放課後の約束

鳥柄ささみ

放課後の約束

「春日〜! このノート、数学室に運んでおいてくれー!」

「えー! 私一人でですか?」

「他に誰かいるか?」


 言われて周りを見渡すも、誰もいない。

 それもそのはず、皆それぞれ部活だ委員会だと出払ってしまって、たまたま今日の日直だった私はホワイトボードの片付けをしたり日誌をつけたりしていて帰るのが遅れていたのだ。


「これ、全部ですか?」

「当たり前だろう。まだ若いんだから二回くらい往復すれば持ってこれるよ。じゃあ、頼んだぞ」


 そう言って数学担当の先生はスタスタと言ってしまう。


(てか、今片手空いてるんだから絶対数冊くらい持っていけたでしょ!!)


 内心そう思うも、気弱なので口に出すことはできずに先生の背を見送った。


「マジかぁ、どうしよ」


 とりあえず日誌は担任の先生に届けて、ついでに愚痴っておいたが、数学担当の先生同様「若いうちは働け」と一蹴されてしまった。

 解せぬ。

 仕方がないので教室に戻ると、なぜかそこには同じクラスの里中くんがいてドキリとする。


(な、何で里中くんがここに!?)


 里中くんはバスケ部のエースであり、みんなの憧れであり、私の好きな人でもある。

 身長高くてかっこよくて、優しくて。

 でも気取った感じもなくて、私みたいな喪女でモブのようなヤツにも、誰にでもフレンドリーだった。

 以前私が教科書を忘れたときだって、「見る?」って見せてくれたり、校外学習のときにすっ転んだときだって、すぐさま起こしてくれて絆創膏を貼ってくれたりした。

 だから、彼のことが好きになるのは必然だった。

 けど、もちろん自分だけが特別だなんて思ってない。

 というか、里中くんはみんなに優しいし、私以外の子にも優しい。

 でも、それでもやっぱり私はどうしても里中くんのことが気になってしまうのだった。


(里中くん、何してるんだろう?)


 里中くんは私に気づいていないのか、私の机の上に載っているノートを読み込んでいた。

 ズキン、と胸が痛む。


(もしかして、里中くんの好きな人のノートを読んでいるのかな?)


 ノートの持ち主が気になると同時に、苦しくなる。

 わかってはいた、わかってはいたけど、現実として里中くんに他に誰か好きな人がいるということを考えたくなかった。

 不意に、里中くんがこちらに顔を向ける。

 ばちん、と思いっきり視線がぶつかって、あまりの衝撃で、頭を思いきり殴られたようだった。


「あれ? 春日さん、どうした? 忘れ物?」

「あ、うん。そうなんだ。このノート、数学室に運ばなきゃいけなくて。里中くんは?」

「オレは、数学のノート出すの忘れてて……って、あぁ、ごめん! ここって春日さんの席だよね!」

「あ、ううん。それは別にいいんだけど……何をしてたの?」


 自分で自分の質問にギュッと胸が締めつけられる。


(私、何でこんなこと言ったんだろう)


