第14話 食い違い

 行く手の平原の先に閃光が閃き、わずかに遅れて鈍い爆発音が響いてくる。

 ノルデンと、アステリアの国境線近く。そこが戦場なのだ。


 双方の陣営に砲台が据えられ、断続的に鈍い砲撃の音が響いてくる。そんな風景を横目に、街道沿いの道には人が溢れ、ごった返している。

 軍隊に所属する人だけではない。荷台に家財道具を積んで避難しようとしている近くの住民。戦場に物資を運ぶ馬車に向かって何やら売り込もうと商売している者。馬に飼い葉や水を提供する借りごしらえの宿場。敷物の上にこまものを広げて休憩している行商人に、傭兵志願でどこからともなく集まってきた荒くれ。


 戦場ではよくある光景だ。

 戦争は人が戦うものである以上、人を生かすためのあらゆる物資、必要とされるあらゆる商売が同時に動く。軍隊が膨れ上がり、滞在時間が延びるごとに、周囲に群がるオマケも増えていくのだ。


 それらを眺めていると、頭上で羽音がした。振り返ると、ちょうど目の前で鴉が人間の姿に戻るところだった。前線の偵察に行っていたレヴィだ。

 「いやー、思ってたより派手にやってた。国境を挟んでのにらみ合いだった」

 「近づきすぎると危ないって言っといたのに」

ロードは呆れ顔になる。

 「戦場には魔法使いだっているんだぞ。鳥に変身してたって、見抜かれて密偵と間違われて攻撃されるかもしれないのに」

 「あーそれは心配ない。こっち側、魔法使いほとんどいなかったから。」

 「いない?」

 「近くで<影憑き>が大量発生したらしくて出払ってる。フューレンの町中まで出てきたらしいぜ、大変だな。…お、あれ何だ、美味そうだな」

他人事のように言いながら、近くの食べ物屋の屋台のほうに近づいていく。

 「…それって、"創世の呪文"が不安定になってるせい、だろ」

 「んー? まあ、そうだろうな。」

 「だったらどうして、そんなに暢気なんだ」

 「どうして、って」きょとんとした顔だ。「ぼくに何が出来る?」

 「……。」

そう、この世界のレヴィは、呪文の管理者ではない。呪文を安定させ、世界を修復するのは、イングヴィや、シエラや、ハルの役目だ。


 だが――だとしても…。

 (このままだと、世界が壊れる)

ロードは、空に視線をやった。

 一見すると、ごく普通の青い晴れた空だが、その空にはほとんど見えないような無数の黒いひび割れが広がっていることが判る。影の生まれる裂け目。

 今だって、世界の外の闇から影憑きの元となる<影>たちが、じわじわと侵入してきているはずだ。


 棒に突き刺したソーセージを齧りながら、レヴィが戻って来た。

 「そういやーお前、"海の賢者"のとこ行ったことあんのか?」

 「あるよ。レヴィは?」

 「ぼくもジイさんが生きてた頃に一度。あいつ癇癪で扉を塞ぎやがってさ、空飛んで直接行くしかなくて。他の連中が嫌がったせいで、ぼくが行ったんだ」

言いながら、大振りなソーセージをあっという間に平らげてゆく。

 「飛ぶ魔法覚えたのは、いつなんだ」

 「そうだなあ、塔に来て二、三年くらい…まともに使えるようになったのは、ジイさんが死ぬ一年くらい前か。その頃から、頻繁にお使いをやらされるようになった。ま、塔に閉じ込められてるよりは外の世界を飛ぶほうが楽しかったけどな。」

 「テセラとランドルフさんが戦うことになった直接の理由は?」

 「人殺し、かな」

串に刺さった最後の部分を一気に齧りとって、ごくんと飲み下す。

 「――どっかの国の王子だか王族だかを私情で殺した、って話だ。それでジイさんがキレた。年寄りが無理すんなっつって皆で止めたのに、結局出かけてって、それきり」

 「レヴィは、…いや、あの兄弟子たちは手伝わなかったのか?」

彼はちょっと肩をすくめた。

 「手伝ったんだろ、見てないけど。ぼくは、シエラに頼まれてフィオの奴を遠くに連れ出してた。あの時のぼくの魔法じゃ、どう頑張ってもどうせ足手まといにしかならなかったと思う。攻撃に使える魔法なんて知らないしな」

