第6話 茶葉の町での出来事
シンダリアへは、ありきたりの交通手段で――つまり、乗合馬車で移動することにした。ロードは、ヒルデとともに北へ向かう馬車の中にいた。
ヒルデは、馬車から見える景色に目を奪われている。
「こういう旅、やっぱり嬉しい?」
「え? えーっと、…そういうんじゃないんですけど、…」
照れたように笑いながら、彼女は、過ぎてゆく街道沿いの町並みを見やった。
澄ました顔で誤魔化しても、隠し切れない喜びが言動の端々に滲み出ている。彼女にとっては、大都市よりも田舎のほうが物珍しいらしい。それも、新しい発見だった。
「こんなところまで来たこと無かったので、物珍しくてつい。…そんなに嬉しそうに見えました?」
「少しだけね。」
言って、ロードは視線を手元のメモに戻した。
そこには、馬車に乗る前に確認したシンダリアの情報が書かれている。地図で確かめたところによると、目的地のシンダリアは、アステリアとノルデンの国境線上にあるシンダル地方の中心となる町の名前だという。
山がちな地形だが日当たりと水はけが良く、茶葉の名産地。だから、ジュリオという魔法使いは、お茶の銘柄に詳しかったのだ。
ジャスティンから国境に向かう乗合馬車は、あまり利用されないのか小さな二頭引きで、六人も乗れば一杯だ。それでも、お客は自分たちしかいない。皆、もっと手前の町で降りていってしまったからだ。
「シンダル地方は畑ばっかりの田舎で、観光地としても無名らしい。おれも、行くのは初めてだ」
「紛争地帯…なんですよね、確か」
「一応はね。アステリアが独立するときにノルデンと領有権で揉めたんだとか。今は実質的にアステリアの一部、って扱いらしい」
その辺りの話も、馬車に乗る前に聞いた。
両国とも実質の国境付近に駐屯兵を置いてはいるものの、最後に小競り合いが起きたのは数十年も前。駐屯地もあるが、今はほとんど形骸化して前線基地というよりただの派出所のようだ、という。
馬車は峠道を越え、ゆっくりとした下り坂に差し掛かった。
国境の検問すら無く、のんびりとしたものだ。そもそも道の両側はひたすら山ばかりで、どこまでがアステリアでどこからがノルデンなのかすら分からない。
行く手には森に囲まれるようにして建つ古びた丸い塔。茶畑の広がるなだらかな丘陵。そして、その周囲に、どうやら町らしき建物群が見え初めていた。
馬車を降りると涼しい森の気配が四方から押し寄せてきた。思わず深呼吸したくなるような空気だ。古びた趣あるレンガづくりの家々が立ち並び、磨り減った石畳の道が続く。それ以外に人はまばらで長閑そのもの。にわとりが道端で餌をつまんでいる。まるで数百前で時が止まってしまっているかのように思えた。
「ずいぶん…静かな場所ですね」
「確かに観光向きじゃないな。茶葉卸の仲買人くらいしか来そうにない」
荷物を降ろして、ロードは町の簡易地図を取り出した。出発前に手に入れたものだ。
「この先の通りらしい」
地図を頼りに、メモしてきた住所を目指して歩き出す。観光客など滅多に来ないのか、余所者の二人を物珍しそうに眺めながら町の人が通り過ぎていく。宿や食堂は広場のあたりにこぢんまりと、それぞれ一軒ずつ。この町では道に迷う心配も、待ち合わせ場所に困ることも無さそうだ。
広場を通り過ぎると、人通りはぱたりと途絶え、真昼間だというのに静まり返った人気のない通りがどこまでも続く。
しばらく行きつ戻りつしたあと、ロードは、ようやく目的の家を探し出した。
「ここだ」
手垢に黒ずみ、磨り減ったドアノブの上に、古びた看板で「オルセオロ雑貨店」という文字が見えている。だが、店はカーテンを下ろし、隙間から見える棚も誇りまみれだ。もう長いこと営業していない様子だった。
