癒えない傷を、負う役目

影迷彩

癒えない傷を、負う役目


 「第103テント、No.4。負傷部位、右上腕部に銃創あり。早期に手当てする必要あり……っと」

 新人看護師のジーナは、テントからテントを足早で回りながら、上司に見せるカルテを確認していた。

 「No.5、鼓膜負傷、左脛に銃創……本国へ帰還届けっと」

 ジーナが回るテントは、戦場の最前線にあった。日々新たな負傷者が運び込まれ、治れば再び戦場に、ひどい負傷の者は安静か本国へ帰還である。

 慢性的な人手不足からくる求人に引っ掛かり、ジーナは一週間前にここへ来たばかりだ。


 「ありがとうジーナ。カルテは確認しておくよ」 

 上司のハーディー軍医にカルテを提出し、ジーナは医療本部のテントから出た。

 「はにゅあっ!?」

 ジーナのお尻を、ゴツく大きな手が揉むように掴んだ。

 「お疲れ、ジーナちゃん♪」

 「ん~~……ダンさん!!」

 ジーナはお尻を手で隠し、顔を真っ赤にして振り返った。テントの入り口横で待ち構えていた、大柄な体躯の至るところに包帯を巻いた男性を、彼女はキッと睨む。

 「お、今日も元気か? いいないいな♪」

 「元気じゃないです! 怒ってます!」

 そういって目を細めるジーナだが、ダンの人のいい笑顔を前にすると力が抜けていく。

 「今度こそ、素行不良で言いつけますからね。軍法会議モノにしますから!」

 「おぉう怖い怖い、優しくしねぇとな♪」

 ダンは包帯で覆われた頭を、バツが悪そうにワシワシとかいた。

 ジーナとダンは、こんなやり取りを毎日繰り広げている。

 じゃれあいは、死屍累々な戦場に似つかわしくない、自然な明るさであった。


──まだ戦えると身体を引きずる兵士、我先にと輸送ヘリに乗り込もうとする負傷者。

 この前線基地は血と鉄、肉の腐臭に必ず当たる。

 誰もがこの場所に精神が追いやられ、倒れるまで戦い、起きたら再び戦い続けられた。


 「今日も『俺をさっさと帰らせろ』なんて詰め寄る兵士がいたわ……自傷しかねないくらいだった。そんなことしたって医者の目は誤魔化せないし、バレたら脱走兵扱いよ?」

 テントの裏にある輸送ボックスの上で、ジーナはダンの肩にもたれかかっていた。

 「私が諭したって聞きやしない、ハーディー先生が鎮静剤打つまで黙らない。おわったら先生に『厄介事は増やさないように』何て言われる……もうヤになっちゃう、何で来たんだろうここに……」

 「ハハッ、先生は口が悪いし血圧低いからなぁ。あんま気にすんなって。ジーナは頑張ってるよ」

 ダンはジーナの肩を優しくトントンと叩く。大柄なのに根は優しいダンの人柄に、ジーナは時々こうして甘えていた。

 「ホントは兵士にこう近づくのっていけないけどね……あぁそっちがマシかな~~」

 ジーナは大きくため息をついた。

 「俺は俺でヒドイぜ。火傷や銃創とか致命傷なけりゃ即前線行きだ」

 ジーナはダンの鎖骨に頭を擦りつけながら、彼の包帯で覆われた頭を見上げた。

 「大丈夫なの? その傷は」

 「ん? あぁ大丈夫だぜ。俺はまだ戦うさ。俺の国を襲うテロリストを撲滅するためにな……戦場には駒が必要だ。その役目に叶い、国を守る任を、俺は背負い続けようと思う……」

 ダンは真面目な目を、ジーナの寝ぼけ眼のようにトロンとした目と合わせた。

 ジーナはおもむろに目を閉じた。目を閉じると、肩を撫でる彼の手が震えていることに気がついた。

 「ダン?」

 目を離すと同時に、ダンの手が彼女から離れ、自身の頭を抑えていた。


 「脳に銃創だ。生きてるのが奇跡だよ。しかし徐々に視力が悪くなっていってる」

 ダンのカルテを、ハーディー経由でジーナは受け取った。

 「そんな!? それなら早く帰還させないと!!」

 思わずテーブルの上に乗り出したジーナを、ハーディーは手で制した。

 「彼はまだ戦える。戦えるうちは、戦線復帰が無理な者から先に帰還させる。輸送ヘリの椅子は少ないんだ」

 「ですが!! でも!!」

 「それに戦線続行は、彼の希望なんだ」

 ハーディーはジーナに背を向け、顔を俯かせた。

 「私たちに出来るのは、兵士に出来ることの手助けだけだ……戦えるなら包帯を巻いて前線(むこう)に出し、無理なら書類を書かせて帰還させる……戦えるうちは、我々に兵士を家に帰させることは出来ないんだ」

