『あれ』

@siriki

第1話 出会い

 「頼みたいことがあるのですが」。そんな文言を枕にしたメールが送られてきたのは二日前のことだった。

 送信主、私の叔母とは、六年前に祖母の葬式でアドレスを交換してからただの一度も連絡など取っていなかったが、なんとなく、優しそうな人だと思った記憶がある。

 メールの内容はあるバイトをしないか、という誘いだった。娘が北海道から大阪まで行くのに付き添ってほしいとのことだ。

 最初は断ろうかと思った。

 春休みとはいえ、大学生。暇というわけではない。それこそ、他のバイトだって入っている。

 何より、中学生のお守りなんて嫌だった。思春期、青春期に代名される中学生という期間、私が下手に介入するのは、情けない話少し怖い。私も「女子中学生」を経験してきてはいるが、どう扱って欲しいかなんて大人になったら忘れてしまうものだと気がついた。

 だが、メールを最後まで読み、私の決意はぐるりと方向転換してから固まった。

 人の娘を北海道から大阪まで送り、大阪にいるという祖父に引き渡す。早ければ一日、どんなにゆっくりと帰ってきても、二日で終わる依頼だ。それでいて交通費も向こう持ち。

 そんな依頼で二十万出すというのだ。入れていたバイトを蹴ってでも行く価値はある。

 そんなこんなで現在、私は叔母の家まで来ていた。朝七時に家を出てここにたどり着くのに二時間もかかってしまったが、たまにはこんな人がまばらな町、と言うより村だろうか。尋ねてみるのもいいものだ。

叔母は印象と変わらない人当たりの良さそうな笑顔で私を迎えてくれた。私も笑顔で応え、玄関先でバイト内容について幾つか確認をした。

「いやあ、ごめんなさいね。急に頼んじゃって」

「いやいや、全然大丈夫ですよ。それより……」

 確認も終わり、交通費等の旅費を加えた報酬も受け取った。だが肝心の、私が付き添う子の姿が未だ見えない。叔母は「ああ」と言うと困ったような顔をした。

「あの子少し人見知りなのよ。今……」

「もういるよ」

 「それ」は、不意に現れた。

長い前髪と黒系統で統一された服装のせいだろうか。奥の部屋から出てきた少女は母親と対照的な、なんとも形容し難い不気味な雰囲気を纏っていた。

彼女を見た途端、全身の毛が総毛立つのを感じた。本能的な嫌悪としか言いようのない、不思議な感覚に襲われる。

「小野美咲です。よろしくお願いします」

 そう頭を下げる彼女に続いて、「それじゃあ、よろしくね」と叔母も小さく会釈した。


「美咲ちゃん、会うのは祖母のお葬式以来かしらね。あなたは覚えていないでしょうけど」

「そうなんですか」

「あ、そうだ。あなたのお母さんから飛行機はやめてって言われてるから新幹線で行くわよ。東京で少し止まるからおじいさんにお土産買いましょうか」

「おじいちゃん……。ああ、わかりました」

 私は深くため息をついた。

特に理由はないが、もっと明るい「イマドキ」と言った少女を想像していた。まあ、そんな子が来たらそれはそれで困るのだが、美咲はそれとは異質な厄介さを持っている。

私たちは電車を待っていた。駅には駅舎と小さな椅子があるだけで、私たちの他には性別もわからない老人が一人置物のように座っているだけだ。駅の周りは木が生い茂っていて、中学生が喜びそうな変化も面白味も見つけることはできない。

 時刻表を信じるのなら都市部へ行く電車はあと数分で到着するようだが、美咲との会話が途切れた途端もう残り時間は永遠になったように感じた。時計を見なくても時間が異常にゆっくりと流れているのがわかる。

 なんとなく気づかれないように美咲の方に目を向けた。九年前に会った彼女は葬式の雰囲気に気圧されたのか泣きじゃくっていたが、今となってはこちらが気圧されてしまっていた。

 とはいえ、もう金は受け取ってしまったのだ。我慢するしかない。

 そんなことを考えていると、急に後ろから声をかけられた。

「お嬢ちゃん、久しぶりじゃないか」

 沈黙を断ち切ったのは、少し離れたところに座っていたはずの老人だった。いつの間にか私たちのすぐ後ろに立っている。

 まだまだ自分を「お嬢ちゃん」と呼んで差し支えない年齢であるとは自負しているが、こんな老人に見覚えはなかった。きっと美咲の知り合いなのだろう。狭い村だ。住民のほとんどと知り合いでもおかしくはない。