「まさか、もう誰も住んでないんじゃ」
「だとしたら厄介だな。…すいません!」
ドアを叩きながら大声で呼びかける。
「どなたかいらっしゃいませんか?」
何度か呼びかけていると、カーテンの奥で人影の動くのが見えた。カーテンの隙間から、頭に色あせたスカーフを巻いた年老いた女性がうさんくさげな顔を見せた。ちらりと来客を確かめただけで直ぐに引っ込んでいこうとするのを見て、ロードは、慌てて声を駆けた。
「あ、あの。すいません、ジュリオさんという人の家を探していて…」
女性の動きが、ぴたりと止まる。しばしの間。それから、玄関のほうに足音が近づいて来る。
ドアが開き、険しい顔の女性が現われた。
「ジュリオだって? あのバカ息子、今度は何をやらかした。何処にいる!」
「え、…あの」
物凄い剣幕だ。
気圧されながらも、ロードは、二つのことを知った。この女性がジュリオの母親だということ。息子の行方を何も聞いていないということ。
「……おれたちは、遺族を探すように依頼を受けて、ここへ来たんです」
それ以上は言わなかったのに、女性は、相手の表情で全てを察したようだった。
見る見る間に勢いが萎み、老女は小さく震えながら壁によりかかった。慌ててヒルデが駆け寄り、崩れ落ちそうになる肩を支える。
「座るところを探したほうがいいですね」
ヒルデは、半開きのままのドアの奥に目を向けた。
古びた家の中は、どこもかしこも錆び付いて、埃をかぶって、活気が無い。二階への階段の前は物が積み上げられて上がれなくなっているし、台所からはカビた匂いが漂ってくる。
散らかった居間だけが、辛うじて生活している気配を保っていた。
二人は、年老いたジュリオの母親を両脇から抱えると、居間の表面の剥げたソファの上に苦労して座らせた。
「お一人で暮らしてるんですか」
「…亭主は…三年前に他界してね。ジュリオは一人息子だった…あの子、どこで?」
「詳しいことは聞いてません。ただ、十三年前に事故で、とだけ…」
「そう。」
呆然としたまま、彼女の意識は、どこか遠くにあるようだった。
「じゃあ、亭主より先だったのね。父親が危篤の時も戻って来ないなんて何て冷たい子だろうと思ってたけど、それなら仕方ないわね。」
涙が滲んでいく。
「…すいません」
「謝らなくていいよ。あんた、ただの興信所の人でしょ? お仕事なんだから…」
正確には違っていたが、今は、細かいことを説明してもきっと理解する余裕はあるまい。
「依頼主に、遺族を見つけたことを伝えます。近いうちに遺品を届けられると思います」
「ありがと」
「…失礼します」
去りかけて居間の入り口から振り返ると、老女は、座らせたときの姿勢のまま、まんじりともせずに虚空を見つめたままだった。
カーテン越しの弱められた真昼の光に照らされた部屋の中、微動だにしない。まるで、風景の一部になって完全に時が止まってしまったかのようだった。
(だけど、おれたちに出来ることなんて――何もない)
部屋に引き返そうとするヒルデの腕を掴んで、ロードは小さく首を振った。
(彼女の最後の希望を奪ってしまったことになるのか…)
重い気持ちを抱いたまま、二人は外に出た。
通りには相変わらず人の気配はなく、からからと石畳を踏む車輪の音が一本か二本向こうの通りから響いてくるばかりだ。
「さて、これからどうしようかな…」
「あ…、あの、とりあえず、お昼にしません?」
沈んだ空気を追い払うように、ヒルデが明るい声で言った。
「ほら、さっきの広場。食堂あったでしょ。ここの郷土料理とか、食べられるかも」
「ああ、そういえばそんな時間だっけ」
ロードも、少し元気が出てきた。そう、他人の人生に干渉することは出来ない。起きてしまった死を、今から無かったものにすることは出来ないのだ。