 「……。」

殺されたのは、間違いなくヤズミンだ。

 ヤズミンの死。それによって引き起こされた、二人の”賢者”の激しい戦い。そして、相打ち。

 「戻って来た時にはもう、コトは済んでた。新しい”森の賢者”はシエラで、”風の賢者”はイングヴィ。そう決まって収まってた。ジュリオが塔を出て行ったのはその直後。残ったのは、マウロとぼくだけだ。ま、他に行くところもなかったし、ぼくはもう少しだけ魔法の勉強もしたかった。塔には…魔法書が沢山あったから」


 何がこの世界の運命を決めたのか。何処が始まりなのか。


 ロードの知っている世界では、ヤズミンは死んでいない。もしシエラが彼とともに森を後にしていたらヤズミンの死は起こらず、テセラとランドルフが戦うこともなかった。そして、賢者の役目を継ぐ者も変わっていたはずだ。

 「さーて。こっから先は戦場を迂回してアステリアだなー。」

レヴィが大きく伸びをする。

 「そうそう、アステリアのほうも影憑きが結構出回ってるらしいぜ? 向こうは総力戦だ、<王立>のほとんどは国境に集まってる。国内は手薄」

 「心配ないさ。何なら野宿してもいいぞ」

ロードは、にやりと笑って腰のナイフに手をやった。

 「<影憑き>の退治の仕方知らないんなら、教えてやろうか?」

 「おー、いいぜ。教えてもらおうじゃないか」

 (本当は、お前に教えてもらったんだけどな…)

覚えていない――というより、あの出会いがこちらの世界では起きていないことが、ほんの少しだけ寂しい。


 フィオと一緒に国境を越えた、一年前の旅のことが懐かしく感じられた。あの時はまだ、レヴィが近くにいることも、何者なのかも分かっていなかった。自分の力も把握出来ていなかった。

 ノルデンからアステリアへ。かつてとは逆の方向へ、あの時と同じように<影憑き>に追われながら、ロードたちは、再び国境を越える。




 アステリアに入ると、少しほっとする。

 西のソラン王国からシルヴェスタの森、ノルデンの北の果ての”青い森”と、世界をぐるりと旅してきたようなものだ。道の両脇には馴染みの風景が広がっている。うっかりすると、ここがよく似た別の世界であることを忘れてしまいそうになるくらい、自分の知っている風景と同じだ。

 「お前の故郷って、このへん?」

 「元の世界では、そう。こっちは…こっちの世界では、どうなってるのか分からないよ」

ゆったりとした足取りでロバの荷車が通り過ぎてゆく。戦争が起きているのはアステリアの中心部。西の国境に近いこの辺境までは、戦火どころか、まだ戦争の噂すらも届いていないかもしれない。


 行く手に町の建物の赤い屋根が見えて来る。フィブレ村から一日もかからない距離にある、馴染みの町だ。ロードは嬉しくなった。

 「まだ昼前だけど、あの町で一泊していかないか? 急いで夕方に着くより、明日の早い時間に着けたほうがいいから。この辺がどうなってるのかも知りたいし」

 「ぼくはそれで構わない」

 「じゃ、いつもの宿にしよう。…って、あの宿はこっちにもあるのかな…」

町の入り口から広場に向かって続く石畳の道。商店街のガラス針の窓。何もかも記憶のままなのに、どこか雰囲気がおかしい。


 歩き始めてすぐ、ロードは、その理由に気が付いた。

 町の入り口や広場に、火を焚くための篝火台がしつらえられているのだ。その脇には、薪の山が築かれている。人々の表情もどこか暗く、不安に怯えているようにも見えた。

 「いらっしゃい」

細い路地を入ったところにある宿――看板からして元の世界では馴染みだった安宿と同じはずだ――に顔を出すと、宿の受付を兼ねた一階の酒場のカウンターには、思ったとおり、良く知った小太りな女主人が立っていた。

