帰る路と神隠し

ヤノヒト

一、喧騒からの逃避行

「おいおい嘘だろ」


 担任教師がホームルームの終了を告げると、クラスメイトは動揺を声にして表す。教室の隅々から小さなざわめきが産まれ散らばって行く。瞬く間に動揺は喧噪と化し、止めようもない私語の嵐は廊下へと足を延ばすのだった。「我々のクラスメイトである、尾田の行方が三日前から不明となっている」というのが僕達に伝えられた連絡だ。


 確かに、僕が座る最後列窓際席の右隣は今朝からずっと空席だ。

 クラスメイトの口からは不安の色が漏れ出している。


「もしかして、これって」

「しっ。口に出すと捕まるぞ……『アレ』に」


 自然と喧騒は勢いを緩め、ヒソヒソ話だけが教室を埋め尽くす。放課後だというのに誰も帰ろうとはしていない。

 クラスメイトが怯える理由。それはこの町で昔から信じられている摩訶不思議……通称「神隠し」が起きたのでは、という不安によるものだ。


 幸い今日の掃除当番は無く、僕は足早に騒がしい教室を後にした。こういう時はさっさと帰ってしまうのが吉だ。クラスメイトは話題とやらに目が無い。身に感じた不安を他人との接触で和らげる為、必死に言葉を手繰り場を繋ぐ。

 そういう馴れ合いを僕はあまり好まない性質だ。


 周囲が掃除当番で足止めを食らう間に靴を履き替え、僕は問答無用で帰路に就く。


 時計を見ると時刻はおよそ十五時近く。家族が夕飯を用意する十九時まで、この身は自由を約束されている。


*****


 「神隠し」が初めて起きたのは、果たしていつの事だろうか。


 この町で生まれた者は誰でも知っているし、畏れている都市伝説。そのオカルト染みた名称は映画や小説といった創作物でこそ名を轟かせているが僕らの知るそれは決して性質の悪い噂話や創作物といった類ではない。町民の身近に確かな恐怖として存在する現象、それが「神隠し」である。


 唐突な話だが、僕の祖父はすでにこの世を去っている。


 祖父はこの町がまだ開拓不十分の頃に炭鉱夫として雇われ、一生涯を捧げたという。劣悪な労働環境でも弱音を吐かず、周囲の士気向上に一役買ったというのだから人柄も良好だったのだろう。そんな祖父が亡くなる数年ほど前の事である。炭鉱に近づいた者がある日を境に町から消えたのだ。


 すぐさま小さな町を挙げて調査が開始されるが被害者の行方は未だに誰も知らない。被害者が生きていたという事実は、僅かな遺品と遺族の証言でしか担保されない。この不可解な謎は町民の恐怖と疑問と興味を煽り、今も都市伝説として語り継がれている。


 僕の幼い頃から町内で飛び交っていた「悪い子は神隠しに遭うぞ」なんて脅し文句は笑えないジョークなのかもしれない。


 校舎から道路を三本越えた交差点で左折する。これは僕の住む家とは真逆の方向だ。けれども僕の脚は一歩ずつ着実に帰路へ進んでいる。


 僕がこれから帰るのは普段衣食住を共にする家ではないからだ。


 一言で言ってしまえば現実逃避の散歩道。自分の年頃なら誰もが一度は体験するだろう、恥ずかしくも切ないひと時だ。学校生活を送る中で自身を誰かと比べては悩み事を募らせる、それだけの事。周囲が年相応の姿へと成長する横で、僕は仕様も無い事を考えては大人への階段でひたすら足踏みをしている。


 要は将来への漠然とした悩みを意味も無く頭の中で引き摺り回しているのだ。学年は三年に上がりそろそろ大人として振舞う事が求められる中で僕は進学か就職か、なんて二択を迫られているわけだ。しかし何かを学ぶ気も無ければ特別何かの職に就きたいという訳でも無い。


 選択権を与えられ、選択する事でしか前へ進めないのに肝心の僕は選択する事を半ば放棄しているのだ。選択権……即ち「選択する権利」と言えど「行使する義務」はあり、どう行使するかという問いに僕は長い間答えられないままである。抗いようも無い二択。期限付きの選択肢から僕は必死に逃げている訳だ。


 そんな時である。現実に打ち負かされて、逃避する僕にどこからか救いの手が現れる。僕は超常現象に充てられて、否応無く回り道をする羽目になる。

 それは自分にとって願っても無い体験だった。


 一呼吸おいて周囲を見渡すと、件の炭鉱跡地が広がっていた。

 何を隠そう、僕は噂の「神隠し」に何度か遭遇したことがある。


*****


 『立ち入り禁止』と書かれた看板を超えて約二十分。峠へと続く細い林道に侵入する。


「よし」


 ごくり、と喉を大きく唸らせ覚悟を決める。


 僕が一歩足を進めると、後方で響く車の音が急に遠のいて行く。目の前に広がる空間がジワジワとその輪郭を歪め、距離という物理法則を追いやった。林道の風景は何かに吸い込まれる様に消えて行き辺り一面を暗闇が覆い尽くす。すぐさま正面からは強風が吹き荒び僕の瞼は閉じる事を余儀無くされた。

 不気味な現象と不可解な強風。


 僕の知る町は強風に吹き飛ばされるかの様に縮小し世界を彩る景色が瞬く間に塗り替えられてゆくのを肌で感じる。あいにく町並みが移り変わる瞬間を見る事はできないがそれでも自身の肌と脳が危険信号を発するのを理解した。本来自分がここにいてはならないはずだ、と。


 しかし恐怖を乗り越えるのは一瞬だ。一瞬の恐怖と引き換えに、僕は不思議な体験を得ることができる。「悪い子は神隠しに遭うぞ」という一見陳腐な子供騙し。しかし、この言葉に偽りはなく。僕という"悪い子"は都市伝説の先へと足を進めた。


 しばらくすると強風は跡形も無く消え去り、付近を転がる枯葉だけが超常現象を物語る。歩みを止めた僕を取り巻く風景にそれほど大きな変化は無い。強いて言うなれば、周囲に生えていた木々がその配置を変えていたり僕の通って来た道路がアスファルトによるコーティングを剥がされて、砂利という素肌を晒している事が挙げられる。


 「神隠し」とはカタカナ語で言う「ワープ」の意では無く、ましてやある日突然死ぬと言う訳でも無い。僕が佇む座標は、強風を受ける前後でなんら変わってはいない。

 だが、数歩足を進めれば景色は別の側面を覗かせる。五分と経たず視界には古臭い民家が現れた。強風に遭う前は朽ち果て、瓦礫と化していたはずの小さな木造一戸建てである。


「あら、もう帰ってきたのかい」


 民家の戸が開き中から老婦が顔を出す。僕が神隠しに遭う中で何度も会話を交わした老婦。続柄で呼ぶならば、僕の祖母に当たる人物だ。僕が生まれてまもなくあの世へ去ったという、祖母の家。

 それが僕の行き着く"もうひとつの帰路"なのだ。


「あぁ」


 靴を脱いで玄関へと進入する。視界の端ではこれまた古臭い鶴嘴や木造の桶が風景に溶け込んでいる。

 現代では時代遅れの道具達がここでは生活感を示す背景として確かに存在するのだ。


 場所を移動するのではなく、その場から時間だけを遡る一種の時間旅行。それが「神隠し」の実態だ。


 但し、一つだけ注意すべきことがある。


「お疲れ様だねぇ。タケさん、今日は一段とゲッソリしているわよ」


 理屈は不明だが、この世界で僕は祖父と置き換わっているらしい。

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