女の子が好きな女の子が普通じゃなかった話

ミルーア

女の子が好きな女の子が普通じゃなかった話

 前の席の女の子が好きだ。


 背中の中程まで届く綺麗な黒髪から、仄かに香るシャンプーの匂い。

 そよ風で揺れる鈴の音のように柔らかく、それでいて張りがあって艷やかな声色。

 女性なら誰もが羨むような、人形みたいに整った小顔。

 指の先に至るまで続いている、白く透き通った肌。

 華奢な体型からか、普段は着痩せしていて分からないけれど、脱ぐと意外と『すごい』ということを、初めての体育の授業前に知った。


 淑やかな物腰で誰にでも分け隔てなく平等に接する姿勢と、委員長としての仕事もこなすリーダーシップから、クラスの皆から好かれている。

 それどころか先生達からも一目置かれている、まさに絵に描いたような優等生だ。


 でも、でも。


 でも、私が一番、上田さんのことを好きだと思う。


「次、織部。立ちなさい」


 あっ、今、椅子に座ろうとした上田さんと一瞬だけ目が合ったような気がした。


「織部!」


 ピシャリ、と怒気を含んだ声で先生に名前を呼ばれて、意識が現実に引き戻されてしまった。


「すみません、先生。聞いていませんでした」


「……はぁ、教科書81ページの23行目からだ」


 溜息をつきたいのは私のほうだ、と心の中で毒づきながら教科書のページを捲り、言われた箇所から読み上げていく。


「……『終戦後、彼女の元に、ぼろぼろの軍服を纏った男性が訪ねてきた。その顔を見紛うことは決してない、徴兵で去っていった彼の姿であった。………………二人は、戦争の悲しみを乗り越えて慎ましやかに暮らし、愛し合っていくのであった。』……。」


「よし。織部、座っていいぞ」


 丁度、自分の順番で朗読が終わった。


 内容は見ての通り、近代日本を題材にしたノンフィクション風の、『男女の』恋愛小説だ。

 読み上げている途中で苦しい気持ちになって言い淀んでしまったくらいには、この手の話は苦手だったりする。


 普通の男女の恋愛は簡単そうでいいな、と思ってしまう。

 男性を好きになる女性なんか、そのへんにごろごろ居るじゃないか、と思ってしまう。

 私のような、女性を好きになる女性なんて、今までの人生でただの一人も見たことがない。


 普通じゃないのだ。


 こんなこと、誰かに言ったらどんな目で見られるかわからない。なので、言えない。誰にも言えない。好きになった女の子にさえも。


 私は、一人ぼっちだ。



 ―――――――――――



 授業が終わり、教室に喧騒が訪れる。


 休み時間はやることがないので、いつものように文庫本……百合小説(カバー付き)を読み耽る。例えフィクションでも、女性同士で愛し合っている人達を見ると自分の存在が許されたような気持ちになるので良い。


 前の席の方にちらりと目をやると、上田さんの周りには同じくらい品が良さそうな女子生徒達が集まって世間話をしているところだった。


 私も上田さんとお話がしたいな、と思う。しかし、学校にはスクールカーストというものがあるのだ。


 見た目も性格も、成績だって良い上田さんに近づける生徒はおいそれと居ない。男子生徒達なんかは遠巻きに眺めていることしか許されないくらいだ。


 やはり、お嬢様はお嬢様同士でしかつるまないんだろうか。

 いや、上田さんがどこぞの令嬢かどうかは知らないが、お嬢様というカテゴライズは上田さんのイメージにピッタリ合っているのではないかと思う。


 そんな妄想をしていたら、担任の先生が物々しい雰囲気で教室に入ってきた。


「はい、皆さん。座ってください。これから大事な話があります」


 ええー、という声が教室中に湧き上がるも、いつもと違う雰囲気を感じ取った皆は各々が自席に戻った。


「今からプリントを配りますので、私語厳禁・他人との見せ合い無しで自分の気持ちを書いて提出してください。わかりましたね?」


 曖昧な物言いの割に厳しい態度で振る舞う先生を見て生徒達から困惑の声が上がるも、静かに、と制止を受けて皆は大人しくなった。


 紙の擦れる音だけが響き渡る中、前の席から順次プリントが回されていく。


 一体何を書かされるんだろうと不安な気持ちを抱きながら、上田さんからプリントを受けとる。

 また上田さんと一瞬だけ目があったような気がした。


 受け取ったプリントのタイトルを見て、思わず背筋が凍ってしまった。


『LGBT調査票』と書かれたそれは、その下に、


『自分の心の性別は以下の内どれですか』

『好きになる相手の性別は以下の内どれですか』

『その他、性別のことで苦しんでいることはありますか』


 と続いている。男性・女性・それ以外、に丸をつける形式のようだ。複数選択可能らしい。


 幸い、先生が睨みをきかせてくれているおかげで生徒達は一言も声を発していない。これに書き込んだ内容が他人に知られることはないようだ。


 心の中に強い葛藤が生まれる。


 これに、自分の気持ちを素直に書き込んでしまってもいいんだろうか。何かの拍子で誰かに見られたりしないだろうか。

 嘘を書いておいたほうが安全なのではないだろうか。


「……っ」


 しかし、好きになる性別に丸を付けるとき、男性に丸を付けることはできなかった。

 誰かに見られる不安よりも、自分の気持ちに嘘をつくほうが耐えられなかったから。


 書き終わったプリントは、先生が一人ずつ回収していった。


「……、はぁ〜……」


 どっと疲れが出てしまった。どうして学校でこんな思いをしなければいけないんだ。私は、上田さんからプリントを手渡しで回してもらう時だけが楽しみで学校に来ているというのに。


 ……ん?待てよ。上田さんの、……プリント?