 「二人で一泊したいんだけど」

 「はいよ。ここに名前書いて。…お客さん、初めてだよね? 旅人かい」

どうやら、この世界のロードは、ここに来たことがないらしい。

 「フィブレ村まで行くんですよ。その…親戚がいるはずなんで」

 「ああ、そう。ここからなら道なりにすぐだねえ」

料金を支払いながら、ロードは、店の中を見回した。営業中だというのに店内には誰もいない。

 ここは地元の猟師たちのたまり場で、昼間でも、この時間なら早朝の狩りから戻って来た腕利き連中が一杯やっている頃なのに。

 「…今日は、皆、狩りで出払ってるんですか?」

 「え?」

 「あ、いや。この町って、狩り人が多いじゃないですか。アルさん…とか」

カウンターの向こうの女主人の顔が、見る見る間に曇っていく。

 「アルは…亡くなったよ、半年前」

 「え?! 何で」

 「<影憑き>だよ。もうずっと森に住み着いてるんだ。何人も殺された。町一番の猟師でさえ…。なのに魔法使いたちは戦争で取られちまうし、町の衆は怖がって、もう誰も森には入ろうとしやしないよ。狩りなんて出来るもんかね」

 「……。」


 "この近くに、退治を依頼できる誰かはいないんですか?"


喉元まで出掛かった言葉を、ロードは、我慢して飲み込んだ。

 薄々気づいてはいたのだ。これまでの旅の中で出会った人たちは、誰も、ロードのことを知らなかった。それはつまり、――そういうことだ。


 この世界に、おそらく、自分は存在していない。


 黙ってチェック・インを済ませた後、窓の外を見つめていたロードの後ろから、レヴィが声をかける。

 「行くんだろ?」

ベッドに腰を下ろして、何処からとも無く取り出したりんごを齧っている。

 「自分なら倒せる、って顔してるぜ。」

 「…倒せるよ」

振り返って、ロードは、レヴィのほうを見た。時刻は既に夕方近くなっている。<影憑き>の活動する時間帯だ。

 「手伝ってくれるか?」

 「本気で言ってんのか? ぼくは、攻撃の魔法は一切――」

 「知ってる。レヴィは<影憑き>の退路を塞いでくれればそれでいい。攻撃は、おれがやる」

腰のナイフを手で確かめ、彼は、振り返ってドアのほうに向かって歩き出す。

 「――やれやれ。」

ちょっと肩をすくめて、りんごの芯をサイドテーブルの上にとん、と置くと、レヴィも立ち上がった。


 町の通りでは、日没の時間に備えて篝火を炊く準備が始まっていた。薪を積み上げ、火種を入れる。子供を連れた母親は家路を急ぎ、狩人たちは厳しい表情で周囲に眼を光らせている。その中には、ロードのよく見知っている若い猟師たちもいた。

 「急げ、もう時間無いぞ!」

怒鳴っているのは、緑の帽子を斜に構えた少年だ。頬には、大きな、まだ治りきっていない傷がある。

 (…アルさんは、この世界にはもう居ない)

通り過ぎながら、ロードは、胸の辺りに手をやった。

 町一番の猟師、――ロードが子供の頃から良く知っている、逞しい、あめ色の腕をした猟師だ。

 一年と少し前、村に帰る途中のロードに<影憑き>退治を持ちかけたのが、アルだった。けれど、この世界では、ロードは町にやってこなかった。だから彼らは、<影憑き>を倒すことが出来なかった――。


