星の林
「名前はついてるの?」
「うん。でも教えられない」
タエのはっきり断った態度に、小夜子はかちんときて、あからさまに顔をしかめた。タエはあせって、ちがうちがう、と手を振った。
「狐使いでなければ知ることができないの。管狐は自分の名前を知っている人に仕えるのよ。だから、わたしがこの管狐の名前を教えられるのは、次の継承者だけなの」
なるほど。そういうことなら仕方がないか。理由を聞いて小夜子は怒りを収めた。
「でも、なんでそんなに名前が大切なんだろう?」
「さあ……わたしもそこまではわからないけど」
タエは困ったように肩をすくめた。
「名は魂だからですよ」
神楽が口をはさんだ。
小夜子とタエが先をうながす目で見つめる。
「名はその人そのものです。わたしなどは明かしても困ることはありませんが、重要な立場の方はめったなことで名を明かしたりはしません。お気づきでしたか? 巫も名乗らなかったでしょう?」
「言われてみれば……」
「特別な力を持つ者に知られれば、
それで説明は終わったとばかりに、神楽は風呂敷包みを広げた。
「さあ、食事にしませんか?」
そう言って神楽が取り出したのはごぼうに見えた。しかも調理していないやつだ。小夜子は顔をしかめ、タエは困った顔をした。戸惑ったのは神楽だ。
「……おきらいですか?」
「きらいもなにも……このまま食べろって言うんじゃないでしょうね?」
いぶかしげにのぞきこむ小夜子に向かって、神楽は微笑みかけた。
「まさか。もちろん焼きますよ」
小夜子は驚いた。
「焼くって、ごぼうを? この形のまま? そんな食べ方、聞いたことないわ。ねえ!」
同意を求められて、タエもうなずく。ところが、神楽はけげんそうな顔で小夜子を見た。
「小夜子どの世界では、これをごぼうと呼び、焼いて食したりはしないと? これは芋ですよ。芋をご存知ないのですか?」
小夜子とタエは顔を見合わせた。
「お芋? これが?」
「焼いたものを焼き芋といいます。まあ、召し上がってみてください」
神楽はビー玉のようなものを取り出した。呪文を小さく唱えながら、両手をこすり合わせてころころ転がし、時々手を止めて様子を見た。しだいにビー玉の中にチロチロ小さな火が灯り始めた。さらに転がしていたが、ビー玉が赤く染まるとパッと手を離した。ビー玉は火の玉になって地面に落ち、その場で炎を上げた。
「……すごい」
小夜子とタエの声がそろった。
「この火起こしの
神楽は得意になって、芋という名のごぼうをあぶった。
やがて甘く香ばしい匂いが漂い始めた。
「どうぞ」
神楽がふたりに差し出す。食べてみると、焼き芋の味そのものだった。
「お芋だわ」
すっきりしない表情で小夜子がつぶやいた。
「本当。甘くておいしい」
タエは笑顔である。
はふはふ言いながらほおばるふたりを見て、神楽は満足そうに自分の分に手をつけた。
「お口に合うようで安心しました。多々良村の食料はこれしかございませんから、これがおきらいだったらいかがいたそうかと……」
「それにしても変な形ね」
芋をほおばり変な形に頬をふくらませたまま、小夜子は言った。
「そうですか? わたしはほかのものを見たことがございませんので、わかりかねますが。細長いことを変だとおっしゃるのであれば、きっと水が少ないせいでございましょう。わずかな水だけで育てておりますから」
「でも、きっと岩戸が開けば、もっといろんなおいしいものを育てられるわ」
タエが言った。
「そうでしょうか」
ほかのものを知らない神楽には想像もつかないだろう。
タエは芋のかけらを管狐にかじらせている。
まっさきに食べ終わった小夜子は、ごろりと体を横たえた。満天の星空が広がっている。小夜子の家のあたりはもとより、大ばあちゃんちでもこんなにたくさんの星を見ることはできない。
みんなが食事を終えると、神楽は火を消した。それでも星明りでお互いの顔を見ることができる。
川の字に寝転がり、みんなで星空を眺める。
「星の林」
神楽がぽつりとつぶやいた。
「このあたりの地名です。星が多く集まっている様を林にたとえているそうです。古い名です。まだ林というものがあったころに名付けられたのでしょう」
その神楽の声までも天に昇って星になるのではないだろうか。そう思わせるほどに星屑があふれている。
「すてきね。この先にもこんなところがあるの?」
タエはうっとりと星を眺めている。
「さあ、どうでしょう。わたしもここまでしか来たことがありませんから」
「なによ、それ」
小夜子は飛び起きて、神楽の顔をのぞきこんだ。
「それじゃ案内にならないじゃない」
神楽はのんきに横になったまま目を閉じている。
「心配いりませんよ。天つ山は見えているのですから、あそこに向かっていけばよいのです。それに、行ったことがなくても、どのような道かは伝え聞いております」
「……それって、まさか天狗から水をもらった人の話じゃないわよね?」
おそるおそるたずねる小夜子を見守るように、タエも起き上がった。神楽もゆっくりと体を起こした。
「そうですけど、なにか?」
「そんな昔の話なんて! 道が変わっているかもしれないじゃない。それに、伝言ゲームみたいに、最後の人に伝わるころには、とんでもなくねじ曲がっているに決まってるわ!」
小夜子のたとえ話に神楽は首をひねった。
「伝言ゲームとやらがどのようなものなのかわかりかねますが、道はずっと変わらないものです。小夜子どのの世界では道が変わることがあるのですか?」
「そりゃ変わるでしょ。ねぇ」
タエに同意を求めると、小さくうなずき返した。しかし、神楽はきょとんとしている。
「なぜです?」
「な、なぜって……変わるから変わるのよっ!」
はっきり答えられないもどかしさに、小夜子は声を荒げた。神楽は動じることなく感心している。
「ほう。不思議でございますね」
考えてみれば、この世界の道が変わるはずはないのだ。人が通ることもないということは、道を作り直したり、道沿いの建物が変わって目印がなくなることもないということだ。
けれども話はそこで中断した。
つうっと一筋の尾を引いて、星が東から西へ流れたのだ。
「あっ!」
そろって声を上げた。
次の瞬間、いくつもの星が流れた。次々と。次々と。流星群は天つ山へ向い、吸い込まれるように消えた。ほどなくして天つ山から雷に似た音が響き始めた。
三人は起き上がって天つ山を見つめる。もう流れ星はなく、動かぬ満天の星空が広がっている。
「……天狗さまですよ」
星が流れた先の天つ山を見つめながら神楽は言った。
大ばあちゃんから、流星は天狗の化身だと聞かされたことがある。なにを根拠にそう言ったのかわからないが、あながちうそでもなさそうだ。ここにいると、自然にそう思えることが不思議でもあり、うれしくもあった。
その晩はそれきり星が流れることはなかった。夜は深まり、神楽とタエの寝息が聞こえてきたが、小夜子はなかなか寝付けなかった。星空が明るすぎるせいなのか、地面が硬いからなのか。
小夜子は起き上がり、枕にしていた風呂敷包みを抱えてその場を離れた。管狐が竹筒から顔を覗かせたが、小夜子が鼻の前で人差し指を立てると、おとなしく竹筒に戻っていった。
小夜子は二人を起こさないくらいに離れたところで風呂敷を開いた。大ばあちゃんちから持ってきた紙の束だ。なんとなくこの世界で読むのがふさわしい気がした。星明りの下で、小夜子は読み始めた。
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