 自分で自分の言動に後悔するも、既に吐き出してしまった言葉は元に戻らず、ただただ彼の言葉を待つしかなかった。


「あぁ、ごめん! ちょっと、春日さんのノート見せてもらってたんだ」

「え、私の?」


 まさか自分のノートを見てただなんて思わず、つい反応できずにいると、「ごめん、気持ち悪かったよね」としょんぼりした様子の里中くん。

 まるで叱られた犬のようである。


「ううん! そ、そんなことないよ! てか、私のノートなんか見ても何も面白みもないよ?」

「そんなことないよ! 春日さん、字は綺麗だし、内容まとまってるし」

「字は……一応硬筆習ってたから」

「なるほど、だから上手なのか。ホワイトボードに書くときも、いつも春日さんの字はみんなと違ってすごい綺麗に見えたのはそういうことだったんだね」


 まさかそんなに字が綺麗だなんて褒められると思ってなくて、困惑する。

 今まで字を褒められたことはあるが、こんなに直接的に言われたのは初めてだった。


「あ、そういえば、里中くん、部活でしょ? 行かなくて大丈夫?」

「ん? あぁ、今日は部活休みなんだ。これ、春日さんの席に置いてあるってことは数学室に持っていくんでしょ? 手伝うよ」

「え、でもそんな、悪いよ……」

「いいよいいよ、気にしないで? それに女の子一人にこの量キツいでしょ? だったらいっぺんに一緒に運んだほうが効率的じゃない?」

「それは、そうだけど……」


 里中くんの申し出は渡りに船ではある。

 だけど、これ以上彼と一緒にいたらさらに好きになってしまいそうな気がして戸惑った。


「じゃあ、決まり! じゃあ、こっちの山はオレが持つから、春日さんはこっちの山持ってね」


 そう言って分けられた山は、明らかに高さが違っていた。

 どう見ても里中くんの山のほうが高い。


「これじゃあ不公平だよ」

「春日さんは真面目だね。いいんだよ、無理しなくて。それに、ほら、筋トレにもなるし」

「何それ」


 そう言って、まるでダンベルを持ち上げるかのようにノートを両手でそれぞれ掲げる里中くんが面白くて、つい笑ってしまった。

 すると、里中くんは「やっと笑った」と微笑んだ。


「春日さんは笑っているほうが可愛いよ」

「……っ、もう、そういうのはいいから! 里中くんって結構女たらしだよね」

「ひどっ! そんなことないよ、心外だなぁ……」


 そう言いつつも、里中くんの口調は不貞腐れているのに、表情は何やら楽しそうだ。


「春日さんて話すと面白いよね」

「え、そうかな……?」

「うん。少なくともオレはそう思ってるよ」


(こんな風に言われたら、期待しちゃうじゃん)


 ふわっと甘酸っぱい気持ちが心の中で湧き上がる。

 頭では、「でも、そんなこと言ってもフレンドリーな里中くんだし」とか「みんなにも同じこと言ってるよ」とか考えながらも、つい期待してしまう自分が恨めしかった。


「どうしたの?」


 ひょこっと里中くんに顔を覗かれて、私は「ひゃあ!」なんて可愛げもない、素っ頓狂な声を上げてバランスを崩す。

 しかもちょうど階段を下っていたタイミングだったので、思いきり階段を踏み外してしまった。


(うわっ、落ちる……!)


 バサバサバサ……っ


「あっぶなぁ……、大丈夫だった?」

「う、うん。ありがとう……っ」


 咄嗟に里中くんが私のお腹に腕を回し、落ちないよう助けてくれたようで難を逃れることができた。

 里中くんもかなり驚いたのか、ドキドキと速く打つ鼓動がこちらまで伝わってくる。

 同時に、ギュッと抱きしめられたことで、里中くんのがっしりした体躯をリアルに感じてカッと耳まで熱くなった。


「ご、ごめん。もう大丈夫だから」

「あ、うん」


 彼の腕を外すように手を重ねると、弾かれるように里中くんもバッと離れ、その顔は自分と同じくらい真っ赤だった。


「やば、ぐしゃぐしゃになっちゃったかも」

「あーーーー、本当だ。曲がったり、破れてなければいいけど」


 私だけを救ったことによって、必然的に階下に落ちてしまったノートの数々。

 お互いが持っていたノート全てをぶちまけてしまったので、相当な量のノートが散乱していた。


「とりあえず拾おうか」


 二人で階段を降り、踊り場に散らばったノートをかき集める。


「ごめんね、ありがとう」

「いいよ、気にしないで」


 これで最後の一冊、といった瞬間、ごちんと頭がぶつかる。

 衝撃で目を白黒させていると、里中くんも同じように目をぐるぐるさせていた。

 その様子がなんだかおかしくて、つい笑ってしまうと、里中くんもつられて笑い出す。


「春日さんて石頭?」

「よく言われる。頭大丈夫だった?」

「大丈夫じゃないかも? 頭割れてない?」


 そう言って見せられた頭には綺麗な旋毛があって、なんだかそれがおかしくて、笑えてくる。


「あはは、大丈夫大丈夫。全然割れてない。あ、でもお詫びに、このあとコンビニで奢るよ」

「そ、そこまでしなくてもいいけど。……あ、でもせっかくだし、奢られようかな?」

「はい、じゃあ約束」


 私が小指を差し出すと、里中くんはバカにするでもなく、そっと小指を差し出して絡めてくれた。


「指切り?」

「そう。指切りげんまん、嘘ついたら針千本の〜ます! 指切った!」

「はは、指切りなんて久しぶりにした」

「私も」


 お互いに笑うと、ノートを持って立ち上がる。

 そして数学室にノートを届け終え、この時間が終わってしまうのかと思うと、ちょっとだけ寂しい気持ちになった。

 でも、なんだかいつもよりも距離が縮まったような気がするのは私だけだろうか。


「そういえば、春日さんに話があるんだ」

「えー、何々?」

「奢ってもらうときに言うよ」


 そう言ってフッと柔らかく笑う里中くん。

 すると、いつもの何気ない景色がふわっと色づく。

 こんな景色は初めてだった。


「さ、帰ろうか」

「うん」






 終

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