広場に面した小さな食堂に入っていくと、奥のカウンターで新聞を読んでいた店主らしい小太りの男が緩慢な動作で顔を上げた。店内にいるのは二組だけ。どちらも、仕事でこの町に来ているらしい雰囲気の男たちだ。
ロードたちが窓際の席に腰を下ろすと、店主がカウンターごしに声をかけてきた。
「昼は定食しかやってねぇんだ。それでいいかい?」
「定食って?」
「ニワトリ肉の煮込みシチュー」
「じゃあ、…それで。」
新聞を畳んでカウンターに置くと、男はのっそりと奥に引っ込んでいく。二人は、顔を見合わせた。
「一種類しかない、ってことなんでしょうか」
「あんまりお客さんも来なさそうだし、作り置きできるものしかないんじゃないかな」
小さな村の食堂などでは良くあることだ。表ののんびりとした雰囲気と同じく、この店の中も、昼時にしては忙しさが全くない。
しばらく待っていると、奥のほうから良い香りが漂ってきた。
「おまちどう」
大皿にたっぷり具を盛り付けたシチューが、二人の前にでんと置かれる。
「お茶はどうするね」
「お茶?」
「セットメニューでね。そこの壁に書いてあるやつ、どれでも選んでくれ」
「……。」
見れば、壁にかけられた黒板に二十種類ばかりのお茶の銘柄がずらずらと書かれている。食事は一種類しかないのに、お茶はこんなに選べるのだ。
「あ、じゃあ、わたしこれ」
「え、えーと…じゃあ、おれも同じので」
「あいよ」
店主が引っ込んでいく。
「お茶の種類なんて判るのか、流石だな」
「少しだけですよ。お茶会なんかで覚えたんです。でもすごいですね。こんなに種類があるのは初めて。さすが産地」
「…どれも同じだと思うけどなぁ」
呟きながら、スプーンを取り上げる。シチューの味は、そこそこだ。肉がたっぷり入っているおかげで食べ応えがある。
しばらく雑談しながら手と口を動かしていると、奥から店主が戻って来た。片手に大きなティーポットとパン籠を、もう片方の手にティーカップを二つぶら下げている。
「ほい、お茶。こっちのパンはサービスだ」
「ありがとうございます」
店主は、興味深そうな目でじろじろと二人を見比べた。
「ところであんたたち、どっから来たね? こんなとこじゃ見るもんも無かろう」
「観光じゃなくて、人を訪ねにきた帰りですよ。」
「でも折角来たんだから、少しくらいこの辺りを見て回ってもいいかな。何か面白いところ、ありますか?」
ヒルデが訪ねると、店主はたっぷりと肉のついたあごに指をやった。
「そうさなあ。あんたら若い人が見て面白そうなもんなんて…ああ、塔があったか」
「塔?」
「町の真ん中にあるやつだ、ほれ。」
男は、窓の外を指差した。振り返ると、ちょうど広場の向こう側に、赤茶けた色をしたレンガ造りの塔が聳え立っているのが見えた。町に着く前、外側からも見えていた建物だ。
「あれ、お城か何かなんですか」
「いんや。たぶん昔の見張り台だろうなあ。年寄り連中も、何に使っとったのかよく覚えとらんらしい。ま、登ってみるぶんにはええぞ」
「日の高いうちにな」
と、奥のテーブルを囲んでいた男が振り返って付け加える。
「最近、<影憑き>が出たとかって話がある」
「<影憑き>?」
「死に掛けのコウモリでも迷い込んでたんだろ」
別の男が笑う。
「見つけた婆さんが大群が出たとか腰抜かして大騒ぎするもんだから、町の衆皆でびくびく、狩りに入ったのよ。ところがとんだ肩透かしさ。死体は残ってたが、なぁんにも居やしなかったね」
「……。」
大群だったのは本当だろう、とロードは思った。
レヴィとハルと、最近、この町に来ていたはずだ。
