それでもなおスペースの余るというようなこの想い

倉井さとり

 月明つきあかりのないさみしい夜だ。

 こんな日は、君のことを考えずにはいられない。


 燃えるような恋心は、いつ何時なんどきだって、僕たちの心をぬくもらせてくれる。

 君に会えない日々が続いても、今はただ、こうしておもいをつのらせて、めているだけで、しあわせだ。


 あれは冬のことだったよね。

 水気みずけをたっぷりふくんだ雪が、かたにのしかかるようでね。

 もった雪ははいガスでよごれていて、孤独こどくれてすさんだ僕の心を、そのまましめしているようだったよ。


 そんな最中さなか見掛みかけたんだ、君を。あれは、たまたまだったんだ。偶然ぐうぜん『見つけたんだ』、君を。


 僕のこれまでの人生は、して幸せとはいえないものだった。でも、君と出会って、むくわれたように思えたよ。これまでの僕の苦労くろうは必要なものだったんだって。

 僕は正直驚いた。人生の結実けつじつを、こんなにはっきりと感じとることができるなんて。

 つねに感じていたやるせない悲しみは、もや朝日あさひでもって霧散むさんするように消えていった。やわらかく、あたたかに、有終ゆうしゅう七色なないろに輝かせながら。


 君は、楽しそうに、恋人とうでんでいたね。

 僕の心臓はおどったよ。本当におどったんだ。トクン、トクン、ドクン。

 そしてそれは、今も続いてる。トクン、トクン、ドクン。

 もう君のこと以外は考えられないよ。


 だから僕はスペースをけたよ。君以外のものをすべててたんだ。

 分かるかな、この、君のためなら、それでもなおスペースのあまるというようなおもい。

 だけど僕は、無理矢理むりやりせまるなんてことはけっしてしなかった。『僕はこんなにスペースをけましたよ、だから次はあなたのばん』、なんて、そんなことがゆるされてたら、なかの人間関係はすべて破綻はたんしてしまうよ。でも、僕のおもいはまらない。

 ああ、それでもなおスペースのあまるというようなこのおもい。


 ああもう本当に、想像そうぞうなかとはいえ、君を見てるとチカチカする。目が。

 君のもと恋人、あれはだめな男だったね。君のことを少しも理解していなかった。少しも君を見てはいなかった。


 だからって強引ごういんなやり方は、僕のさがにマッチングしない。それに感じたんだよ、君のほのかな愛の兆候ちょうこうを。君も、確かに、僕を見てくれている。

 僕は思ったよ。待たなくちゃって。君の愛が、花咲かせるのをね。

 君はまだ、自分自身の愛に気がついていなかったんだ。

 たとえるならあかぼうだね。あかちゃん。おぎゃあ。んえぁあ、んえぁあ。

 ベイビーはママを愛しているけれど、それを言葉にできないよね? それと同じさ。


 待たなきゃ、君が言葉を口にできるまで。

 待たなきゃ、君が物心ものごころおぼえるまで。

 待たなきゃ、君が愛に目覚めるまで。


 恋するがわせつなさが、君には分からないだろうね。

 正直、待つだけの日々はこたえたよ。でも分かっていたんだ僕には、君が本物だって。れた欲目よくめさえ取りこんでもなおスペースのあまるというようなこのおもい。君はマックスだよ。君は僕のマックス。


 果報かほうは寝て待てってことわざがあるね? でもこれね、恋には当てはまらないんだ。

 恋にかぎり、果報かほうは『見て』待たなきゃいけないんだ。

 恋の好機こうきをものにしたいなら、片時かたときも目をじるひまはないんだ。


 僕は自分の限界げんかいを知ってる。堕落だらくかかえたままじゃ僕はきっと、君をものにはできなかっただろうね。

 僕は知ってる。いとしのマックスのきみをみすみすのがして涙にれる、なまものたちの姿をね。分かるかい? それはナンセンスな涙なんだ、悲しみなんだ、悔恨かいこんねんなんだ。恋の成就じょうじゅには、マックスのきみの恋のふるえにいつでもこたえられる、機敏きびんさがもとめられるんだ。


 見る、見る、じっと見る。

 君は見られる、僕に。

 僕は見る、君を。


 とても良好りょうこうな関係をきずけていたよね、僕たち。それがすごくさ、このましいって思えたんだ。なにげない幸せとでもいえばいいのかな。本当、僕も昔にくらべ、だいぶまるくなったよ。プラトニックなんて、もっととしをとってからのものだと思ってた。にがい、まったくね。でもスペシャルだよ。プラトニックをめてもなおスペースのあまるというようなこのおもい。


 そしておとずれる、運命うんめいの日。


 君は言ったね。


警察けいさつを呼びますよ」


 その音節おんせつ、さらに言葉を重ね、まくしし立てる君の情熱じょうねつ、センテンスのひとつひとつにめられた含意がんい奥手おくてな君のつつましさ、『月が綺麗きれいですね』よりもずっと高度こうどなその告白に、僕はすっかりまいってしまったよ。


 そして僕はこう答えたね。


「2人っきりが恥ずかしいなら、警察けいさつまじえて話そうよ」って。正直ね、僕はそので君のくちびるうばいたいくらいだった。でもね、乗ることにしたんだ、君の流儀りゅうぎに。

 高度こうどな恋のきはスパイシーだったね。抑圧よくせいいた、君の強張こわばった表情があんまりせつなげで、僕は気がくるいそうだった。


 そして、ついに君も我慢がまんできなくなったんだね。あんなにはしたなく大声おおごえを出して……。


 僕は、体に血がめぐるのを強く感じたよ、こめかみが、眉間みけんが、首筋くびすじが、心臓みたいにみゃくった。トクン、トクン、ドクン。ああ、それでもなおスペースのあまるというようなこのおもい。


 すごいと思った純粋じゅんすいに。君は眼差まなざしだけで、僕に言葉を投げかけたんだから。


 君は、涙さえ浮かべてせつなげに、だけれどするどひとみでこう語ったね。


『来て、私もう我慢がまんできない、暗いところに行こう』


 ああ、君に会えない夜はさびしい。君の追憶ついおくが胸にみるよ。次に君に会えるまで、あと何日なんにちだろう。なにかを待つのに、指折ゆびおかぞえることがあるなんて。思いもらぬ、童心どうしんへの、……スキューバダイビング……。……ああ、なにもかもかかえてなおスペースのあまるというようなこのおもい。

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