死告の少女は黄昏に
香澄 翔
第1話
トントン。玄関をノックする音が聞こえた。
ドアベルもあるというのに、なんでノックなんだよと思いつつも
トントン。返事をしなかったからか、もういちどドアを叩く音が響く。
「へいへい、います。いますって」
せっかちな奴だと口の中で呟いて英司は玄関のノブを掴んだ。覗き見もあるものの、面倒くさがりの英司は今まで一度たりとも使った事はない。たまにうるさいセールスや宗教の勧誘だったりする事もあるが、そんな時はだいたいややトーンを沈めた声で「るせぇ」と一言告げるとすごすごと立ち去っていく。
不良という訳ではないのだが、どうも英司は目つきが悪いらしい。背も高く、段のある玄関先からは、本当に見下ろしているような情景になるのも一役買っているのだろう。
ガチャと音を立ててドアを開く。しかしそこにたっていたのは郵便局員でも新聞の集金でも、あるいは怪しいセールスマンでもなかった。
左目をガーゼで覆い斜めに巻いた包帯で止めている一人の少女。肩より長い黒髪が、僅かに波打って包帯を隠していた。
歳の頃は英司より一つか二つ下くらい、つまり十四、五歳というところだろう。夏だというのに黒いショールで身体を包んで、その合間から白い腕を覗かせていた。
しかしそれよりも英司の視線を釘付けにしたのは、片側だけ明らかにされている漆黒の瞳。どこか吸い込まれそうになる闇のような色が、喉まででかけていた英司の言葉を失わせていた。
何の違和感もなくそこにいる少女を受け入れて、声にならない台詞を呟かせていた。
綺麗だと。
しかしその美しさは、どこか忌まわしげな空気を同時にまとっていて、知らぬ間に震えていた身体からは熱が一度は下がったような気がする。
「……あんた、誰だよ」
やっとの事で呟いた言葉に、しかし少女は何も答えない。
微笑みもせず、心を感じさせない表情のままで、少女はさっと右手を英司へと差し出していた。
その瞬間、少女の指先から紅い液体が降りかかり、ゆっくりとその小さな唇を震わせていた。
「一週間後に貴方は死にます」
抑揚の無い声で呟くと、少女はそのまま振り返って歩き出す。
全く何事も無かったかのように、過ぎ去っていく少女に英司は一瞬追いかける事すら忘れていた。見も知らぬ麗しい少女から唐突に不吉な事を言われたのだというのに、いや、だからこそか、英司はいまこの瞬間に起きた事がまるで夢物語のように感じていた。
そして英司が気を取り戻して辺りを見回したときには、少女の姿は影も形も無く、ただ夕暮れの街角だけが目に焼き付いていた。
服に僅かにかけられた紅色の血と解け合っていくかのように。
「と、言う訳なんだよ」
英司は
「君、前から変わっていると思っていたけど、とうとう頭がいかれたかい?」
辛辣としたトゲのある言葉で返すと、じっと英司を睨むように見つめていた。しかしいつもの事に英司はまるで気にも止めない。せいぜいが相変わらず整った顔してやがんな、こいつはと心の中で毒づいた程度だ。
「まぁそう言われても仕方ない内容だけどよ、マジなんだな、これが。いたずらにしては手が込んでるし、何だかよくわかんねーし、とにかく誰かに話して起きたかったワケ。かっわいい子だったし!」
英司の反応に、秀一は大きく溜息をつくと「結局、問題なのはそこな訳?」と呆れた声を漏らし、しかし今度は書きかけのノートも閉じて、再び英司へと顔を向けていた。
「けど家に訪問して血をかけた上に死を予告する少女か。まるでデュラハンだね、その子は」
「なんだ、そのとらさんって。昔やってた映画か?」
「馬鹿か、君は。どこをどう聞き間違えたらそう聞こえるんだ。デュラハン、スコットランドに昔から伝わる伝承の一つだよ。家を訪問してドアを開けたとたん、たらいいっぱいの血を振りかけて死を予告するっていう精霊さ。もっともいい伝わるデュラハンの姿は首なしの馬車に乗った首なしの騎士だそうだけどね」