 「……失礼しました」

 ジーナは頭を下げ、失意と共にテントを出た。

  陽気なダンの姿は、そこにはなかった。

 

 翌日の昼。

 「撤退ですって!?」

 「前線を維持できなくなったらしい。ここはもうダメだ。荷物を纏めて、急いでヘリに向かうぞ」

 その日はテントからテントを走り回った。

 荷物をまとめ、負傷者を担架で運び、テントを畳む作業を手伝った。

 

 夕方になり、彼女は一通りの作業を済ませ本部に戻ろうとした。

 「動くな」

 首筋に、ナイフを突き立てられた。

 「……ダン?」

 「車を出せ。運転なら俺がする」

 

 ──何が何だか分からないまま、ジーナは運転席でジープを操縦し、ダンを助手席に座らせていた。

 「……味方を撃ち殺した。誤射なんてものじゃねぇ。殺意を持って仲間を撃ち殺した」

 「っ!? なんで!?」

 「視界が真っ白になった。そしたら敵兵の色をしたヤツが目の前にいた。俺は咄嗟に、冷静にヤツを殺した。ハッとして視界が戻ったら、死体は味方だった」

 ダンは暖かい夕焼け空を見上げた。

 「他の者に見られただろう。ハッ! 軍法会議が本当に避けられなくなった」

 ダンは両目を腕で抑えた。

 「……ホンットに、何してんだろうなぁ俺は。何であんなことを、俺はしてしまったんだ──!」

 「目の異常で、色盲がおかしくなったんです!! ダンさんは悪くないっ!! 悪いのは……」

 ジーナは咄嗟に彼へ声をかけたが。

 「悪いのは? 俺だろ。脳に銃弾受けちまった時点で、帰還すれば良かったんだ……」

 ジーナはアクセルを踏んだまま、悔しさと後悔を頬に滲ませた彼の横顔を見つめた。

 「本当は安静にして、悪くなったら帰還すれば良かったんだ……怖かったんだ、俺の空いた穴を、誰かが埋める為に戦場へ向かわされるのが……もし、そいつが死んだら? 本来俺がいるべきだった場所で誰かが死んだら? 嫌だった、それを考えるのが嫌なだけだったんだ、俺は……」

 ジーナはジープを停止させた。 

 ダンの顔から血の気がなくなっているのに気づき、彼の腹を脱がした。

 「血が!! 銃弾!? どうして誰も抜いてないの!!!」

 「行かなかったからな……安静にしてたら、そのまま本国に送還され捕まる……一発ぐらい大丈夫だと思ったんだが……」

 「いや、いや、いやあああああ!!!」

 ジーナは血にまみれた両手を目にし、ダンの生気を失っていく顔色に声を上げた。

 「私が、私がどうにかさせるから!!」

 「ジーナ……?」

 ジーナはジープに備え付けられた救急キットから、ピンセットや糸を取り出した。

 「あなたには、生きていてほしい!! 逃げて、その先で死ぬことじゃない……背負った役目を、その責任を取ってほしい!!」

 「ジーナ……」

 ジーナは涙目で、瞳の色を失いつつあるダンの目を見つめた。

 「あなたという人には、それが出来る……私はその手助けをするし、あなたがどうなっても、ずっと側に付き添うから!!」

 ジーナは、自分の役目に取りかかった。

 「だから死なないで!! 絶対死なないで!! 一緒に生きたい!! 生きて一緒に帰りたい!!」


 ──数名の兵士が、二人を取り囲んだ。

 ジーナは虚ろな目で、夜空を見上げた。

 一日の幕引きが、戦場の終わりを表してるようだった。

 癒えない傷を抱えて、これからも生き続けるだろう彼女を休ませようとするように、月明かりが雲の後ろに隠れた。

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