 深い森は、既に薄暗がりに覆われている。

 町のすぐ近くまで迫っていたはずの森は、薪のためか、或いは<影憑き>を少しでも遠ざけるためか、見える範囲の山の斜面の中ほどまで伐採されている。

 「さーてどうする? まずはお目当ての<影憑き>を探すのが大変だぜ」

 「大丈夫だ。森が静かだろ?」

 「ああ」

 「<影憑き>がいると、普通の獣はみんな逃げてしまう。普通の獣がいないってことは、近くに<影憑き>がいる、ってことさ。」

 「…へえ。つまり、この状況で獣に出くわしたら、そいつがそうだ、ってことか。」

足を止めると、闇とともに耳が痛くなるほどの静けさが押し寄せてくる。

 (あの時と同じだな)

あらゆる生き物の気配が消えた闇の世界。聞こえるのは、自分自身の呼吸と木々のわずかなざわめきのみ。


 その時だ。

 かすかに闇が動くのを感じて、ロードは、闇の中に眼を凝らした。ざ、ざ、と落ち葉を踏み分けながら歩く重たい音。

 「うへっ、もう出た!」

 「たぶん奴はこっちに向かってくる。レヴィ! おれのことは庇わなくて良い。絶対、逃がさないでくれ」

 「そういわれてもなー」

木立の間から、異様な金色の瞳をもつ大きな鹿が姿を現した。頭から生えている角が茂みのように見える。

 「うわーでっけー」

気の抜けた声は背後の、上のほうから聞こえてくる。ちゃっかり木の上に退避しているのが、振り返らなくても判る。

 ロードが太陽石のナイフを引き抜くと、石から零れる淡い光が辺りを照らし出す。鹿の動きが乱れた。

 ギチギチ…という耳障りな声とともに、その巨大な体が跳躍する。

 「レヴィ!」

怒鳴った次の瞬間、鹿が見えない壁に勢いよくぶつかって跳ね返る。

 同時に、ロードは駆け出していた。起き上がろうともがく鹿の中に見えている、<影>の急所めがけてナイフを叩き込む。だが、硬い表皮に阻まれて、急所まで届ききらない。

 「くっ」

振りかざした角に払われて、彼は側の木に叩きつけられる。…が、体に返ってくる衝撃はわずかだ。空間がクッションのようになって、ぶつかる直前に衝撃を和らげたのだ。

 顔を上げると、側の木の上でレヴィが少し真面目な顔でこちらを見下ろしている。

 「庇わなくていいって、言ったろ!」

 「ちょいと意識が滑っただけだよ。言われたことはちゃんとやってる。ほら、さっさと次」

 「……。」

ちょいちょいと手を払うようにして指した方向には、出口を塞がれて空間に何度も頭突きを繰り返している影憑きの大鹿の姿がある。ロードは、腰から投擲用のナイフを抜いた。

 狙うべき場所は視えている。

 動きが止まった一瞬、彼は、大きく振りかぶってナイフを投げた。

 「ギャアアアッ」

体を仰け反らせながら、鹿の体が崩れ落ちていく。死に掛けた獣の体に影が入り込んで与えていた、仮初めの命が抜けていく。死んで既に長い時の経過していた躯は、在るべき姿に、ただの土と骨とに還ってゆく。

 あとには、立派なツノだけが、地面に突き立って残されていた。

 「……はあ」

太陽石のナイフを拾い上げ、投擲ナイフのほうは、腕輪の魔石の力で引き寄せる。

 レヴィはというと、ひょいと木から飛び降りて鹿のツノを拾い上げている。

 「うわっ重っ! でけーなー、これ」

 「それ、持って帰るぞ。少しは町の人を安心させたいから」

 「いいけどさ。これで終わったわけじゃないんだろ?」

レヴィは、ちらりと森の中を見やる。

 「…多分、ほかにもいると思うぜ」

 「判ってる。けど、そっちは普通の人間でもどうにかなるはずだから」

ナイフを鞘に収めながら、ロードは、ぶっきらぼうにそう返した。湧いてくるたびに倒していてもキリがない。大元を何とかするしかないのだ。


 町の方へ戻って行くロードは、レヴィが何か思うような、不思議そうな瞳でじっと背後から見つめていることには気づいていなかった。

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