「ふぅん。なら、そのドラちゃんとは違うじゃねーか。女の子だったし、首もちゃんと有ったぜ」
自身の首を掴んでみせると、うげーと声を漏らしながら舌を出してみせる。お化けを真似てみているつもりなのだろう。
「デュラハン。正確にはデュラハンは女性の霊らしいからそれで違うとは言い切れないけど、まぁなんとなく似てるなと思っただけさ。まさか本当にその子がデュラハンで、言う通りに一週間後に君が死ぬ訳でもないだろ」
秀一は呆れ顔で呟くと、興味なさげにノートへと視線を戻そうとしたその瞬間。英司がぽんと秀一の肩を叩く。
「まぁね。じゃ、とりあえずぱぁーっと遊びにいくか。とりあえず話してすっきりしたし」
「またナンパ? 君の顔じゃ結果なんて知れてるんだから、いいかげんに諦めたら」
「るっせー。今度こそリベンジだっつーの。いくぜっ、百万台」
「意味わかんないよ。やれやれ」
両手を上げて、小さく溜息をつく。いつも通りのにぎやかな放課後が始まった、と秀一は口の中で呟く。
この時の英司は、ただこんな楽しい時間がいつまでも続けばいいのに。そう短く願っていただけで、他に強く想う事なんて何もなかったはずなのに。
やや日が傾いて染まりだして、街中も紅く飾られていく。英司はこの時間が一番好きだった。ぼんやりと影の中に隠れるかのような、誰が誰だかわからなくなる空間。
放課後の街はやがて街灯や店の明かりが照り出して、昼間とは違う彩りをみせだしていく。そんな街角を秀一と二人で歩いていた、その時の事だった。
ふわっと流れる肩よりも長い髪。白いスカートが、今は夕日の色を吸い込んでいる。大きな瞳はどこを見ているのか街角にぽつんと立ち尽くしていた。包帯もガーゼもしていなかったけども、昨日みたあの少女に間違いがない。
「秀一っ、あの子。あの子だよ、昨日みかけたのは」
英司は叫ぶが早いか、次の瞬間にはもうすでに駆け出していた。
そして彼女の目の前で立ち止まると、憮然とした顔で少女をじっと見つめる。しかし慌てるなりなんなり何らかの反応を見せるとばかり思っていた少女は、何が起きているのかもわからないといった様子で、きょとんとした瞳を返してくるだけだった。
「昨日、あったよな」
英司は少しだけ息をきらしながら、少女に向けて微笑みかける。いや、かけたつもりではあった。しかし元々背の高い英司が笑うと端から見たら、いかつい兄ちゃんがいたいけな少女にちょっかいをかけているようにしか見えなかっただろう。
「……え? あの、その。えっと……どちらさまでしょうか」
「なんだ、覚えてないのかよ。昨日、あんな事いっておいてさ。やっぱいたずらだったのか」
英司にしてみれば何気なく話しているだけなのだが、話しかけている方からみれば威圧されているようにも感じられただろう。それだけ英司の体格は普通よりも大きい。
「え、えっと。私、あの」
「ま、いたずらならそれでいいけどさ。知らんぷりっていうのはないんじゃねー」
英司の言い詰める様子に、少女はどこか涙目になって、一言。
「ご、ごめんなさい。でも、あの、私、お金もっていないですから、許してください」
しゅんと小さく縮こまって告げた少女に、英司は面食らったような顔で「ち、ちがうっ」と強く叫んでいた。
「あははは。いいね、君達二人とも。話がすっかり噛み合って無くて」
秀一が笑いながら二人の間に割って入ると、お腹を抑えてもえいちど笑い声を漏らす。
「君、安心しなよ。こいつ、こーみえてもそういうんじゃないから。まぁ、英司の勘違いだとは思うんだけどさ、話だけ聞いてやってくんない?」
「あ、あの。えっと、その」
突然、横から話しかけてきた秀一に困惑したのか、少女はきょときょとと英司と秀一との間を交互に視線を移していた。
「場所はとりあえずそこのファーストフードでいいよね。おごりだから安心していいよ。じゃ、決まりだね」
秀一はにこっと微笑んで、少女の背中を軽く押す。
「は、はい」