 ――――――――――



 部活が終わり皆が帰る午後6時。私は一人、学校に残っていた。

 あの時から、たったひとつの仄暗い気持ちが頭の中を渦巻いて離れない。


「見たい、上田さんのプリントを」


 だけど、そんな、他人の心の内を覗くような行為なんて、卑怯な人間がやることだ。


「でも、でも」


 でも、上田さんのことを知りたい。


 直接聞くことなんてできないから、こうするしかないのだ。と、自分の中の悪魔が囁く。


 そう思う根拠はある。上田さんが今まで一度たりとも彼氏を作ったという話は聞いたことがない。

 むしろ、他校の男子生徒から告白されてもいつも断っているらしい。


 もしかしたら、と思う。自分と同じなのではないか。


「でも、そんな恋愛小説みたいな都合の良い展開なんてあるわけないよね」


 結局、自分の片思いは片思いのまま終わるという事実を突き付けられるだけかもしれない。


 黒く、べったりとした考えが頭の中から離れない。

 どうあれ、上田さんのことを知るチャンスなのだ。


 ほんの少しでもいいから、その可能性をこの目で確かめたい。


 その為なら、自分が卑怯な人間になるくらいどうってことはない。


 時間は午後6時10分。プリントの居場所は分からないけど、職員室にある先生の机のあたりにあるかもしれない。

 職員室に忍び込めるのは、先生方が全員出ていった後。時間にすると午後9時、いや10時以降だろうか。


 それまで、どこかで息を潜めて隠れているしかない。


 私は、職員室に近い空き教室のロッカーの中に身を潜めることにした。



 ――――――――――



 埃臭い、暗い空間で目を覚ました。

 そういえばロッカーの中に居たんだった。と寝ぼけ眼を擦りながら思い出す。携帯電話の時計を見ると午後11時を回っていた。随分長い間眠りこけていたようだ。


「行かなきゃ……」


 慎重に、音を立てないようにロッカーを開けて外に出る。

 目的はすぐ近くの職員室、携帯電話のライト機能を使って足元を照らしながら進んでいく。

 校内は静まり返っていて、喉の奥に張り付くような不気味な空気が漂っている。

 校舎に吹き付ける風の音にさえ根源的な恐怖を覚える。職員室まで歩いて遠くないはずなのに、無限の時間の中に居るような錯覚に陥ってしまう。


 震えながら廊下を歩いていき、職員室の前に辿りついた。


 扉を開けると、やはり室内に明かりは点いていない。暗闇だけがそこにあった。


 辺りをライトで照らしながら、並んだ机を順番に調べていく。


「2年2組……あった!」


 机の上に学級日誌が置いてあった。間違いなく自分のクラスのものだ。


 はやる気持ちを抑えきれず、大急ぎで机の引き出しを開けていく。


「これ……かな?」


 引き出しの中のすぐ手前に置かれていた真新しいプリントの束にライトを照らしてみる。


『LGBT調査票』と書かれていた。


 恐怖と喜びが入り混じった感情が暴走しそうになる。

 慎重にプリントを捲り、一番好きな女性の名前を探す。


 その時、カツ、カツ、と廊下から足音が響いてきた。


「あ、あ、ぁ……」


 声にならない悲鳴が出てしまう。

 幽霊?妖怪?それともゾンビ?全身が震えて奥歯同士が当たってガチガチと音を立てる。足音はどんどん近づいてくる。

 しかし、ここまで来たからには後戻りはできない。

 震える手でプリントを捲り続ける。


「上田……彩華」


 あった。あった。

 本当に綺麗な字を書く人だ、と名前を見て思った。


 好きな人の事を考えたら恐怖は少しだけ薄らいだ。が、緊張で視界が揺れる。手が震えてプリントを上手く持つことができない。


 この先に答えがある。


 その答えを確かめるために、視線をプリントの下へ滑らせようとした、そのときであった。


「きゃ、きゃあああああああああ!!!!!!!!」


 突然、視界が真っ白になった。何が起こったのか分からなかった。


 パニックになりそうになったそのとき、声が聞こえた。


「織部さん……?」


「……………………え?」


 その声は、私が一番好きな、あの声だった。


「う、上田さん!?どどど、どうして、ここに」


 職員室の入り口に立っていたのは、なんと上田さん本人だった。

 私は、懐中電灯の強い光を浴びせられてパニックになっていたようだ。


「織部さんも、どうしてこんなところに居るのかな?」


 いけない子だね、と普段の数倍くらい優しい声でたしなめられてしまった。


「あ、あえ、あ……」


 こんな時間に上田さんがここに居る理由に疑問を抱くより前に、自分の名前を呼ばれてしまったのが嬉しすぎて舌が回らなくなってしまう。


 しかし、自分の状況をすっかり忘れていた。


 今、私が握りしめているプリントの持ち主は、そこに書いてあるのは、その名前は。


「ねえ、……それって」


 私が持っているプリントに気づいた上田さんの表情が、いつもの優しい笑顔からは想像もつかない妖艶な笑みへと変わっていく。


「あは。なんだ、織部さんも、……同じだったんだ」


 上田さんのプリントには、女性に丸がついていた。


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