 だが美咲は、老人からの声かけに何も応えなかった。澄ました顔で依然少し先だけを見据えて、老人と目を合わせようとしない。

「美咲ちゃん、知ってる人じゃないの?」

「目を合わせないで、無視して。私から離れないで下さい」

 私の問いかけにも当然のように応えず、美咲は言った。その声は少し震えていて、どこか怯えているようにも、聞こえる。

 その様子に並々ならぬものを感じ、私は押し黙った。ただの人見知りで話したくない、といった様子ではない。この老人は危ない人物なのだろうか。だがもし本当に知り合いなら、彼女の態度は失礼極まりない。

 少し悩んだ末、私も老人の言葉には応えないことにした。代わりに深々と頭を下げて少し距離を置く。

 老人はそれ以上何も言わなかった。その表情から怒りだとか失望だとかは読み取れないが、本当にこれで良かったのだろうか。

 と、急に私の前を小さな虫が横切った。

 その虫は弱っているのか、ふらふらと、だが綺麗な透明の羽を羽ばたかせ飛んでいて、私は思わず目で追う。そしてその虫は、一瞬風に乗り大きく舞い上がると、弧を描くように地面に落ちた。

 一瞬だったはずだ。

 私が美咲から目を離し、再び彼女に視線を戻すまでは本当にほんの一瞬だった。

 少なくとも、さっきまで離れたところにいたはずの老人が美咲にのしかかり首を絞め始めるほどの時間は、なかったと、思う。

 だが私が振り返ったとき、美咲は確かに老人の下敷きになりながら苦しんでいた。傍目に見ても押さえつける膂力が老人のそれではないことがよくわかる。美咲も必死に抵抗しているようだったが、首に食い込んだ指を引っ掻いても、腹に蹴りを入れても、事態を解決するには遠く及んでいなかった。

 やはりこの老人はやばい人物だったのだ。そんな認識をする前に、考えることは一つだった。

 美咲を助けなければならない。

 二十余年間倫理観を育んできた私の頭は、確かにそう考えていた。だが、もう一つ。「思考」とはまた違う、「本能」が出したもう一つの判断も、確かに私の頭の中にあった。

「タスケルナ」

 その判断が、一瞬私の足を止めた。と同時に、美咲の顔が嫌に鮮明に目に映る。真っ赤に染まった美咲の顔は、「助けて」と、そう訴えていた。

 足が動く。その勢いのまま、老人の横腹に思い切り蹴りを入れた。とても老人の体とは思えない硬さと重さだったが、なんとか美咲の上から引き剥がすことができた。美咲が大きく息を吸って咳込む。意識は飛んでいないようだ。命に別状はないだろう。

私はそれを確認すると、自分が吹き飛ばした老人に目をやった。正当防衛とはいえ、やり過ぎた自覚はあった。老人に向けていい暴力ではなかったと思っている。

 だが、ホームに横たわるそれはすでに人としての体を保っていなかった。

 関節が曲がるべきではない方向に曲がっていて、四足動物のように四つん這いになっている。顔は半笑いで少し天を仰ぎ、何か呟いていた。よく聞いてみると「オヒサシブリデスオヒサシブリデス」と繰り返している。それは声というより、鳴き声のように聞こえた。

「なんなの……」

 その生き物は少しの間ホームを動き回っていたが、急に思い出したようにこちらを向いた。いつの間にか白目と呼べる部分がなくなっていて、私はその目にコミュニケーションがすでに不可能であることを悟った。

 老人だったそれは喉から掠れるような音を出すと、こちらに向かって来る。

 昆虫のようなその素早さは、逃げようと考える間も与えず私との距離を詰めた。そして私の前で一瞬止まると、それは真横に飛んだ。四つん這いの状況からは信じられない跳躍力だ。

 飛んだ先には、美咲がいた。美咲はいつの間にか起き上がっていて、手に持ったカバンを思い切り、飛びかかってくるそれの顔に見える場所にたたき込んだ。まるで真っ直ぐ自分に襲いかかってくることがわかっているように。

 美咲はそう強い力を持っているようには見えなかったが、空中で食らったせいか「それ」は盛大に吹き飛び、今度はホームではなく線路に叩きつけられた。が、ダメージはないようだ。もう一度気味の悪い笑いを浮かべ、足の筋肉が跳躍に備え膨らみ……

 その姿が、消えた。

 正確には、到着した電車の車体の下に、消えた。肉片や血が飛び散り、嗅いだことのない匂いが空間に充満しる。

 私は自分が座り込んでしまっていることに気がついた。

 何だったんだ、あの生物は。

 明らかに人ではなかった。人の動きではなく、人の行動ではなかった。

 そして、あれは美咲を狙っていた。

 その美咲は呼吸を整えると、私を見下ろしながら言った。

「とりあえず乗りましょう。電車が出ます」

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