なんだか押し切られたかのように少女は返事をすると、少しおどおどとした様子で店の中へと入っていく。
それでも素直に言う通りに店に入ったのは、秀一の整った優しそうに見える顔に少しは安心したおかげかもしれない。
秀一はそれからくるりっと英司に向けて振り返り、渋い顔で呟く。
「君もナンパなら、もう少しうまくやった方がいいね」
「そういうんじゃねぇっ」
しかしその叫びもむなしく、秀一は聞きもせずに店舗の中に入っていた。
英司は悔しそうに拳を握りしめるものの、降ろす先もなくて仕方なく後をついて扉をくぐった。
円形のテーブルについて三人は顔を向かい合わせる。英司と少女の二人だけがどこかぎこちなく固まっていて、
「あの、それで話ってなんでしょうか」
少女はどこか躊躇うような口調で訊ねると、どこかおどおどとした顔で二人へと顔を向ける。
「まぁ、とりあえず名前くらい知らなきゃ話もしづらいよね。僕は秀一。彼が英司。で、君は?」
秀一は慣れた様子で微笑みかける。こいつは相変わらず男と女で対する態度ががらりと違うな、と英司は思うがとりあえず口にはしない。
「えっと、その。そら……そらです」
そらと名乗った少女は、やっぱりどこか怖がっているような雰囲気で、ぼそっと呟くようだった。
確かに見知らぬ男二人に囲まれていれば、多少はそんな気分になるかもしれないが、それにしても小さくなりすぎている気もする。
英司は憮然とした顔で溜息をつく。英司の強面に怯える女の子というのは、珍しい反応でもないからだ。
しかし今はそれよりも気になっていた事があった。本当に彼女が昨日出会った少女と同じ人物なのかと。
「そらちゃんか。可愛い名前だね」
秀一はそんな英司の内心など気が付かなかったように、にこやかな顔を覗かせていた。もしかするとそれは怯えているそらに対しての気遣いだったのかもしれないが、英司はいまそれに気づけるほどの余裕がなかった。
「なぁ、ホントに覚えてないのか? だったら俺の勘違いかもしれねーけど」
英司は僅かに言葉を飲み込んで、そしてそらをじっと見つめる。それからやっぱりこの子で間違いがない、と口の中で呟いていた。
これだけの美少女はそうそういるものでないし、あれだけインパクトの強い出会いをしていれば顔を見忘れようもなかった。従って別人だという事は考えにくい。
気になる事といえば包帯をしていない事ではあったが、あんなものは怪我をしていなくても巻く事くらいは出来る。
「君さ、昨日うちにきただろ。顔に包帯巻いてさ、俺が死ぬって言って」
我ながら変な事言ってるな、とは英司にしても思う。もしも彼女が本当に当人でないとすれば、そらから見れば頭のおかしい人にしか見えなかったかもしれない。
「……記憶にないです」
案の定、そらはどう答えたらいいのか分からないといった様子で、小さな声を漏らすだけだ。
絶対に彼女で間違いないとは思うものの、この大人しい少女があれだけ大胆ないたずらをしてシラを切り通せるようにも見えない。
やはり別人とも思えなかったが、違うと言うのならあるいは本当なのかもしれない。勘違いで問い詰めているのかもしれないと思うとどこか英司の胸の中は強く痛んだ、
「そうか。悪かったな、変な事いって。じゃ、俺いくから」
英司は飲みかけのコーラだけを持って立ち上がり背を向ける。
唐突な英司の行動にそらも秀一も驚いていたようだが、英司は何も告げずに立ち去ろうとしていた。
だが、その瞬間。背中から声が掛けられる。
最初は秀一の声かと思った。声をかけるなら、秀一だろうと。でも、続いたのは確かにそらの声だった。
「あのっ。そのっ。……絶対に、絶対に……頷かないで、ください」
そらの声は、どこか異常なまでに怯えているように聞こえた。
あの後、そらは何も話そうとはしなかった。何を聞いても「お願いですから。聞かないでください。お願いですから……」と何度も何度も呟くばかりで、最後には英司も秀一も何も言えなくなっていた。