そして彼らが、騒ぎが起きて町の人たちがうろたえている間に片付けたのだ。だとすれば、やはり、奇妙な符合ではあった。
食事とお茶の後、ロードたちは、食堂の隣の宿に荷物を置いて塔を訪れてみた。
確かにそこは何の変哲もない見張り塔のような場所で、中は空っぽだった。湿っぽい暗い地下室にも何もいない。一番上まで登ってみると、町と、周囲を取り巻く茶畑と森とがぐるりと一望できた。
山々の間を通り抜けてくる風が心地よい。
視界の一方は、ジャスティンからここへ来るときに通ってきた山間の細い道。反対側には国境を越えてノルデンへと通じる道が、同じように山間を抜けて続いている。
「次は、もう一人の人を探しに行くんですよね?」
と、ヒルデ。
「そちらはノルデン人、でしたっけ」
「そう。おれからすると、こっちのほうが厄介だな。ノルデン貴族の出身で、魔法使いの家系の次男か三男。貴族の子息が行方不明になったりしたら噂になりそうなもんだけど…ヒルデ、心当たりは?」
「流石に聞いたこともないです…、十三年も前なんでしょう? その頃のわたし、まだ五歳くらいですよ」
「そっか。そりゃ、そうだよなあ」
屋上の手すりにもたれながら、ロードは、ノルデンの方角に目をやった。十年以上前に行方不明になった貴族など、一体どうやって調べればいいのか。
「あっ」
ふいに、ヒルデが声を上げた。
「そうだ、貴族名鑑!」
「貴族名鑑?」
「はい。図書館に行けばあるはずです。紳士録のようなもので、貴族の家の家人をリスト化したものがあるんです。名のある貴族の家柄であれば、成人した時点で載っているはずですよ」
「…それ、全員?」
「ええ。パーティーの時の席次や贈り物の格を決めるときなんかに使うので。家柄の序列とか、その人が持ってる爵位や肩書きまで載ってます」
「へえ…ノルデンって、よく分からない国だなぁ」
貴族や階級といった古いしきたりが残っている国ならでは、だ。新興国であるアステリアには、そこまで厳格な制度はない。
だが、これで少しは希望が出てきた。
「レヴィの話じゃ、イングヴィって魔法使いはかなり気位の高い上流階級っぽい人だったらしいから、相当いい家だったのかもな。」
「それに成人済み、ですよね。それなら、きっと載ってますよ。」
ヒルデの提案で、次の目的地は、大きな図書館のある一番近い町――フラウロスと決まった。
「問題は、ここからどうやって行くかだな。徒歩で街道まで出るか…」
話しながら塔の中の螺旋階段を降りていた時、ふいに背後のすぐ近くから視線を感じた。
思わず、ロードは勢い良く振り返った。階段の端にちらりと白い影が過ぎる。考えるより早く、ロードは階段を駆け上がった。
「えっ、ロードさん?!」
突然のことにヒルデが驚きの声を上げる。
ロードは答えずに、今しがた降りてきたばかりの階段を一気に駆け上がった。
屋上に飛び出すと、塔の縁で羽根をつくろっていた鳩たちが、大慌てで飛び立ってゆく。
(……誰も、いない?)
遠ざかってゆく羽音。他に生き物の気配はない。けれど確かに、さっきはすぐ後ろから視線を感じた。そして、誰かの影を見た。
背後から足音が追いかけてくる。
「どうしたんですか?」
ヒルデだ。
「…後ろ、誰もいなかったよな?」
「え? ええ…」
「……。」
見えなかった。――けれど確かに、誰かがすぐ近くに居た。
(誰なんだ? 魔法使い? レヴィみたいに空間を飛び越えられるってことなのか)
だとしても、一体何のために自分を見張っているのか。
いや、もし実体があるのなら、どうしてハルには視えていないのだろう。それとも、今見たものでさえ、自分の思い違いだというのだろうか。
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