わがまま女王と側仕え~竜の女王は、恋を認めるわけにはいかない。~

久浪

出会い、再会





 聞くところによると、出会いはとある森にある泉でだったのだという。

 リリスはへえ、と流したけれど、本当は彼女も覚えていた。


 最初、出会いは偶然だった。

 出掛けた先で、水浴びをしていたところ、一人の人間の男に出会った。

 彼は、太陽の光を浴び、鮮やかな色合いをした森林から出てきた。

 容姿は、人間にしては美しいと形容できる顔かたちをしており、髪は青みがかった黒という色合い、瞳は目の覚めるような真っ青をしていた。

 その目と目が合い、リリスは身動き出来ず、視線を外すことすらも出来なくなった。


 葉が揺れる音だけが流れる時間を経て、我に返って、何と言ったのだったろう。「こんなところで人に会うとは思わなかった。おまえも入るか?」だったか。

 広大な森の中で、人里からは少々離れすぎており、自然だけがあるような場所だったのだ。


 水浴びは断られたが、その後しばらく行動を共にした。移動しながら森に二日、森を出てから八日。

 単なる旅の道連れのようなものだった。何をしに来たのか、どこにいくつもりなのか、どこに行ったことがあるのか。そんな会話をした。

 互いのことを聞いているようで、互いに互いの素性を尋ねなかったし、言い出さなかった。


 リリスとしては、いつもは特に身分を偽る理由もないのだが、そのときはこの場限りの関係にした方がいい気がした。

 下手へたに、深く知り、どこの誰だと知らない方が。

 そんな心地は初めてだったが、素直に本能に従って、最後まで言わなかった。


 そして、別れた。

 胸に、ぽっかりと実態のない孔を感じ、虚しさのようなものを感じたことを覚えている。

 それでも、これで良いのだと、そのときの旅は切り上げて帰ることにした。




 ──二ヶ月後のことだった


「陛下、朝議の時間です」

「んー?」


 眠っているところに、起床を促す声がかけられた。女性の、柔らかな声だ。

 朝議? ああ、そんなものもあったか。

 けれど、眠い。

 眠いときには、引き続きの睡眠より大切なものがあるとは思えないものだ。

 ごろん、と声から逃れるように、反対側に転がった。


「あと三時間後にして……」


 今が朝なら、昼前くらいに起きたい。

 睡眠欲に逆らわず、そう返した。もちろん目も開けず、だ。

 言って、眠りに落ちていこうとした。


 が。


 シャッ、と布が擦れ合った音がした。ベッドを囲む天蓋てんがいか。

 先ほどと同じ女の声が、何か言った。

 うとうとするリリスの意識には特に引っかからない。最終的には、自分を無理に起こそうとする者はいないのだ。

 だが、異変が起こる。

 思った通りしばらくは何も起きなかったのだが、突如、リリスの肩に手をかけ、体をひっくり返した手があったのだ。


「……何だ」


 これには、眠いリリスは少々気分を害する。目を開き、機嫌のままの目付きで見てやろうと思った。

 何の理由があって、眠りを妨げるのだ。自分の納得出来るような理由がなければ、どうしてやろう。


 そんなリリスが薄く開いた視界に──目が奪われるほどの青が見えた。


「陛下」


 男の声だった。

 寝所には必ずと言っていいくらい、女しか立ち入らないのに。

 言い慣れない語句を口にしているような、声音だと思った。その声を、自分はどこかで。

 リリスは強烈な既視感めいたものを感じた。いや、既視感ではない。


「朝議に、遅れます」


 いつか見た顔が、あった。

 上から、こちらを見ている。

 リリスは、その顔を見上げ、しばらく止まったままになる。

 ようやく口を開け、発することが出来たのが「……どこかで、会っただろうか」だった。

 見覚えのある顔すぎた。確かめずにはいられなかった。


 対して、男もしばらく黙り、それから口を開いた。


「以前、十日ほど旅路を共にさせていただきました」


 リリスは、「……へえ」と相づちを打った。


「名を、聞こうか。そして、ここで何をしているのかも」


 その問いに男は身を引き、何をするのかと思えば、ベッドの側の床に膝をついた。


「ヴィルヘルム・スカイラスと申します。本日より、貴女の側に仕えます」


 相づちさえ、すぐに発することは出来なかった。

 側に、仕える。


 名にも当然聞き覚えがあり、しかし、名字は始めて耳にした。名字とは、時に正体を表すものだ。例えば、貴族であれば特に。

 だから、彼は名字を名乗らなかったのだろうか。


「スカイラス……スカイラス卿の子息か」

「はい」


 そうか、とリリスは呟き、ゆっくりと身を起こした。

 銀色の髪が、胸の辺りにまで流れ落ちる。

 ベッドの上の見慣れた光景を目にし、様々な事実を頭の中で整理し、横を向く。


 そこには男──ヴィルヘルムがおり、リリスを見上げている。

 以前の旅路では見ることのなかった位置関係だ。まさか、このような光景を見ることになるとは。


 何はともあれ、この場で会ったのであれば、言うべきことがある。


「わたしは、リリス」


 リリスは、かつてと同じ名乗りで、名乗り返した。

 ただし、前はここで終わりだったが今回は続きがある。


「この国の王だ」


 そして、すべての竜の王であり、人ではない。








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