、小夜子は戸惑った。小夜子の自己中心的な考え方に対しては、怒りよりもいらだちをあらわにしていた。自分のことしか考えられないくらい心に余裕をなくしている小夜子にもどかしさを感じていた。だからこそ、小夜子に強い態度で接するしかなかったのだ。それは小夜子にも伝わっていた。だから神楽の話を聞いて、再び岩戸を目指そうと思えたのだった。しかし、今は心底うらめしく思っているようで、神楽に似合わない険しい表情をしている。


「なんだ? 言ってみろ」


 大天狗が言った。


「では、失礼を承知で申し上げます」


 言葉はていねいだが、口調には明らかに怒りが表れている。


「天狗さまは通力をお使いになられる」

「うむ」

「その通力は、わたしどもをからかうためのものでは、ございますまい」


 小夜子は、神楽が空音の峠での祭ばやしや、森の木を切る音のことを言っているのかと思った。その時は戸惑ったが、いまさら腹を立てることでもあるまい。

 けれども大天狗には、神楽の言いたいことがわかっているのだろう。口をはさまずに先をうながした。その余裕ある態度すら、今の神楽には怒りのエネルギーになりそうではあるが。


「その通力をなぜ多々良村のために使ってくださらないのですか? 涌き水のことは感謝しております。あれがなければ、今の多々良村はないでしょう。しかし、そこまでしてくださるのなら、なぜ……!」


 神楽の言いたいことが小夜子にもわかってきた。天狗は通力を使えるのだ。なんでもできる力をもっているのだ。小夜子と神楽を天つ山のふもとからここまで連れてきたり、多々良村に涌き水を作ることだってできる。


 それなら、なぜ……?


「なぜ岩戸を開いてくださらないのですか?」


 神楽は怒りと悲しみの入り混じった気持ちをぶつけた。今は小夜子も神楽と同じ気持ちだった。

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