そらは確かに泣いていた。初めから英司の姿にややおびえ気味ではあったが、しかしそれとは明らかに違う。もっと激しく強い感情に確かに捉えられていたから。
たとえ同一人物ではないとしても、少なくとも昨日の少女とそらとが何らかの関わりを持っている事だけは間違いない。しかしもし死を告げたのがそらだとすれば、あの態度は全く納得がいくものではなかった。
出会いから一日が過ぎる。もしも予告が本当だとすれば、英司の命はあと六日。
「そんなワケねーだろ。たく」
英司は呟いて不意に近くの鏡を覗き込む。
彼女は、そこにいた。黒いショールをまとい死を告げた少女、よくみると頭だけでなくて左腕にも包帯が巻かれていた。
「一日が過ぎました」
声が聞こえた気がして振り向く。
確かに見えたのに、なのにそこには、誰の姿も無かった。
疲れているのか、俺は。英司の渇いた喉から絞り出すように声を漏らす。しかし言葉にはならなくて、ただ蛙の鳴き声のような音が伝うだけ。
「死ぬのか、俺は」
無言の内に、呟いていた。
次の日、英司は学校にはいかなかった。そんな気分になれなかったからだ。両親は共に朝は早く夜は遅い。従って学校をさぼってもそれを咎めるものはいなかった。
もっとも英司は見た目に反して案外と真面目で殆ど学校を休んだ事はない。授業は好きではなかったが、学校そのものは嫌いでもなかったからだ。
何が起きているのか全くもって不可解だった。もちろん知り合いにそんな体験をしたものなんていないだろうし、誰に訊ねようもなかった。あるいは秀一なら何かを知っているかもしれないとは思うものの、何故かこれ以上話す気にはなれなかった。
誰もいない部屋は、しんと静まり返っている。空気がどこか冷たく、ここには他に何もない事だけを意識させた。
デュラハン。気になってインターネットで調べ上げてみる。しかしゲームだのラノベだのに出てくるだとかが殆どで秀一が言った事以上の内容は掴めなかった。
「くそっ。手がかりなんてありゃしねぇ」
歯を鳴らして、握ったマウスを投げつけてみる。
ばんっと音を響かせて、そのままころころと転がって、まるでそれが自らの首を抱えて立つという亡霊の首のようにも思えた。
「さらに一日が過ぎる」
首が告げたような気がして、はっとして目を見開く。しかし転がったものはやはりただのマウスに過ぎなくて、それが錯覚なのか現実なのかもわからなかった。
次第にいらついてくる心が、焦りと恐れとを余計に増幅させていく。
なのに何も出来なくて、英司はばんっとテーブルを叩きつけた。
三日目、英司は街へ出ていた。探すしかない。あの子を、そらと名乗った少女を。彼女は絶対に何かを知っているはずだから。何も聞かないでいるなんて無理な話に過ぎなかった。
出会って全てを聞き出すしかない。本当にあと四日で死ぬのか、何か防ぐ方法はないのか。知りたい事は山ほどあるのに、答えを持っているのは一人しかいなかった。
見つけださなければと思い、それからどうして電話番号くらい聞き出さなかったのかと後悔していた。彼女の事で知っているのは、あのどこまでも整った顔と、そらという名前だけだったから。
それだけの手かがりで人を探し出すのは簡単な事ではなかった。そもそもこの街の人間かどうかも明らかではない。
それでも探すしかない。
こんなにも一人の女の子を追い求めた事なんてなかったけれど、それが普通ならざる理由である事に、悔しさすら思い浮かべる。
もしもこんな状況でなければ、そらとの出会いは明るく楽しいものになっていただろう。英司はいつも振られてばかりだったけども、可愛い女の子と話すのはやっぱり楽しい。
でも、いまは。針のような空気の中で、どこかに怒りすら滲ませて。
そらを求めた。
だけど、見つかる事は無かった。
死まで、あと四日。
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